被災地の復興 「スモールビジネスを力に」

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013031302000121.htmlより、
東京新聞【社説】3・11から2年 若き情熱、東北をめざせ
2013年3月13日

 被災地の医療を支える人材育成の一歩にと、東北大病院が全国の医大生に参加を呼び掛け、沿岸部で短期の医療体験実習に取り組んでいる。再び歩き始めた地域に寄り添う若い情熱、東北に集まれ。
 「医師を目指す若者にこそ、被災地を見てほしい」。東北大卒後研修センター助教の田畑雅央(まさお)医師は震災の年の夏から実習を始めた。
 医師が都市部に偏在するのは宮城県も同じ。津波に襲われた石巻や気仙沼などの沿岸部はもともと全国平均より少なく、震災が追い打ちをかけた。建物が壊れ、医師が離れて閉鎖した所があるが、献身的な医師らによって復旧した所もある。そうした現場を学生に知ってほしい、と田畑医師は思う。
 実習は春夏の休暇に合わせて大学側が往復交通費を負担し、毎回全国から十人前後を受け入れる。昨夏は四回で計三十二人が参加した。震災時に医療拠点となった石巻赤十字病院や、雄勝診療所などで三日間の実習をしている。
 多くの参加者は東北以外の出身者だが、実習後アンケートでは地域医療への関心が高まり、期限付きなどの条件が合えば東北で働いてもいいと答えた。ボランティア経験者が半数いたが、被災者と触れ合い、誠実な医師の姿を見て、心が動いたのだ。東北地方の病院で働き始めた人もいる。東北大の実習は着実に芽吹いている。
 被災地には大津波を生き延びた人がいる。不安な生活が続き、若い人にもアルコール依存やメンタル疾患が増えている。訪問診療のニーズも高い。医師は震災前よりも必要なのだ。
 被災地の医師を今以上にすり減らすことのないよう、国は手だてを講じてもらいたい。新人医師の臨床研修医制度で、被災地の病院の募集定員を増やしてはどうか。厚生労働省令は研修医を受け入れる各地の病院の募集定員を、過去三年の実績を超えないものと定める。だが、原発を抱える福島や、岩手も、震災後に研修医が思うように集まらない病院が少なくない。減った数を基準にすれば、研修医は減るばかりだ。省令の運用を柔軟にすれば、若手医師を増やすきっかけにもなろう。
 また、研修先は自由に選べるが、被災地の病院を選んだ研修医に対し、給与などでインセンティブを与えるのも一つの方法だ。
 地域の自立に医療は欠かせない。医師だけでない。看護師、薬剤師…。震災後の東北にこれからの地域医療のモデルを築きたい。

http://www.asahi.com/paper/editorial.htmlより、
朝日新聞 社説 2013年 3月 12 日(火)付
被災地の復興―スモールビジネスを力に

 東日本大震災の被災地で、復興に欠かせない「働く場」をどうつくっていくか。
 事業所の再開や新たな企業の誘致を、財政面や規制緩和で後押しすることは必要だ。
 ただ、被災地の多くはもともと過疎化と高齢化が深刻で、そこに震災が追い打ちをかけたという厳しい現実がある。
 小さくても長続きする事業を起こし、補助金などに頼らず、地域の中でおカネを回す。
 そんな「スモールビジネス」への挑戦が始まっている。

■助成金頼みでなく
 宮城県石巻市で活動する非営利団体「ぐるぐる応援団」は、仮設住宅の住民向けに買い物バスを運行する一方、定食やラーメンを出す小さな店「いしのま☆キッチン」を営む。
 主宰するのは、鹿島美織さん(36)。リクルート社に10年勤めた後、東京で独立した。大震災後、ボランティア活動がきっかけで、宮城と東京を往復する生活が始まった。
 「頼みの助成金がなくなると事業も終わり、ではダメ。あくまでビジネスとして定着させたい」。モットーは「小さなリスクで小さな挑戦」である。
 店員は10人あまり。子育て中の30歳代の主婦から、震災前は飲食店を経営していた60歳代の女性までさまざまだ。働ける時間帯が限られる人、体力が衰えてきた人たちの力も集めてやりくりする。
 今はお昼時の3時間の営業を延ばし、店員を3倍にすることが目標だ。
 「社会的起業」への関心が強い若者や、活動領域を広げるNPOの力も生かしたい。
 加藤裕介さん(25)は、東京の大手コンサルティング会社を1年で退職し、若者の起業を支援するNPO法人「ETIC」(東京)が手がける被災地への派遣事業に応募した。
 派遣先として選んだのは、福島県でNPOへの支援活動をする一般社団法人「ブリッジ・フォー・フクシマ」。ここで仕事をしながら起業を目指す。

