天皇誕生日に考える やがて皇族がいなくなる?
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012122302000113.htmlより、
東京新聞【社説】天皇誕生日に考える 女性宮家が遠くなる
2012年12月23日
野田民主党から安倍自民党への政権交代。天皇、皇室観の違いから構想されてきた女性宮家創設もどうやら遠くなりそうです。それでいいのか。
きょう二十三日、七十九歳の誕生日を迎えられた天皇陛下は周囲の気づかいにもかかわらず公務について意欲的でした。
二月の心臓の冠動脈バイパス手術の後も、陛下は皇后さまとともに五月には英国エリザベス女王即位六十周年行事に出席、十一月には八年ぶり九回目の沖縄県訪問、東日本大震災の被災地へのたびたびの見舞いなど公務は以前と変わらないペースの精励ぶりでした。
◆公務ペース変えない
天皇の公務は、憲法で定められた国会の召集や衆院の解散、外国の大使や公使の接受などの国事行為と、外国首脳を迎えての宮中晩餐(ばんさん)会や国体や全国植樹祭への出席などの公的行為、新嘗祭(にいなめさい)などの宮中祭祀(さいし)などがあって年間の公務日数は二百五、六十日、昭和天皇時代の二倍にのぼるといわれます。
誕生日に先立っての記者会見での公務に関する質問にも、陛下は昭和天皇が八十歳を超しても全国植樹祭や日本学士院賞授賞式に毎年出席していたことを挙げながら「負担の軽減は公的行事の場合、公平の原則を踏まえ十分に考えなくてはいけません。いまのところしばらくはこのままでいきたい。病気になったときは皇太子と秋篠宮が代わりを務めてくれますから心強い」と答えられたのでした。
憲法の象徴天皇のありかたを求めつづける姿や公務を大切にする陛下のお気持ちは尊重すべきですが、かつて秋篠宮さまが天皇の定年制に言及されたように、高齢になられた両陛下のための公務の負担軽減や皇室活動の安定的維持を考えるのは政府の義務であり責任。とりわけ天皇陛下を支える皇族の減少をどうするのか、その対策は火急の案件です。
◆皇族がいなくなる
皇室で長い間の懸案だった皇位の継承問題は二〇〇六年九月の秋篠宮家の悠仁さまの誕生で、天皇陛下-皇太子さま-秋篠宮さま-悠仁親王と引き継がれていく見通しがたちましたが、その悠仁親王が天皇に即位する頃には天皇とその家族以外に皇族はだれもいなくなる事態に陥りかねない懸念が生まれました。
皇室典範一二条が皇族女子が天皇、皇族以外の者と結婚した場合は皇族の身分を離れることを定めているためで、女性たちの婚姻などによって現在の三笠、常陸、秋篠、桂、高円の五宮家もなくなってしまうかもしれないのです。
民主党政権が二月からの有識者ヒアリングなどを経て十月まとめた女性宮家創設を柱とした皇室制度改革の論点整理は、国民世論を分断させかねない女系天皇の是非論に踏み込むのを避けた極めて慎重な案とも思われました。
女性宮家の対象者は天皇の子や孫にあたる内親王に限定されました。具体的には皇太子さまの長女の愛子さま(11)、秋篠宮さまの長女の眞子さま(21)と次女の佳子さま(17)の三人、それも「本人の意思最優先」が原則で宮家は一代限り、配偶者や子に皇位継承の資格は生じないなどの内容で、あくまで皇族の減少を防ぐ緊急案であることが強調されていました。
政府の説明不足だったのか、寄せられた二十六万七千件の意見公募は賛成多数というわけにはいかず、女性宮家は女系天皇への道を開くのではとの警戒が根強く存在することを示しました。文化伝統を重んじ、男系の皇位継承を主張する安倍総裁は女性宮家議論を白紙に戻すことを決めたとも伝えられます。天皇は発言が許されない立場ですが、憂慮を深めているに違いありません。
〇五年の小泉内閣の「皇室典範に関する有識者会議」以来、皇室典範改正をめぐる議論が常に遭遇したのは男系天皇維持論者の強力な抵抗でした。しかし側室制度あっての男系維持だったというのもまた歴史の事実です。側室が認められない時代であるばかりか、第二次大戦後に皇籍離脱した旧宮家の復帰論も「天皇の地位は国民の総意に基づく」とされた憲法下の国民に受け入れられるかどうか。
初代の神武天皇から百二十五代の今上天皇までの歴史には八人十代の女性天皇が含まれます。そして、天皇は国民の安寧や国の発展さらには世界の平和を祈る存在です。そこに男女の別はなく、皇位もまた千数百年一系の天子によって引き継がれてきた歴史事実こそが尊く、男系か女系かではないと思われるのです。
◆許されぬ問題先送り
