年のはじめに考える 「環視」という政治参加

http://www.asahi.com/paper/editorial.htmlより、
朝日新聞 社説 2013年1月5日(土)付
民主主義を考える―「私たち」を政治の主語に

 民主主義を考えたい。
 政治の病は、民主主義じたいが風邪をひいている表れのように思えるからだ。
 政治不信は深まり、政党の支持者は細った。人々は「支持」よりも「不支持」で投票行動を決めているようにみえる。根の枯れた政党は漂い、浮き沈みを繰り返す。
 不支持という負の感情を燃料に、民主主義はうまく動くのだろうか。政党が「共感を寄せてくれた大衆を失ってしまった」あの時代を体験した、政治哲学者の著作をひもとこう。
 ――共同体が壊れて人とのつながりを失い、見捨てられた思いを抱く大衆は、政党や利益団体の代表を始めとする「体制」に敵意を示す。敗戦や失業で不安が広がると、現実から目を背けさせてくれる物語を求める。
 だから、大衆は「ユダヤ人の陰謀」と戦うというナチスの虚構を信じた。ドイツ生まれのユダヤ人、ハンナ・アーレントは「全体主義の起原(きげん)」(1951年)で、そう読み解いた。

■「素人の知恵」集める
 どうすれば、人々と政治は、正の感情でつながれるのか。
 政治はサービス産業で、私たちは顧客。不満なら業者(政党)を代えればいい――。
 そんな感覚なら、幻滅を繰り返すだけだ。少子高齢化が進むいまの日本。だれが政権を担っても、満足なサービスを提供し続けるのは難しいのだから。
 だいいち、市民は客なのか。
 市民は陳情し、政治家は予算を引き出す。そんな関係を、ともに課題解決にとりくむ仲間に変えよう。東京都港区議の横尾俊成さん(31)はそう試みる。
 選挙公約には、市民との対話で出た提案を列挙した。
 けがをさせまいと遊び方を制限したりせず、やんちゃし放題の公園。駐輪場で自転車を借り、別の駐輪場で乗り捨てられる仕組み。実現に動き出すと、提案者から「できるんだ!」と喜びの声が上がる。
 インターネットでも、「若者の投票率を上げる施策」や「まちの掲示板の新しい使い方」を一緒に考えようと呼びかけ、議会につなぐ。
 「これまでは自治会や利益団体の代表の声が『民意』で、若い人の声は届かなかった。でも若者の課題を知っているのは若者自身。1人の偏った代表者より、100人の『考える素人』の知恵を集めることです」
 知恵を引き出すのが、政治家の役割だと横尾さんは考える。
 自分たちですてきな未来を創るには、暗いニュースより優れたアイデアを伝えるメディアが必要だ。NPO法人「グリーンズ」の鈴木菜央代表理事(36)はそう考えて、ウェブマガジン「greenz.jp」を発刊した。
 たとえば、こんな事例を紹介している。

■つながり直しで解決
 フランスのデザイナーのウェブサイトでは、帽子やマフラーを編んでくれるおばあちゃんを指名できる。ロックが好き、といった情報や写真で選ぶ。客が感謝を伝え、おばあちゃんとの交流が始まる。
 「人のつながりが希薄な社会になり、『つながり直し』で課題を解決する動きが広がっている。シェアハウスも、洋服を交換するネットワークもそうだ。ただ、そんな動きを後押しする政策を提言しようにも、市民と政治の距離はあまりに遠い」
 距離を埋めるため、「せんきょCAMP」運動を始めた。衆院選前後の1カ月間は東京・渋谷のビルのフロアを借り、だれもが参加できる対話の場に仕立てた。
 「他人ごと」な政治を「自分ごと」にするため、「ほしい未来は」「あなたは何ができる」を話し合い、政治家を含むゲストと意見を交わす。呼応する動きは全国15カ所に。参院選に向け、さらに広げたい考えだ。
 いまの政治について尋ねると、こんな答えが返ってきた。
 「永田町という狭い農場で、痩せた土にニンジンを植え、枯れたら赤カブに換える、なんてことを繰り返しても仕方ない。市民の対話を広げ、参加の場を無数に用意し、各地に豊かな生態系を育むことです」

■有権者から主権者へ
 期待に応えぬ政治を嘆き、救世主を待つのは不毛だし、危うい。簡単な解決策を語る者は、むしろ疑うべきだ。
 市民みずから課題に向きあい、政治に働きかける。政治は情報公開を進め、市民の知恵を採り入れる仕組みを整える。
 投票するだけの有権者から、主権者へ。「民」が主語となる本来の民主主義へと一歩、踏み出すしかない。
 横尾さんは、街を掃除する若者たちのNPO法人「グリーンバード」代表でもある。全国や海外で43チームが活動する。
 「みんなで汗をかき、周りから『いいね!』と言ってもらえるのは楽しい。政治もみんなで楽しく、かっこよくやりたい」
 賛成だ。私たち自身が主語ならきっと、民主主義は楽しい。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013010502000102.htmlより、
東京新聞【社説】年のはじめに考える 「環視」という政治参加
2013年1月5日