■被災者と二人三脚
 手応えを感じたのが、被災地の事業者から話を聞く旅行ツアーだ。地元の旅行会社と組んで年明けに2回、首都圏から客を約30人ずつ集め、津波と原発事故に直撃された相馬市と南相馬市を1泊2日で案内した。
 水産加工の経営者やみそ・しょうゆ店の店主に「語り部」を依頼した。ツアーの参加者に、現状を知ったうえで飲食やおみやげ購入を通じて支援してもらうのが狙いだ。
 今月4日、東京証券取引所。被災地の起業家と企業を引き合わせる催しに、宮城県南三陸町の主婦、阿部民子さん(51)と同町の非営利団体「ラムズ」事務局長の白石旭(あきら)さん(31)の姿があった。
 阿部さんの夫は漁師で、小舟1隻を残してすべて津波に流された。昨年秋、主婦2人で地元海産物の通信販売を始めた。事業計画やインターネットのホームページ作り、スマートフォンによる情報発信などを指南したのがラムズだ。
 東京を拠点に、中小企業の経営指導で生計をたてる白石さんは、ボランティア活動が縁でラムズに加わった。「すべての作業を被災者自身にやってもらうことが、自立へのノウハウの蓄積につながる」と話す。

■多様な民間の参加を
 とはいえ、社会インフラの復旧に比べて産業復興が遅れているのが現実だ。
 「復興には、もっと多様な民間の力が欠かせない」。藤沢烈(れつ)さん(37)は各地での講演会やインターネットを通じて、そう訴え続けている。
 社会的事業の経営コンサルタントであり、被災地での街づくりなどにかかわる一般社団法人の代表。震災直後から政府のボランティア支援にかかわった縁で、国の復興庁の政策調査官の肩書も持つ。
 復興にかかわる調整役を務めながら、こう痛感している。
 政府や自治体といった「官」が「公(おおやけ)」の仕事を独占する時代はとうに終わっている。「民」がしっかりかかわり、官と連携することが大切――。
 既存の企業、とりわけ経営資源に恵まれた大企業の役割は大きいだろう。
 多くの会社が資金や物資の提供、社員のボランティア派遣などを続けてきたが、震災から2年がたち、限界も見え始めた。株主への配慮などと両立させながら、どう被災地にかかわり続けていくか。
 一部の企業が掲げ始めたのが「本業を生かして被災地の課題解決にあたり、新たなビジネスの芽も見つける」ことだ。少子高齢化や産業空洞化への対応、防災・減災対策の強化は日本全体が直面する問題でもある。
 起業家やNPO、企業など多彩な「民」が復興にかかわり、官と力を合わせて難題に挑んでいく。被災地を舞台にそんな姿が描ければ、日本の明日も見えてくる。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013031202000139.htmlより、
東京新聞【社説】3・11から2年 学校に“防災の先生”を
2013年3月12日

