サイパンで見た「小さすぎる戦車」 岩見隆夫氏

http://mainichi.jp/opinion/news/20130116org00m010001000c.htmlより、
サンデー時評:サイパンで見た「小さすぎる戦車」
2013年01月16日

 ◇岩見隆夫(いわみ・たかお=毎日新聞客員編集委員)
 昨年の大晦日、常夏のサイパン島にいた。船旅の寄港地である。前日、グアム島に上陸、北上してロタ島、テニアン島を右舷に見ながら着いた。

 サイパンの正式名称は米国自治領北マリアナ連邦、グアムが最大で、二番目のサイパンは東京二十三区より少し小さいくらいだ。年間通じて気温の差がほとんどなく、平均約二五度、周囲をサンゴ礁に囲まれ、美しい。

〈玉砕の島〉

 としてだれでも知っているが、訪れるのははじめてだった。

 高齢者向きの〈サイパン半日車窓観光〉のバスに乗り、ラストコマンドポスト(旧日本軍最後の司令部跡)、バンザイクリフ、砂糖王公園(日本統治時代にサトウキビ産業で財をなした砂糖王・松江春次の記念公園)の三カ所を駆け足でめぐった。

 車窓の風景はのどかそのものだが、中年日本人女性のガイドさんが語る玉砕悲話は胸に刺さる。ことに北端のバンザイクリフ(崖)、絶壁には米軍の艦砲射撃でえぐられた大きな穴がいくつも残っていた。

「みなさん、『天皇陛下バンザイッ!』って叫んで……。女子学生は手をつないで〈仰げば尊し〉を合唱し、歌い終わったところで飛び込んだそうです。お母さんたちも、子どもを先に投げたり、抱いたりして……」

 などとガイドさんの話には次第に熱がこもり、車内はシーンとなる。近くの空き地には、日本軍の兵器類の残骸が、放置されているのか、陳列しているのか、散らばっていた。なかに赤茶けた小型戦車が鉄くずのようになって一台。

「これは二人乗りで、一人が操縦し、一人が射撃するのです。あのころはクーラーなんかなく、車内は三五度くらいあったそうで、もう大変でした」

 と、きのうのことのように言う。それにしても、本当に二人乗れたのかと思うくらい、小さい豆タンクだ。米軍との物量の差を見せつけているように思えた。

「これが日本です」

 というガイドさんの言葉があとまで耳に残った。

 サイパンに米軍が上陸したのは敗戦前年の一九四四(昭和十九)年六月十五日である。この島は旧軍の大本営が設定した絶対国防圏で、海軍にとっては最重要拠点だった。だから、海軍は総力戦を展開したのだ。

 日本軍三万に対して米軍七万、十九日から二十日にかけてのマリアナ沖海戦では、日本側が虎の子の空母三隻を失うなど壊滅的打撃を受けた。地上戦でも物量の差はいかんともしがたく、七月七日最後の攻防戦で日本軍守備隊は全滅、非戦闘員約一万人も道連れとなる。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130116org00m010001000c2.htmlより、
 追い詰められて次々に身を投げた悲劇のバンザイクリフが観光名所になっているのは釈然としない。しかし、それでも戦争とは何かを語るアカシとして残してほしい、とも思う。

「これが日本です」

あの無謀に通じるもの

 当時、大本営はサイパン玉砕を隠していたものと私は思っていた。だが、玉砕から十一日後に発表したという。帰国して調べてみると、七月十九日付の『毎日新聞』には、

〈サイパン全将兵 壮烈なる戦死

 三指揮官を陣頭に

 七日最後の突撃

 戦闘参加邦人も共に〉

 の大見出し。その横には、一段と大きい活字で、

〈東條首相力説

 決戦の機は来れり

 誓って敵を撃摧せん〉

 の見出し。記事は、

〈真の戦争はこれからである。一億決死の覚悟を新たにし、……究極の勝利を獲得し、以て聖慮を安んじ奉らんことを……〉

 と結んでいる。

 ソロモン諸島のガダルカナル島激戦以来、〈敗北〉を〈転進〉などと言い換え、劣勢を隠し続けてきたのを、サイパン玉砕を境に発表に踏み切ったのは、さらに過酷な戦いに備えるよう、国民に覚悟を促す狙いからだった。しかし、米軍の上陸は翌年にかけ、レイテ島、ルソン島、硫黄島と続き、そしてついに四五年六月、沖縄本島の全滅に至る。

 一方、サイパン占領によって有力な航空基地を確保した米軍は、四四年末からB29爆撃機による本格的な日本本土への空襲を始めたのだ。翌四五年八月、原爆搭載のB29が広島、長崎に向け飛び立ったのは、隣のテニアン島からである。

 ところで、七十年近く前、日米戦争の転回点となった運命の島、サイパンを一度は訪れたいと思い続けてきたのは、当時すでに生をうけていた日本人(私は玉砕の時、八歳)としての礼節のような感情かもしれない。一つ荷物を降ろした気分になった。かわって、ガイドさんの、

「これが日本です」

 という言葉がひどく引っかかる。もちろん、ちっぽけな戦車の残骸を指して、である。こんな貧弱な装備で豊かな超大国・アメリカを敵に回した日本の無謀を、現地に暮らす日本人の実感として口にしたものだ。

 しかし、この短い言葉は、いまの日本にも当てはまるのではないか、と私は思う。かつての敵国は戦後同盟国になり、今日に至るのだが、この選択に誤りはなかった。戦後、とにかく平和が続いたことが証明している。

 だが、平和が脅かされる事態がいつの日か発生した時(発生しかかっているのかもしれないが)、日本は大丈夫だろうか。安倍晋三首相が、

「国防軍の創設……」

 と言っただけで、右傾化批判が巻き起こる。批判は構わないが、批判する人たちは自分の国は自分で守る、という当然のことをどこまで突き詰めて考えているのだろうか。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130116org00m010001000c3.htmlより、
 暮れに、北朝鮮は大陸間弾道ミサイルの発射に成功したが。直前に当時の藤村修官房長官が、

「さっさと上げてくれればいいのに」

 と軽口をたたいて、唖然とさせた。この平和ボケ症状は、かつて〈小さすぎる戦車〉で刃向かった無謀に通じるものがある。

<今週のひと言>
 世の中、動き出したような。
(サンデー毎日2013年1月27日号)

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