 日本の政治が再始動しました。今年夏には最大の「決戦」である参院選を迎えます。政治が国民の望まぬ方向に進まぬよう、しっかり「環視」せねば。
 安倍晋三さんにとっては、六年ぶり二度目となる首相としてのお正月です。年末年始の休みには十分英気を養い、今年一年、日本政治のかじをどう取るのか、構想を練ったことでしょう。
 公約を破り、政権運営にも誠実さを欠いた民主党から自民党への政権交代。参院選までの約半年間に、国民の暮らしが上向く見通しを付けなければ、ねじれ国会による政治の混乱が続くという緊張感の中での始まりです。

責任の大半、自民に
 安倍内閣の仕事始めは恒例の伊勢神宮参拝と年頭記者会見です。
 首相は会見で、越年した二〇一三年度予算案の編成について「民主党政権で水膨れした歳出の無駄をカットし、内容を大胆に重点化する」と語りました。
 国と地方の借金が一千兆円近い危機的な財政状況では予算全体を見直し、無駄を削り、本当に必要な事業に投入するのは当然です。
 しかし、自民党政権にそれが本当にできるのか、完全には信用できない。行政の無駄遣いを続け、国の借金をそこまで膨らませた責任のほとんどは、長年政権を担ってきた自民党にあるからです。民主党批判には何の意味もない。
 当面の注目は一二年度補正予算案です。消費税増税の前提条件となる景気回復を確実にするためなのでしょう。十兆円規模という大型ですが、公共事業のバラマキだけは避けるべきだ。
 公共事業は景気が一時的に回復しても、経済全体への波及効果は限定的。消費税増税後に景気が冷え込み、国民の暮らしが疲弊しては目も当てられない。策定中の緊急経済対策は、民間経済の活性化を重視する内容にすべきです。

「お任せ」を脱して
 昨年八月に消費税増税法が成立した後、どうも財政のタガが緩み始めてはいないか。
 東日本大震災からの復興とともに首都圏直下型や東海、東南海、南海三連動での地震が想定される中、防災・減災対策は急務です。
 「国土強靱(きょうじん)化」という呼び名はともかく、国民の命と財産を守るための社会資本整備という国の役割に、予算が正しく使われるのなら、国民も納得がいくでしょう。
 しかし、前政権で復興予算の流用が明らかになったように、どうも日本の行政組織は、隙あらば、自分たちの都合いいように予算を使う傾向があるようです。
 国民の負託を受けた国会議員がそれを監視するのではなく、官僚に丸め込まれて予算の膨張に手を貸すようなことは許されません。
 長年、政官財癒着構造のど真ん中にいた自民党には正念場です。自民党が「生まれ変わった」というのなら、建設業界や農業団体など、ときに自らの支持基盤にも、痛みを強いるような大胆な改革も必要ではないでしょうか。それができないのなら「古い自民党」の看板を甘受するしかあるまい。
 もちろん選挙は国民の厳粛な選択です。しかし、小選挙区制中心の衆院選挙制度は、政権交代の可能性を高める分、民意を正確に反映しないという欠点もあります。
 国民が望む政治の実現には、選挙後はすべて議員に委ねるという「お任せ民主主義」を脱し、声を出し続けることが必要です。
 首相は年頭会見で原発の新規建設について「直ちに判断できる問題ではない。ある程度、時間をかけて検討する」とも述べました。
 自民党は昨年の衆院選で、三年間は最大限、再生可能エネルギー導入、省エネ推進を図り、持続可能な電源構成の組み合わせを十年以内に確立すると公約しました。
 原発稼働継続の容認と受け止められましたが、稼働継続を堂々と掲げて信任されたわけでもない。原発稼働継続に批判が高まれば、自民党政権といえども再稼働強行や新設などできないでしょう。
 そのためにも国民が思いを声に出して、政治に携わるものに届ける。何よりも大切なことです。
 国民が無関心を決め込んだ瞬間、政治は暴走を始め、国民を苦しめる側に回ります。

主権者は国民自身
 憲法改正や集団的自衛権の行使容認を掲げる自民党ですが、参院選で勝つまでは、そうした「安倍カラー」は抑えるのでしょう。
 そんな政権の狙いに惑わされたり、ひるんだりする必要はありません。国会議員の当落や政治の在り方を決めるのは、あくまでも主権者たる日本国民自身です。国民の思いから遊離した政治などあり得ないし、許されてはならない。
 投票が終わっても政治の成り行きを「皆で見ているぞ」という政治参加、「環視」する態度こそが暴走を阻む力になるはずです。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130105k0000m070107000c.htmlより、
社説:2013年を展望する 受益者が社会を変える
毎日新聞 2013年01月05日 02時30分

