火論:現実的ということ 玉木研二氏

http://mainichi.jp/opinion/news/20121225ddm003070109000c.htmlより、
火論:現実的ということ=玉木研二
毎日新聞 2012年12月25日 東京朝刊

 <ka−ron>

 小紙のアンケートによると、総選挙当選者の3分の1が将来の核武装に前向きである。

 論議は自由だ。しかし、ともすれば反核の主張や広島、長崎の惨状を訴え続けようとすることを「情緒的」とくくり、核による抑止、バランスこそ現実的、理性的となりがちな論法にはくみしえない。

 いったい何が「現実的」なのだろう。

 投票前日の15日、雨に冷えた東京の日本青年館で第18回平和・協同ジャーナリスト基金賞の贈呈式があった。

 奨励賞「ヒロシマ原爆地獄 日英二カ国語版」の編者、河勝重美(かわかつしげよし)さん(83)は大手電機メーカーの現地法人社長を務めるなど、長くドイツでビジネス界に生きてきた人だ。

 原爆のことは知らなかった。転機は、母校の旧制東京府立第五中学校(現都立小石川中等教育学校)の同級生で大手銀行に勤めた岡田悌次(ていじ)さんが戦後60年の05年、厚生労働省の呼びかけで初めて被爆体験を文章にしたことだ。

 岡田さんは英独仏語でも伝えたいと思い、河勝さんがドイツ語訳を引き受けた。

 戦争中、父の転任で広島の一中(現県立広島国泰寺(こくたいじ)高校)に転校した岡田さんは動員先の工場で被爆した。壊滅した街の猛火と焼けただれ変わり果てた人々の間を縫って歩いた。息詰まる光景だ。

 10歳ぐらいの清らかな少女が、不思議に無傷で橋に横たわり息絶えていた。思わず布やむしろをかけた……。

 友人が沈黙してきた体験を知った河勝さんは広島を訪ね、平和記念資料館で被爆者たちが描いた数々の原爆の絵に激しく心を動かされる。

 原爆の「現実」を語る多数のこの絵を、世界に知らせたい。ドイツの出版人が強く反応した。「何十万人死んだという数字や軍の報告書なども、娘の焼死体の傍らにぼうぜんとたたずむ両親の1枚の絵の前に影が薄い」。自分たちはこの絵のようなことを全く知らなかったと言った。

 体験記とともにドイツで出版され、さらに英語版(電子書籍)、日本語版、そして今夏「二カ国語版」を出した。

 本書には、やはり五中の同級生で、世界的な工業デザイナーである栄久庵(えくあん)憲司さんの体験記も収められている。栄久庵さんは広島にいた妹、次いで父を原爆症で失った。その創造活動には広島の焦土が原風景になっている。

 河勝さんらが編集も力を合わせた自費出版である。続ける。今後世界の核保有各国の言葉で出版したいという。

 記念資料館ミュージアムショップで2000円で販売されている。問い合わせ先は電話・ファクス0742・93・8065。(専門編集委員)

次回は1月8日に掲載します。

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