時代の風:ネット時代の教育現場 山極寿一氏

http://mainichi.jp/opinion/news/20130120ddm002070088000c.htmlより、
時代の風:ネット時代の教育現場=京都大教授・山極寿一
毎日新聞 2013年01月20日 東京朝刊

 ◇実践力学び、信頼醸成−−山極寿一(やまぎわ・じゅいち)
 人間とはおせっかいな動物だとつくづく思う。相手が困ってもいないのに忠告したり、手を差し伸べたりする。相手が気づいていないことをわざわざ伝え、必要以上の物を用意して与える。その典型的な行為が教育である。

 人間以外の動物は、たとえ相手が自分の子どもであっても教えたり訓練したりすることはめったにない。唯一、教える行為が知られているのは猛禽(もうきん)類や食肉類だ。ミサゴの親鳥はせっかく捕らえた魚をわざわざ放して幼鳥に捕獲させようとする。ライオンの母親は追い詰めた獲物を捕らえずに子どもに追跡させる。

 でも人間に近いサルや類人猿にこういった行動は見られない。わずかに、チンパンジーの母親が硬いナッツを木の枝を使って割るときに、ゆっくりとその動作を繰り返して子どもに確認させた、という観察が報告されているに過ぎない。

 このことから、獲物を捕らえたり、道具を使う技術以外に、動物は教える必要がないことがわかる。人間も霊長類の一種で、もともとは植物が主食である。狩りや道具が必要になるまで、教育とは無縁だったに違いない。しかも人間以外の動物では、親子の間以外に教えるという行為は見られない。それは何かを教える際に自分が損をすることが多いからである。自分が不利益を被ってまで教えようという動機をもつのは親以外にはありえないのだ。

 ではなぜ、人間は親子でもない赤の他人が一生懸命教えようとするのだろうか。それは人間が他者の中に自分を見ようとする気持ちや、目標をもって歩もうとする性質をもっているからだと思う。そして何よりも、動物の親子のような信頼関係を、見ず知らずの他人との間にも作ることができるからである。

 動物たちは教えられなくても必要なことを学ぶ。持って生まれた能力を自分が暮らす環境に合わせて発揮していく。その指針として仲間の行動を参照することがある。でも仲間の行動をすぐにそっくり真似(まね)ることはできない。俗にサル真似というが、実はサルには真似はできないのである。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130120ddm002070088000c2.htmlより、
 動物たちは仲間の動作に同調する高い能力をもっている。犬がしっぽを振り、サルが毛づくろいを始めると、すぐに仲間に伝染する。しかし、自分が経験していない新奇な行動に出合ったとき、それを真似る能力は低い。かつて宮崎県の幸島で、ニホンザルが砂浜にまかれたサツマイモを波打ち際へ運び、砂を落として食べ始めた。この行動が群れ全体に行きわたるまで4年もかかったし、おとなのオスはとうとう覚えることができなかった。チンパンジーでさえ、固い土の塚に枝を差し込んでシロアリを釣る技術をすぐに真似ることはできない。

 サル真似とは、考えもなしにむやみに他人の動作を真似ることだ。人間はあまりにもそれが上手なので、サルになぞらえて戒めたのだろうと思う。でもサル真似をするためには、相手の心と体に同化しなければならず、その上で動作のつながりと行為の目的を即座に理解する必要がある。そして何よりも、それをしてみたいと強い動機がなければならない。アイドルの仕草やファッションがすぐに普及するのは、みんなが大きな憧れを抱くからだ。

 人間の子どもがゴリラの子どもと違うのは、誰かのようになりたい、未知のことを知りたいという強い欲求をもっていることだ。その望みをかなえるには憧れの人に会うこと、その知識や経験をもつ人に聞くことが一番である。これまで子どもたちは皆そうしておとなになった。おとなは子どもが知らない知識を持っているからこそ、子どもたちに信頼され、教育することができた。

 しかし今、子どもたちは知りたいことを人から学ぶ必要がない。インターネットを開けば、そこには無限の知識と未知の世界が広がっている。人間のもつ知識はすべて情報としてアクセス可能だと子どもたちは思っている。キーワードを入れるだけで、知りたい答えがいつでも得られるのだ。

 学びの方法が変われば、教え方も変わらざるを得ない。子どもたちは知識を人に求めてはいないので、知識を与えるだけでは信頼も尊敬もしてくれない。それでも相変わらず人はおせっかいなので、無理に教えようとして嫌がられてしまう。信頼の薄い教育現場でトラブルが続出する。

 現代は、知識そのものではなく、実践する力や考える力を教える時代であると私は思う。過剰な情報はむしろ人々から想像する力を奪う。人間の身体を使って何ができるか、どんな発想の展開が可能か、それを知るには人と出会い、実践の場に参加しなければならない。サル真似はむしろ学びの基本である。人と関わりをもちながら、他者の中に自分を見つける楽しさを知ってほしい。そこに新しい時代の信頼と学びの場が開かれるのではないだろうか。=毎週日曜日に掲載

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