検察審査会 強制起訴「どう見直し、育てるか」

http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit2より、
朝日新聞 社説 2013年 3月 6 日(水)付
強制起訴―どう見直し、育てるか

 「市民の議決」に対する風当たりがきつい。
 検察審査会の判断をうけて強制的に起訴された事件は7件あるが、一審判決がでた4件を見ると、1件が有罪、3件は無罪や免訴となった。この結果は重く受けとめねばならない。
 被告の負担も大きい。しかしだからといって、制度を否定したり、意義を軽んじたりするのは性急にすぎる。事例を重ね、課題をみいだし、正すべき点を正す。それがめざす道だ。
 この手続きは国民の司法参加の一環として導入された。
 4年前まで起訴の権限は検察が一手ににぎり、自らの判断基準にてらし有罪と考えるものだけを罪に問うてきた。公判はそれを確かめる場に矮小(わいしょう)化され、検察は強大な力を背に独善的な体質を強めていった。
 こうした硬直した刑事司法に一般人の目をいれ、風穴をあけるのが改革のねらいだった。
 もちろん、いまの運用に問題がないわけではない。
 ▽審査の過程で容疑者側に言い分を述べる機会を保障する。
 ▽審査員の助言役である「補助弁護士」を複数にするなどして、多様な見方や情報をふまえて判断できるようにする。
 ▽議決書の質を向上させ、国民への説明責任を果たす。
 ▽検察官役をつとめる「指定弁護士」の権限を明確にし、サポート体制を充実させる――。
 こうした手直しは必要だ。
 識者のなかには、検察が嫌疑不十分とした事件は強制起訴の対象外とし、「嫌疑はあるが起訴を猶予する」としたものに絞るべきだという声がある。
 この考えには賛成できない。検察の監視として不十分だし、「証拠を正しく評価し、事実を認定する力は国民にはない」と言うのと同じではないか。
 法廷で審理されたことで、私たちが知りえた事実は多い。兵庫・明石歩道橋事故の警備態勢のお粗末さや、小沢一郎衆院議員の政治資金収支報告に対する認識の甘さは、その好例だ。
 一方で注意すべきは、「裁判に持ちこむことが真相解明と再発防止に役立つ」といった考えにもとづいて書かれた起訴議決が散見されることだ。
 一定のルールの下、個人の責任を問う刑事手続きには、おのずと限界がある。過度な期待はひずみをもたらす。
 事故の原因や背景を究明するしくみの不備。政治とカネの問題を放置した国会・政党……。
 検察審査会の活動は、制度自体のあり方にとどまらず、こうした課題を解決していく大切さを、社会に突きつけている。

http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit2より、
朝日新聞 社説 2012年5月22日(火)付
強制起訴制度―導入の原点に立ち返る

 小沢一郎・元民主党代表への無罪判決をうけ、検察審査会をめぐる議論がおきている。
 周辺議員の思惑絡みの動きはともかく、「そもそもなぜ素人に強制起訴の権限をもたせるのか」との疑問がくすぶる。
 このしくみは一連の司法制度改革で導入された。
 検察当局は原則として、証拠をぎちぎちに固め、有罪に間違いないとの心証を得たものだけを起訴してきた。こうした運用はどんな現象をうんだか。
 裁判は有罪を確かめる場となり、公判よりも捜査段階の供述が重んじられた。無罪は失態とされ、日ごろは高い有罪率を批判するメディアや識者も、無罪判決がでると検察を責める。
 その結果、裁判所はどんな判断をするだろうと国民が関心をよせる事件や、新たな法解釈への挑戦が期待される場合でも、検察が冒険できないと思えば起訴しない。逆に、起訴した以上は有罪めざして突き進む。そんなゆがみをもたらした。
 これを正し、取調室でなく、公開の法廷で議論し決着をつける社会にしよう。それが改革の根底にある考えだった。
 市民が参加する裁判員制度が始まり、取り調べ状況の録画がひろがり、証拠隠しをさせないための法改正がおこなわれた。不起訴処分の当否をチェックする検察審査会の機能強化も、同じ考えにもとづく。
 こうした方向性を、私たちは基本的に支持してきた。
 もちろん人々の意識は簡単に変わるものではなく、目ざしたものに現実が追いついていない面があるのも事実だ。起訴される人や家族の負担にも、思いをいたさねばならない。
 だが、袋小路に陥った従来の刑事司法に戻るのがいいかといえば、それは違うだろう。
 審査会の手続きの中に、容疑者側が意見を述べる機会を保障する。審査を手伝う法律家や職員の能力を高める。そして何より、社会が起訴イコール有罪との見方からぬけだす――。
 こうした見直しを着実に進めていくためにも、改革の原点を忘れず、落ちついた環境で議論を深めることが大切だ。
 今回、指定弁護士は控訴手続きをとった。判決時に私たちは「控訴にこだわる必要はない」と書いたが、いまの制度の下、慎重な検討の末に導き出された結論として受けとめたい。
 より良い刑事司法をめざす営みは続く。そこでは、強制起訴か通常の起訴かを問わず、追及する側が納得のいく判決を求めて上訴することをどう考えるかも、重要な論点となるだろう。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120425/trl12042503180000-n1.htmより、
【主張】検審「調査」要請 これは政治権力の乱用だ
2012.4.25 03:18 (1/2ページ)

 民主党の小沢一郎元代表に近い議員らが中心となり、元代表の強制起訴を決めた検察審査会の実態を調査すべきだとして衆参両院で法務委員会の秘密会を開催するよう両院の議長に要請した。要請書には民主党はじめ衆参の与野党議員約140人が署名したという。
 要請理由には、検審の議論が公開されていないことを挙げている。しかし、非公開なのは国民の中から選ばれた審査員が自由に議論し、独立性と中立性を保つためだ。正当な理由である。
 要請は検察審査会法に定められたルールに異論を唱え、司法に干渉する口実でしかない。政治権力の乱用であり、両院議長は要請を認めるべきではない。
 そもそも、26日には小沢氏に対する政治資金規正法違反事件の判決が東京地裁で言い渡される。直前のこの時期に、多数の国会議員がこの裁判に問題ありと調査を言い出すこと自体、判決に何らかの圧力をかけるねらいがあると映らないだろうか。
 また要請書は、東京地検特捜部の検事により「捏造(ねつぞう)した捜査報告書」が提出されて「起訴議決の主たる理由になった」などと起訴議決は無効と主張している。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120425/trl12042503180000-n2.htmより、
2012.4.25 03:18 (2/2ページ)

 起訴議決が有効か無効かは、裁判に委ねられた争点だ。小沢氏の支持議員らが主導する形で法務委員会での調査などを行うとすれば、裁判に予断を与え、小沢氏の立場を立法府が後押しすることにもつながりかねない。
 検察審査会による2度の「起訴相当」議決を経て弁護士が強制起訴する制度は、司法制度改革の一環として導入された。民主党も平成16年5月に成立した改正検察審査会法には賛成した。
 両院議長に要請した中心メンバーにも、強制起訴議決の制度作りに賛成した議員がいる。国会が検察審査会に権限を与えたのに、制度の意義を自ら否定するような行動は不可解だ。
 小沢氏は政治倫理審査会への出席を拒む理由として「司法府への介入を避けなければならない」と主張したこともある。今回の議員らの動きをどう説明するのか。
 検察官役を務める指定弁護士の過重な負担など、強制起訴制度一般について問題点が指摘されているのは事実だ。
 必要な見直しを検討するのは当然だが、今回の要請については、論外といわざるを得ない。

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