「男女平等」起草 ベアテ・シロタ・ゴードンさん死去

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130101/k10014547601000.htmlより、
憲法“男女平等”起草 ゴードンさん死去
1月1日 14時48分

終戦後、日本国憲法のうち男女平等をうたった条項などの起草に関わった、アメリカ人女性、ベアテ・シロタ・ゴードンさんが、30日、ニューヨークで亡くなりました。
89歳でした。
ベアテ・シロタ・ゴードンさんは、国際的なピアニストだった父親のレオ・シロタ氏が日本に招かれ、音楽を教えたのに伴って、1929年から10年間、日本で暮らしました。
その後、アメリカの大学に進み、終戦直後の1945年、GHQ=連合国軍総司令部で通訳や翻訳の仕事に携わりました。
そして、翌46年、まだ22歳の若さながら、日本国憲法のうち男女平等をうたう第24条など人権に関する条項の起草に関わりました。
ゴードンさんは、憲法が公布されたあとアメリカに戻り、ニューヨークの「ジャパン・ソサエティ-」に勤め、日米の文化交流に尽くしたほか、時折日本で講演を行うなどして、憲法の平和理念の重要性を訴えました。
ゴードンさんの親族がニューヨークの日本総領事館に伝えたところによりますと、ゴードンさんはすい臓がんを患い、ニューヨークの自宅で息を引き取ったということです。

http://mainichi.jp/select/news/20130101k0000e030119000c.htmlより、
訃報:日本国憲法起草のベアテ・シロタ・ゴードンさん死去
毎日新聞 2013年(最終更新 01月01日 14時32分)

 【ニューヨーク草野和彦】第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍総司令部)民政局員として日本国憲法の男女平等などの条項を起草した米国人女性、ベアテ・シロタ・ゴードンさんが昨年12月30日、膵臓(すいぞう)がんのため、ニューヨーク市内の自宅で死亡した。89歳だった。親族が毎日新聞に明らかにした。
 ゴードンさんは生前、「日本の憲法は米国の憲法より素晴らしい。決して『押しつけ』ではない」と主張し、9条(戦争放棄)を含む改憲の動きに反対していた。親族は、故人への供花をする代わりに、作家の大江健三郎さんらが設立した「9条の会」への寄付などを呼びかけている。
 1923年、ウィーン生まれ。有名ピアニストだった父が東京音楽学校(現東京芸大)に招かれたことに伴い、一家で来日。5〜15歳まで東京で暮らした。米国の大学に進学後に太平洋戦争が開戦。ニューヨークで米タイム誌に勤務していたころ、日本に残った両親の無事を知ってGHQの民間人要員に応募、45年に再来日した。
 25人の民政局員の中では最年少の22歳だった。憲法起草委員会では人権部門を担当。10年間の日本生活で、貧しい家の少女の身売りなどを見知っていたことから、女性の地位向上を提案。14条(法の下の平等)や24条(両性の平等)に反映された。
 米国に戻った後もしばしば講演などで来日。00年5月2日には国会の憲法調査会で意見陳述し、「日本国憲法は世界に誇るモデルだから50年以上も改正されなかった。他の国にその精神を広げてほしい」と訴えた。
 また、ニューヨークの日米交流団体「ジャパン・ソサエティー」などに勤務し、狂言の野村万蔵さん、版画家の棟方志功さん、茶道の千宗室さんらを米国で紹介。文化の橋渡し役としても活躍した。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013010101001215.htmlより、
ベアテ・ゴードンさん死去 日本国憲法の男女平等条項起草
2013年1月1日 13時04分

 【ニューヨーク共同】第2次大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)民政局のスタッフとして日本国憲法の起草作業に携わり、男女平等に関する条項を書き上げた米国人女性ベアテ・シロタ・ゴードンさんが昨年12月30日、膵臓がんのためニューヨークの自宅で死去した。89歳だった。娘のニコルさんが31日、共同通信に明らかにした。追悼式は後日行われる。
 ニコルさんは「母は生前、憲法の平和、男女同権の条項を守る必要性を訴えていた。改正に総じて反対だったが、この二つ(の変更や削除)を特に懸念していた」と語った。供物で弔意を示したい場合は護憲団体「九条の会」に寄付してほしいという。

http://www.jiji.com/jc/c?g=obt&k=2013010100081より、
ベアテ・シロタ・ゴードンさん死去=日本国憲法起草に従事

 【ニューヨーク時事】第2次大戦後、日本国憲法の男女平等に関する条項を起草したことで知られる米国人女性ベアテ・シロタ・ゴードンさんが12月30日、膵臓(すいぞう)がんのためニューヨークの自宅で死去した。89歳だった。関係者が31日、明らかにした。
 ゴードンさんは22歳の時、連合国軍総司令部(GHQ)のスタッフとして憲法案起草に従事。両性の平等を規定した24条など、人権に関わる条項を担当したほか、草案の翻訳作業にも通訳として加わった。
 1923年、オーストリア生まれ。著名なピアニストだった父レオ・シロタさんが当時の東京音楽学校(現東京芸術大学)で教職に就いたため、少女時代の10年間を日本で過ごした。(2013/01/01-11:09)

http://www.asahi.com/obituaries/update/0101/TKY201212310642.htmlより、
2013年1月1日2時5分
ベアテ・シロタ・ゴードンさん死去 憲法草案作成携わる

 【ニューヨーク=中井大助】第2次世界大戦後に連合国軍総司令部(GHQ)の一員として日本国憲法の草案作成に携わり、男女平等などの条文を盛り込んだベアテ・シロタ・ゴードンさんが昨年12月30日、膵臓(すいぞう)がんのためニューヨークの自宅で死去した。89歳だった。追悼式などは後日行う。
 長女のニコルさんによると、最期の言葉は日本国憲法に盛り込まれた平和条項と、女性の権利を守ってほしい、という趣旨だった。献花などを希望の場合は代わりに、憲法9条を守るため、作家の大江健三郎さんらが結成した「九条の会」に寄付してほしいという。
 1923年、オーストリア生まれ。著名ピアニストだった父のレオ・シロタさんが東京音楽学校の教授に就任したことをきっかけに29年に来日し、幼少期を日本で過ごした。

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