ビキニデー:平和行進が焼津市で行われる

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130301/k10015898081000.htmlより、
第五福竜丸被ばくから59年 核廃絶集会
3月1日 23時3分

アメリカによる水爆実験で、静岡県の焼津漁港に所属していたマグロ漁船の「第五福竜丸」が、被ばくした日から59年の1日、核兵器の廃絶を訴える集会が、焼津市で開かれました。
「第五福竜丸」は、昭和29年3月1日、太平洋のマーシャル諸島のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で乗組員23人が被ばくし、無線長だった久保山愛吉さんが、半年後に亡くなりました。
被ばくから59年の1日、核兵器の廃絶を訴える集会が焼津市で開かれ、元乗組員の大石又七さんが、およそ1700人の参加者を前に、「福島の原発事故以降、内部被ばくの問題が注目されるようになったが、私たちが被ばくしたときから、その危険性は分かっていた。第五福竜丸のような被害を繰り返してはならない」と訴えました。
またマーシャル諸島のケネス・ケディ上院議員が、「核実験によって降り積もったいわゆる「死の灰」は、2センチにもなり、何度も移住を余儀なくされた」と語り、最後に、核兵器の全面禁止を求めて、署名活動に取り組むことや、原爆の被害を伝える展示を全国で行うことなどの提案を全員で採択しました。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013030101002316.htmlより、
焼津でビキニデー集会 核廃絶実現に決意
2013年3月1日 20時10分

 米国がビキニ環礁で行った水爆実験で遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくして59年の1日、「3・1ビキニデー集会」が静岡県焼津市文化センターで開かれ、参加者約1700人(主催者発表)は、核廃絶の実現に向けて取り組む決意を新たにした。
 水爆実験で被害に遭った島国、マーシャル諸島の国会議員ケネス・ケディさんが講演。放射性物質「死の灰」を浴び、いまだに帰島が進まないロンゲラップ島の状況を説明し「核実験が起こる前の島に戻してほしい」と訴えた。
 集会は核廃絶や非核三原則の堅持を求めるアピールを採択し閉幕した。(共同)

http://mainichi.jp/select/news/20130301k0000e040186000c.htmlより、
ビキニデー:平和行進が静岡県焼津市で行われる
毎日新聞 2013年(最終更新 03月01日 12時10分)

 1954年、ビキニ環礁の水爆実験で焼津港所属の漁船「第五福竜丸」が被ばくしたビキニデーの1日、「死の灰」を浴びて亡くなった久保山愛吉さん(当時40歳)を追悼する平和行進が静岡県焼津市で行われた。実験のあったマーシャル諸島のケネス・ケディ上院議員も参加。福島第1原発事故の現状に「放射能で全島民が避難したロンゲラップ島と同じ。故郷を奪われた人々の悲しみや不安は計り知れない」と核の恐ろしさを訴えた。
 水爆実験では約200キロ離れたロンゲラップ島にも死の灰が降り注ぎ、多くの島民が被ばくし、別の島への避難を余儀なくされた。元島民のケディ上院議員によると、米政府は除染が終わったとして帰島を促しているが、59年後の今も島民は「本当に安全かどうか」と不安を抱き一人も帰っていないという。
 行進では約1300人が一輪のバラを手に「核のない世界」をアピール。福島県郡山市から初参加した病院事務職員、小幡拓也さん(29)は「原発事故の後、たとえ放射線の線量が低くても不安は消えない。放射能におびえないで住める世の中にしたい」と話した。
 焼津市によると第五福竜丸の元乗組員は、吉田勝雄さんが2月21日に83歳で亡くなるなど、23人のうち16人が死亡し生存者は7人となっている。【荒木涼子】

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013030101001321.htmlより、
静岡・焼津市で核廃絶訴え、行進 第五福竜丸被ばく59年
2013年3月1日 10時07分
(写真)久保山愛吉さんの遺影を掲げ、核廃絶を訴える行進の参加者=1日午前、静岡県焼津市

 静岡県焼津市の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が、太平洋のビキニ環礁で米国の水爆実験により被ばくしてから59年を迎えた「ビキニデー」の1日、亡くなった久保山愛吉さん=当時(40)=の遺影を掲げた行進が焼津市内であり、参加者が核廃絶を訴えた。
 無線長だった久保山さんは被ばくから半年後に死亡した。参加者は午前9時半ごろにJR焼津駅を出発し、久保山さんが眠る弘徳院まで約2キロを遺影や横断幕を手に行進。墓前祭で献花されるのは、久保山さんが好んだという赤いバラだ。(共同)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013030102000135.htmlより、
筆洗
東京新聞 2013年3月1日

 一九五四年の三月一日、太陽は西から昇ったかのように見えた。船員たちがそう錯覚するほど強烈な光が、ビキニ環礁で漁をしていた第五福竜丸から見えた。やがて甲板に、米国の水爆実験で出た死の灰が雪のように積もった
▼『ここが家だ』(集英社)は、米国の画家ベン・シャーンさんが第五福竜丸の悲劇を描いた一連の絵を使って、詩人のアーサー・ビナードさんがつくり上げた絵本だ
▼「原水爆の被害者は、俺たちで終わりにしてもらいたい」と言って死んでいった無線長の久保山愛吉さんの姿を、画家はこんな思いを込め描いたという。「亡くなる前、幼い娘を抱き上げた久保山さんは、わが子を抱き上げるすべての父親だ」
▼ビナードさんはその絵に詩をつけた。<ひとびとは わかってきた-ビキニの海も 日本の海も アメリカの海も ぜんぶ つながっていること。原水爆を どこで爆発させても みんなが まきこまれる。「久保山さんのことを わすれない」とひとびとは いった。けれど わすれるのを じっと まっている ひとたちもいる>
▼忘却を待つどころか、当時の日米両政府は国民の反核反米世論をかわすため、原子力の平和利用キャンペーンを巻き起こし原発建設にこぎ着けた。その延長線上に、福島の事故は起きた
▼いま一度、第五福竜丸の悲劇を思い起こしたい、六十年目の春だ。

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