被爆体験証言 「原爆乙女」山岡ミチコさん死去

http://mainichi.jp/select/news/20130204k0000m040060000c.htmlより、
訃報:山岡ミチコさん82歳=「原爆乙女」の一人
毎日新聞 2013年(最終更新 02月03日 21時49分)

 広島で被爆し、10年後に米国で治療を受けた「原爆乙女」の一人で、被爆体験の証言活動を続けてきた山岡ミチコ(やまおか・みちこ)さんが2日、肺炎のため亡くなった。82歳。葬儀は4日正午、広島市南区大州5の3の22の平安祭典広島東会館。自宅は広島市中区西平塚町4の28。喪主は義妹山岡ナリ子さん。
 高等女学校3年だった15歳の時、爆心から約800メートルで被爆。顔や手に大やけどを負い、ケロイドが残った。広島を取材に訪れた米国人ジャーナリスト、ノーマン・カズンズ氏らの呼びかけで1955年に渡米して治療。1年半にわたって27回の手術を受けたが、首や手に痕が残った。
 洋裁の教師などを務める傍ら、母親の死を機に79年から証言活動を始めた。国内だけでなく、米国など海外でも自らの被爆体験と核兵器廃絶を訴えた。06年8月6日に脳梗塞(こうそく)で倒れ、翌年には証言活動に復帰したが、療養生活を続けていた。
 親交があった前広島原爆資料館長、畑口実さん(66)=広島県廿日市市=は、02年にカナダ・オタワで開いた原爆展で山岡さんに証言してもらった。「倒れるまでやるんじゃ」との言葉が印象に残っているという。昨秋、介護施設に見舞ったのが最後で「顔にケロイドを負いながらの証言は『二度とこうなってはいけない』という迫力があった」と振り返った。【中里顕】

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0301X_T00C13A2CC1000/より、
山岡ミチコさんが死去 被爆証言者、「原爆乙女」
2013/2/3 21:26

 山岡 ミチコさん(やまおか・みちこ=被爆証言者)2日、肺炎のため死去、82歳。自宅は広島市中区西平塚町4の28。告別式は4日正午から同市南区大州5の3の22の平安祭典広島東会館。喪主は義妹、ナリ子さん。
 1945年に広島で被爆し、55年に米国に招かれてケロイドの治療を受けた「原爆乙女」の一人で、国内外で語り部として平和の尊さを訴え続けた。

http://www.asahi.com/obituaries/update/0203/OSK201302030044.htmlより、
2013年2月3日21時11分
被爆体験証言者「原爆乙女」の一人、山岡ミチコさん死去

 広島の被爆者で、米国でケロイドの治療を受けた「原爆乙女」の一人として、証言活動を続けてきた山岡ミチコ(やまおか・みちこ)さんが2日、肺炎のため広島市の療養先で死去した。82歳だった。葬儀は4日正午から広島市南区大州5の3の22の平安祭典広島東会館で。喪主は義妹山岡ナリ子さん。後日お別れの会を開く予定。
 高等女学校3年の時、広島市の爆心地から800メートルの路上で被爆し、顔などに大やけどを負った。1955年に米国に招かれてケロイド治療を受けた「原爆乙女」25人のうちの一人。米国で27回の皮膚移植手術を受けた。
 被爆した母の死などを機に、79年から子どもらに被爆体験の証言を始め、米国や旧ソ連、フランスなども訪問した。2006年8月6日に脳梗塞(こうそく)で倒れ、一時は証言活動に復帰したが、近年は療養生活を送っていた。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013020301001732.htmlより、
「原爆乙女」山岡ミチコさん死去 訴え続けた平和
2013年2月3日 19時34分

 広島で被爆、渡米してやけどの治療を受けた「原爆乙女」の一人で、被爆証言者として平和の尊さを訴え続けた山岡ミチコ(やまおか・みちこ)さんが2日午後10時1分、肺炎のため広島市中区の介護施設で死去していたことが3日、分かった。82歳。広島市出身。自宅は広島市中区西平塚町4の28。葬儀・告別式は4日正午から広島市南区大州5の3の22、平安祭典広島東会館で。喪主は義妹ナリ子(なりこ)さん。
 学徒動員に向かう途中、爆心地から約800メートルで被爆。顔や手に重いやけどを負った。1955年、米国の作家、故ノーマン・カズンズ氏らの招きで渡米し、ケロイドの手術を受けた。(共同)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130203/k10015263901000.htmlより、
被爆体験証言 山岡ミチコさん死去
2月3日 18時20分

広島市内で被爆した女性たち、いわゆる「原爆乙女」の1人で、国内外で被爆体験を証言して平和を訴えてきた山岡ミチコさんが、2日夜、肺炎のため広島市内の療養先で亡くなりました。
82歳でした。
山岡ミチコさんは広島市中区の出身で、15歳のときに爆心地から800メートルの路上で被爆しました。
このとき顔などに大やけどを負いましたが、昭和30年にアメリカの慈善活動団体によって「原爆乙女」の1人としてニューヨークに渡り、病院で治療を受けました。
山岡さんは昭和54年から被爆体験を語る活動を始め、国内だけでなくアメリカやフランスなどにも赴いて、戦争の愚かさや平和の大切さを訴えました。
平成18年には脳梗塞で倒れますが、リハビリに取り組み、その後証言活動に復帰しました。
しかしここ数年は再び体調が悪化し、療養に専念していましたが、2日夜、肺炎のため広島市内の療養先の施設で82歳で亡くなりました。

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