時代を駆ける:鳥越俊太郎 1~5 絶対、戦争「NO」

http://mainichi.jp/opinion/news/20130108ddm012070161000c.htmlより、
時代を駆ける:鳥越俊太郎/1 完走「自分をほめたい」
毎日新聞 2013年01月08日 東京朝刊

 ◇SYUNTARO TORIGOE
 テレビでもおなじみのジャーナリスト、鳥越俊太郎さん(72)が、昨年12月9日のホノルルマラソンを完走した。古希(70歳)を過ぎたランナーはいまや珍しくないが、7年半前に大腸がんが見つかってから4回の手術を受けてきた、「ステージ4」のがん患者でもある。

 《歓喜のゴールだった》
 ゴールした瞬間にまず思い出したのは、アトランタ五輪銅メダリストの有森裕子さんが言って有名になった「自分をほめたい」というせりふでした。私も今回だけは自分をほめたいと思いましたよ。本当によくやったと。何回もやめようかと、やめたらいいだろうな、と思いましたから。
 体はぼろぼろでした。足の裏、指のマメが破けて靴底に血がたまっていたようだったし、ふくらはぎや腰のひどい痛みはずっとひかない。でもなぜか頭はハイテンション。ダメな下半身を元気な上半身で引っ張っていたという感じでしたね。42・195キロはやっぱり過酷です!走ってみて分かりました。

 《完走する自信は、もちろんあった》
 それでも実は、日が近づくに連れて弱気になってきてました。7年前に大腸がんの手術をしたけれど、あの時はなんだか遠足にでも行くような気持ちでした。ところが、今回は前日、プレッシャーでどきどきで。

 《マラソン挑戦は昨年の初めに決めたという》
 古希を過ぎて、「残り時間はもうあまりない」と、特にがんになってから痛切にそう思うようになりました。ならば毎年、それまでやったことのないことに挑戦していかないと人生楽しくないだろうと。まずは体を鍛えるジム通い。それからダンス。人生初のパーマもかけてみましたが、これはまったく似合わなくて失敗でしたね(笑い)。その流れで12年のテーマを探していて偶然、何かの記事で「ホノルルマラソン」を見つけて、これだと決めました。
 この大会、時間制限がないのがいい。フェイスブックに書いたらどっとみんながアドバイスをくれて、TBSも取材するというし、もう引くに引けなくなっちゃった。

聞き手・滝野隆浩 写真・宮間俊樹/5回掲載します

 ■人物略歴
 ◇とりごえ・しゅんたろう
 福岡県出身。毎日新聞テヘラン特派員、サンデー毎日編集長などを経て、49歳からテレビで活躍。近著は「がん患者」(講談社)

http://mainichi.jp/opinion/news/20130109ddm012070040000c.htmlより、
時代を駆ける:鳥越俊太郎/2 「挑戦」で人生を楽しく
毎日新聞 2013年01月09日 東京朝刊

 ◇SYUNTARO TORIGOE
 《ジム通いは2年8カ月になる》
 毎日新聞記者時代の皇居1周(約5キロ)。これが人生で走った最長距離でした。運動なんてほとんどやってこなかった。それが週に3回、2時間みっちり。食事を含めた指導を受けて続けてます。だんだん筋肉がついてくるのが分かる。70歳超えても鍛えれば筋肉はつくもんなんだね、これは喜びであり、驚きですよ。歩くのが楽になったし、飛行機に乗っても頭上の収納棚に手荷物を楽にひょいって感じで入れられるようになりました。

 《ホノルルに向けて、長距離のトレーニングも行った》
 一度、マラソンの距離感を体験したいと思って、東京・品川の事務所から自宅のある小金井市まで歩いてみました。お茶やアイスクリーム、飲んだり食べたりしながらですけど、40キロ弱。それから、1周約2キロの駒沢公園(東京・世田谷)を10周。あの2倍か、という感触は持って臨みましたが、本番はやはり後半がきつかった。ダイヤモンドヘッドのだらだらと続く上り坂とか。とにかく完走だけが目標でしたよ。