女系天皇の是非判断は将来世代に委ねられるにしても、急速に減少する皇族対策に時間の余裕はありません。文化、伝統を守る皇室活動の維持のためにも問題の先送りは許されないはずです。
http://www.asahi.com/national/update/1222/TKY201212220836.htmlより、
2012年12月23日5時0分
天皇陛下、79歳に 公務負担「しばらくはこのままで」
【北野隆一、島康彦】天皇陛下は23日、79歳の誕生日を迎えた。これに先立ち皇居・宮殿で2年ぶりに記者会見し、2月に受けた心臓手術の成功について「本当にうれしく感じました」と語った。公務の負担軽減が図られていることについては「今のところしばらくはこのままでいきたい」と答え、従来通り担い続けたいとの意欲を示した。
手術での入院中、皇后さまが毎日見舞いに訪れたことが「本当に心強く、慰めになりました」と振り返った。リハビリのため散歩やテニスも続けており、「以前のように球を打てるようになった気がします」と回復を実感した様子だった。
一方で「山道を歩くとき転びやすくなった。若いときは考えてもみませんでした」と「老い」に言及した。除雪作業中に転倒や転落で亡くなる高齢者が多いことをとり上げ「高齢者が雪国で安全に住めるよう切に願っています」と訴えた。
東日本大震災をめぐっては、原発事故で家に帰れない人や仮設住宅で暮らす人に触れ「被災者が深く案じられます」と思いやった。10月に福島県川内村で放射能汚染の除染現場を視察。作業に伴う危険を実感したとして「携わる人々の健康が心配です。作業の安全を願っています」と語った。
11月の沖縄県訪問については「他の地域では地上戦であれだけ大勢の人々が亡くなったことはない。戦争で沖縄の人々の被った災難を、日本人全員で分かち合うことが大切」と強調した。
ロンドン・パラリンピックで2連覇した車いすテニスの国枝慎吾選手と、ノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥・京都大教授の名を挙げ、「まことにうれしいニュースでした」とたたえた。
■確固とした意欲と覚悟
【北野隆一、島康彦】穏やかだが、確固とした「宣言」だった。2年ぶりの記者会見では、心臓手術を乗り越え、英国や沖縄、震災被災地の訪問も果たしたこの1年を踏まえ、今後も公務を担い続けたいという天皇陛下の気持ちが改めて示された。
宮内記者会は、国事行為と最小限の公的行為以外は皇族方が分担するという考え方についての意見を尋ねた。陛下は「象徴という立場から公的にかかわることがふさわしい象徴的行為がある」と述べ、全国植樹祭や日本学士院授賞式の例をあげた。いずれも昭和天皇は80歳を超しても続けていたと紹介。「このままでいきたい」と結論づけた。
宮内庁は2009年、行事の「おことば」を減らし、宮中祭祀(さいし)の出席時間を限るなどの負担軽減を図ってきたが、手術で心臓の症状が改善した今も、前立腺がん手術以来続くホルモン剤治療などの健康不安は残る。羽毛田信吾・前宮内庁長官は退任会見で「陛下は『活動あっての象徴天皇』との信念で臨んでおられ、お務めを選別して減らすことは難しい」と語っていた。
陛下は今回、「病気になったら皇太子と秋篠宮が代わりを務めますから何の心配もない」と、覚悟ものぞかせた。風岡典之・現長官は「陛下の健康維持は国民の願いであり、宮内庁として何より優先すべき課題。皇室医務主管や侍医長ら医師との連携をとっていく」と話す。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012122201001826.htmlより、
天皇陛下、79歳に 追悼式に間に合うよう手術
2012年12月23日 05時00分
(写真)79歳の誕生日を前に記者会見される天皇陛下=19日、宮殿・石橋の間(代表撮影)
天皇陛下は23日、79歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、皇居・宮殿で宮内記者会と会見。心臓バイパス手術を2月に受けることにした理由を「東日本大震災1周年追悼式に間に合うよう手術をしてもらった」と明かした。
公務の負担軽減については「公平の原則を踏まえてしなければならない」と慎重姿勢を示した上で「しばらくはこのままでいきたい」と現状を維持する考えを強調。病気の際は皇太子さまや秋篠宮さまが代わりを務めており「心強く思っています」と話した。
手術後の入院中、リハビリのため皇后さまと病院の廊下を歩いたエピソードも紹介。「なぐさめになりました」と振り返った。(共同)