 木漏れ日が差す丘陵の道を上っていくと、コロニー(入植地)の面影を残す施設群が現れた。千葉県袖ケ浦市にある千葉福祉園は1943(昭和18)年に建設された。戦火が激しくなる時期、東京都内の障害児を収容するため房総の森を切り開いて造られた「都外施設」である。古い時代の空気がそこはかとなく漂っているが、今も東京都内の障害児者ら約600人が暮らす。
 福祉にとっての「疎開」は戦争が終わってから加速する。北海道から九州や離島まで、地価の安い地方に入所型の施設が建設され、都市の高齢者や障害者、親のない子どもたちが送られた。地方にとっても雇用の確保につながった。

危機の本質を見よ
 日本経済が隆盛を極め、バブルで踊ったころも疎開は続いた。成長に必要な人材やカネや情報を都市に集め、必要ないと思われた人々を地方に追いやって、この国は繁栄を求めてきたのだ。
 時は移り、今は都市部の猛烈な高齢化と人口減少に直面している。坂の上の雲をめざして走り続けてきたつもりが、ふと気づくと下り坂で足がもつれているかのようだ。年金や高齢者医療への国民の不安や不満が高まり、その風を巧みに取り込んだ民主党が政権交代を果たした。しかし、3年3カ月の間、民主党の社会保障政策は一体改革を除いてほとんど成果を上げないまま終幕した。
 制度をどう改変しても、人口構造の下り坂を以前の上り坂に戻すことはできない。危機の本質は、受益者と負担者のバランスの急激な変化である。制度のほころびを繕うことは当然だが、いたずらに危機感をあおり、根拠の不明瞭な改革案を政治に利用しようという時代は終わりにしなければなるまい。
 現実に向き合おう。少子化や子育て支援、若年層の雇用など負担する側の土台を再構築することが最優先課題だ。年齢で受益者と負担者を区分けするのではなく、元気で意欲のある高齢者は働き続け、経済的余裕のある人には負担もしてもらわねばならない。福祉を受給する側から社会を支える側に回るのは財政の都合だけではない。本当の意義を理解するために、この時代に生きる私たちの意識が変わらなければならない。
 「トリクルダウン」とは、金持ちがさらに富めば底辺の貧困者にも自然に富が滴り落ちるという新自由主義の政治思想だ。企業の内部留保や投資家への還元が優先され、底辺には滴り落ちてこないではないかとの批判は強いが、戦後の復興から今日まで国全体が繁栄してきたことで高齢者や障害者の暮らしもまた守られてきたとは言えるだろう。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130105k0000m070107000c2.htmlより、
 ところが、低成長で水源の水位は下がり、滴を受ける高齢者らは増え続けている。経済がグローバル化し企業や投資家の利潤と国家の繁栄が必ずしも一致しない時代にもなった。これからは滴が落ちるのをただ待っていては落胆するだけだ。期待が裏切られたと怒っても世間の賛同をどれだけ得られるだろう。
 むしろ辺境や底辺から変革を見せる時だ。鹿児島県にある「やねだん」という集落ではお年寄りたちがおいしいイモ焼酎を造って韓国の高級ホテルに輸出している。収益を福祉の必要な住民に還元し、海外からも注目されている。「行政や補助金に頼っても感動がない」と住民のリーダーは言う。

多様性が未来を開く
 栃木県足利市の障害者施設では山一面をブドウ畑にしてワインを年間16万本生産している。しゃれたカフェレストランには県外から多数の客が訪れ、収穫祭には東武鉄道が浅草から特別電車を運行している。長野市の社会福祉法人は善光寺前の白壁の蔵をフランス料理のレストランに改装して障害者の働く場にしている。北海道では障害者たちが外国のコンクールで金賞を受賞したチーズを生産したり、日高昆布をネット販売して大きな収益を上げたりする精神障害の人々もいる。
 高性能・均質・大量生産という成長の原理にはなじまなくても、これらの高齢者や障害者の活動には豊かで多様な自然、郷土の伝統産業や文化がある。モノへの消費は停滞しても、楽しいこと、おいしいもの、貴重な体験への需要は増えている。そうした需要に応える活動が各地で展開されていることに注目すべきだ。
 すぐにお金に結びつかなくてもいい。「どんなに高齢になっても働いたりボランティアしたりすることが一番いい」とさわやか福祉財団の堀田力さんから聞いた。悩みのある人の相談に乗る傾聴ボランティアなら寝たきりの人もできる。認知症のお年寄りたちが通学路を散歩コースにして小学生たちの安全を守ることに役立った例もあるという。
 「ありがとう」「助かるわ」と住民から感謝されるお年寄りたち、目を丸くしてお年寄りの昔話を聞く子どもたちの姿を想像してみよう。社会に参加し、必要な存在と認められることがお年寄りの自尊心を高め、生きがいにつながっている。
 まだ、ささやかな実践ではあるが、さまざまな価値を包摂した多様性の中にこそ、未来を開くカギが見つかるかもしれない。

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