 《「達成する、ということがお好きで、クリアしてすぐ次の目標をみつけようとされます。気持ちが若いですね」。東京・六本木のジム「トータル・ワークアウト」のパーソナルトレーナー、池澤智さんの言葉だ》
 新しいことに挑戦していかないと、残りの人生、楽しくないだろうな、と思う。達成できたら快感が得られるし、やれなくてもチャレンジするというだけで、気持ちが奮い立たされることになる。その気持ちが大事なんですよ。
 でも、僕はね、努力っていうのが嫌いなんです、昔から。こつこつまじめに、イヤなことなのにやらなきゃならないってのが大嫌いなんです。僕は好奇心が旺盛だから、好きなことだけをとことんやっていく。それが僕の人生でした。だから、いままで悲観的になったことは一度もないんです。能天気ともいえるけれど、常に楽天的。がんになったときでさえ、半分以上は「しめた!」って思ってましたから。「しめた、これでがんの本が書ける」って。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130110ddm012070039000c.htmlより、
時代を駆ける:鳥越俊太郎/3 がんを淡々と受け止め
毎日新聞 2013年01月10日 東京朝刊

 ◇SYUNTARO TORIGOE
 《ホノルルマラソン前日の参加者セミナーに特別出演。がん患者としての苦労を吐露する場面もあった》
 がんの手術で直腸を約20センチ切除しました。直腸は便をためておくところで、ないとすぐ便が出てきてしまう。だから、前の日は1日絶食です。東日本大震災の被災地を取材したときもそうでした。被災地にはトイレなんかありませんから。こんな人はマラソンなんか出ちゃいけないんでしょう。でも、出たい。苦しいことがあっても、それを乗り越えてみたかった。

 《最初のがんは05年に見つかった》
 トイレで出血があって、徐々に異変は感じていました。内視鏡検査をやってもらって、自分でも見ましたよ、3センチ大の腫瘍です、ぎょっとしました。ああ、がんだったんだと。ぼうぜんとしましたが、ショックはそんなになかった。入院の日にテレビで普通に公表できましたからね。07年に肺へ、それから09年には肝臓に転移がみつかり、4回目は切開手術でした。でも性格なのかな、くよくよしたってしょうがないと思った。だって人間100人いたら、100人死ぬ。もちろん症状や進み具合はさまざまだし、いきなり末期がんがみつかる場合もあるから一概には言えないが、私はがんである事実を受け止めて、一番いいと思われる過ごし方を考えようと思いましたね。

 《仕事部屋の机には文庫の「方丈記」や、東京大空襲の焼け跡を歩いて書かれた堀田善衛の「方丈記私記」が置いてある。死を淡々と受け止めようとする心の背景には、少年時代の体験がある》
 故郷の福岡県吉井町(現うきは市)で小学6年生のころだったか。友達とお寺の裏の墓地で鬼ごっこかなにかで遊んでいて、隠れていた墓のフタ石がずれていた。思わずのぞき込むと、茶色い素焼きのつぼの中に、白い骨が見えた。衝撃だったね。わぁーって叫び声を上げて走り出したんだけど、「死」というものを明確に意識したんだ、そのとき。人間、じたばたしたって最後は骨だって。それから、僕の人生には「所詮」って言葉が付きまとう。だから、「方丈記」なんですよ。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130111ddm012070045000c.htmlより、
時代を駆ける:鳥越俊太郎/4 真珠湾で考える平和
毎日新聞 2013年01月11日 東京朝刊

 ◇SYUNTARO TORIGOE
 《大会前々日の昨年12月7日、鳥越さんはオアフ島内の真珠湾に行った。71年前のこの日、日本軍の奇襲攻撃があった。沈没したままの米戦艦の上に「アリゾナ記念館」が建てられている。湾を望むメモリアルゾーンにたたずんだ》
 (展示されている)戦艦アリゾナのいかり下に「おれたちは忘れんぞ」と刻んである。すごいね。アメリカ人にヒロシマ・ナガサキの話をすると、必ずこのパールハーバーを持ち出してきます。でも、犠牲者数のケタが違うし、何よりこっちは軍施設だもの。市民を巻き込んだ無差別攻撃とは明らかに違いますよ。

 《京都大学では国史学を学んだ。特に明治期に興味があるのは、日本が維新以後、日清、日露、日中、太平洋の4度の戦争を戦ったからだ》
 先日、製本された自分の卒論を手に入れました。副題が「明治期に於(お)けるブルジョワ民族主義」だって! 自由民権運動が弾圧されていく過程を書いたはず、もう内容は忘れてしまいましたが。あるとき、ふと気づいた。明治元(1868)年から数えて昨年(2012年)は144年、そして僕は72歳ですから、日本の近代史のちょうど半分を生きているんです。そう思えば、短い。
 その中で日本は4回もの戦争をした。戦争を避けることはできなかったのかと、常に考えています。いや、避ける道はあったはずだけれど、特に日中戦争から太平洋戦争に至る道は軍人も政治家も言論人も、全国民が火の玉になって戦争に突入していった。

 《メディアも戦争に協力した。だから今、ジャーナリストとして決めていることがある》
 最近、領土問題が議論され、北朝鮮が弾道ミサイル実験などしていると、勇ましい意見が必ず出てきます。アメリカと一緒にあいつらたたきつぶせ、と。だけど絶対、戦争はしてはならない。僕は最後の1人になっても、どんな状況になっても「NO」と言い続ける。それが僕が自分の胸に突きつけているあいくちです。NOと言えなくなったら死ぬ。それが戦争を知っている、歴史学を学んだ一人の人間としての、僕の気持ちです。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130112ddm012070040000c.htmlより、
時代を駆ける:鳥越俊太郎/5止 患者同士で前を向く
毎日新聞 2013年01月12日 東京朝刊

 ◇SYUNTARO TORIGOE
 《ホノルルマラソンでは、レース中に出会いがあった》
 走っている最中にいろんな人から声をかけられました。それがとても励みになりましたね。ありがたかった。がん患者で走っている人も多くてね。その人たちと会話しながら前に進む。「自分は胃がんを切ったのに転移してしまっていま抗がん剤を打っている」とか、「肺がんが見つかってハワイから帰ったら手術します」「そりゃあ早くしたほうがいいよ」とか。まるで、「走るがん相談室」でしたよ(笑い)。そうやっているとね、不思議に距離のしんどさが忘れられたんです。
 人生と一緒でね、何かにトライしてそれを克服することで強い心を得ることができると、僕は思っている。がんにかかるとどうしても気持ちがなえてきて負けそうになる。でも、そんな人が過酷なマラソンを完走できたら、おそらくがんに対しても「簡単には弱音は吐かんぞ」と思えるようになるのかもしれません。

 《ほかのがん患者のために走っている?》
 いや、そんなことはありません。最初はまさに、自分が走りたいと思ったから。ただ、半分あとづけの理屈に聞こえるかもしれませんが、同じようにがんを抱えている人はたくさんいるわけで、その人たちとその家族に向けて、いろんなことに挑戦している僕の姿を、ありのまま、なんの装飾もなく見せられればと、大会前に思うようになりました。少しは参考になるかな、励ましとか勇気づけになるかな、と。

 《一昨年出した「がん患者」(講談社)では、ジャーナリストの視点で患者やその家族の心理まで描いてみせた》
 がんになってよかったと、心から思いますね。自分の健康とか命とか人生とかについて、改めて見直すきっかけになった。ならなかったら、深く考えることはなかったもの。無病息災というけれど、実は一病息災ですよ。どこかに問題を抱えたとき、人は自分の健康のこと、友人のこと、やり残した仕事のことを考えます。そして家族との絆も間違いなく深まった。それはみんな、がんになったお陰ですよ!=鳥越さんの項おわり

http://mainichi.jp/opinion/news/20130115k0000m070102000c.htmlより、
記者の目:鳥越俊太郎さんのマラソンに伴走=滝野隆浩
毎日新聞 2013年01月15日 00時21分

 「がんになってよかった」。4度のがん手術を経験したジャーナリストの鳥越俊太郎さん(72)の言葉がずっと気になっていた。日本人男性の2人に1人、女性の3人に1人ががんになる時代。「身近な病気」なのだろうが、「なってよかった」というのはどうだろう。昨年12月9日に行われたホノルルマラソン。私はその真意を確かめたくて、ゴールを目指す鳥越さんの背中を追い続けた。

 ◇「がんになってよかった」の意味
 70歳をすぎて「人生の残り時間」というものを痛切に感じてから、鳥越さんは毎年、新しい何かに挑戦することにした。昨年の目標がマラソン完走。ホノルル大会は制限時間がないからいいという。だが、それにしても42.195キロを走るマラソンは過酷なはずだ。学生時代、陸上競技部で毎日10キロ前後走っていた私でも、この距離は不安だった。本音は聞き出せないまま、本番を迎えた。

 ◇がん体験を走りながら語り合う
 大会当日、午前5時。まだ暗いアラモアナ公園のスタート地点。号砲と同時に花火が上がる。最初の10キロは好調そのもの。5分走って10分歩く。ペースを守って進む。ワイキキビーチを通ってダイヤモンドヘッドを上るころ、夜が明けた。下り坂のあとはハイウエーを使った単調なコース。足を少し引きずり始め、ペースは乱れる。「止まったらいいなとかいうのは途中何回かあったね」。レース後、鳥越さんは振り返った。
 <走る>という行為は、特に競技になると、自分の体との対話になる。続けるのも、止まるのも自分しだい。必ず悲鳴を上げてくる筋肉、けん、骨、肺、内臓との孤独な話し合いである。26キロすぎ、ハワイカイの閑静な住宅地で、鳥越さんはとうとうシューズを脱いだ。足先の皮がむけているという。「あと半分。下半身はぼろぼろだけどいくしかないね」。自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
 そのあとすぐ、転機が訪れる。
 同年輩のランナーが近づいて来た。東京都墨田区の東壮志さん(69)。伴走しながら語り始めた。胃がんがみつかったのが6年ほど前。転移もみつかり、「もう長くない」と主治医から言われたが、病院を代えて別の抗がん剤にしたらそれが合っていたみたいで……。私は絶句した。なぜこの2人は深刻ながん体験を、朝日を浴び、走りながら話しているのか。しかも初対面なのに。鳥越さんはそうかそうかとうなずいている。「じゃあ、お先に」という東さんを追いかける。「還暦でマラソンを始め、その間にがんになって。でも、10周年の来年もぜひホノルル走ります」と東さん。「走っている主人は輝いています」という奥さんの顔も誇らしげだった。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130115k0000m070102000c2.htmlより、
 そのあと、肺がんの人も話しかけてきた。肩を並べて進みながら、手術は早くしたほうがいいよ、とアドバイスまでしている。「まるで、“走るがん相談室”だったね」

 ◇「同志」との交流励まし合う力に
 ランナー患者たちとの交流のあと、鳥越さんは目に見えて元気になった。本人は気づいていないかもしれない。でも、背中を見ていた私には分かる。ひたすらゴールを目指す途中の、初めて出会った同士、ただ「がん患者」という一点が共通しただけの交感の中で、ランナーはエネルギーのやりとりをしていたのだろうか。28キロ地点であえて聞いてみた。どうして初対面なのに−−「それはね、死のふちをのぞいた者だけにしか分からない世界なんだよ」。

 08年に亡くなった作家の俵萠子さん(享年77)のことを思い出す。俵さんは乳がん患者だった。亡くなる直前、本人から不思議な話を聞いた。「初対面の女性から『あなたは何年目』といきなり聞かれた。でも、乳がんを抱えていたらそのひと言だけで、その何年間のつらさとか苦しさ、悔しさが一瞬で共有できるのよ」。俵さんはその出会いをきっかけに、がん手術で乳房を失った女性に呼びかけ、一緒に温泉に入る会をつくることになる。
 カハラの高級住宅地を抜けて、あと約5キロ。鳥越さんのいう「がんになってよかった」とは何か。体をいたわり節制もし体調はむしろよくなる、家族との絆も深まるという意味はある。ただ、もうひとつあると私は感じた。病と付き合いながら、命をていねいに生きている「同志」たちとの交流のようなもの。一人の人間として励まし合う。それは人生のラストステージを歩む人にとって、かけがえのない財産なのかもしれない。
 ゴール。感動はその瞬間より、あとでじわっと訪れる。8時間19分55秒。目標タイムより遅れたが、そんなことはたぶん、ささいなことだった。(東京社会部)

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