 子どもたちの命をどう守るか。大震災の被災地、宮城県では今、各学校に防災専門の主任教諭を置いている。議論を重ねた末の制度だ。他の自治体でも学校、ひいては地域防災の参考にならないか。
 死者・行方不明者一万人余。東日本大震災の宮城県の犠牲者は最も多く、子どもだけの数をみても例外ではない。四百人を優に超えた。大半が津波にさらわれた。
 学校の防災対策も、かねて津波を念頭に怠りなかった。にもかかわらず、十分だったはずの備えを、はるかに超える巨大地震と大津波が襲った。
 河口から約四キロ奥、石巻市の大川小にも「まさか」の津波が押し寄せ、児童の七割に当たる七十四人が死亡・不明になる惨劇が…。
 学校防災のあり方を県教委を中心に根底から見直した。その柱が全国で初めての「防災主任」制度である。震災翌年から導入し、公立のすべての学校に配した。
 それまでの防災担当は防犯や事故などもこなす、安全の何でも担当。主任制は(1)教育(2)マニュアル整備(3)地域との連携-など、役目を防災に絞った点に意義がある。
 むろん校舎の耐震化などハード面の整備は欠かせぬが、この制度はソフト面の対策といえる。
 東海・東南海・南海の三連動や南海トラフ巨大地震が心配される東海地方などから、現地へ視察・研修が今も引きも切らない。
 国内最悪の津波高が“想定”されている静岡県。下田市の最大三三メートル(県の中間報告)を筆頭に、空恐ろしい数値が並ぶ。
 学校防災では、東海地震に備えた独自の策「責任指導者」制を一段と強化。知事部局と県内四地区の危機管理局に教委が派遣した五人が、地域ごとに、よりきめ細かな対応をする。高校は地域とのつながりが薄く、専用の防災ノートを作り防災力の底上げを図った。
 主に南部沿岸が津波に襲われてきた三重県も、昨年から宮城方式に似た「防災リーダー」を養成中だ。全公立校に置き、学校と地域防災のけん引役にしていく。
 学校防災は、つまるところ地域防災、である。現に震災では多くの学校が避難所と化した。
 「地域との連携が一番の役目」と、宮城県南三陸町の中学の防災主任。住民との避難所運営訓練を再三繰り返す。教訓をむだにせぬ適切な避難行動には、日ごろの意識の共有が欠かせないからだ。
 宮城方式もよい。備えのタクトをだれが振るか。互いに参考にし合い、脅威に立ち向かいたい。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130312k0000m070120000c.htmlより、
社説:震災から2年・危機と国家 民主主義力が試される
毎日新聞 2013年03月12日 02時30分

 東北の被災地をはじめ全国各地や海外で追悼行事が開催され、東日本大震災で失われた命に鎮魂の祈りがささげられた。震災関連死を含めた犠牲者2万人余りのうち、行方不明者はなお2668人を数える。復旧・復興のあり方が語られる中、被災地の人々には弔いの時が今も続いていることを痛感させられる。
 どんな大きな震災も、3年目に入ると風化が始まるという声を聞く。だが、あの巨大地震と大津波・原発事故という三重苦、人類がかつて経験したことのない複合災害は依然として終わっていない。31万人が仮設住宅や民間の借り上げ住宅などで避難生活を強いられている現実があることを、まず心に刻みたい。

 ◇「強い日本」とは何か
 「3・11」から3カ月半後の11年6月にまとめられた政府の復興構想会議の提言は「東京は、いかに東北に支えられてきたかを自覚し、今そのつながりをもって東北を支え返さねばならぬ。西日本は次の災害に備える意味からも、進んで東北を支える必要がでてくる」と前文で強調した。そして、今年2月に公表された政府の復興推進委員会の審議報告書は「問題は地元での復興の有様が、成功例も失敗例もすべて地元にのみ封じられ、点から線に、そして線から面へと、復興の前面に展開していかぬことにある」と記した。
 その通りではないか。震災が東北の問題へと閉じこめられてしまわぬよう、復興への道筋に日本全体が目をこらし続けていかなければならない。復興委員会はそのあと委員が入れ替わり、今年半ばに中間報告をまとめる予定だ。東北の地に復興のつち音がまだ聞こえてこない現実を踏まえた、次なる提言を望む。
 この震災は、危機における民主主義のリーダーシップとは何かという問いを私たちに突きつけた。復興への3年目が始まるにあたって、そのことについて考えてみたい。
 先日の毎日新聞のインタビューでインドネシア赤十字のユスフ・カラ総裁が「指導者は直接、被災者を助けることはできない。指導者は何をすべきかを示し、被災者と共にあることを伝える。それが復興への自信につながる」と語っていたように、政治は被災者と手をとりあって、復旧・復興への希望を提示する責務がある。ところが私たちがこの2年で目にしたのは、復興さえ政局の材料にする政治ではなかったか。
 安倍晋三政権は「強い日本」の復活を目指すとしている。被災者にとって「強い日本」とは、明日の暮らしへの希望の手を差し伸べてくれる国家のことだろう。31万人の避難生活者をいつまでも放置しておくようなことがあれば、現代の棄民政策と指弾されてもおかしくない。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130312k0000m070120000c2.htmlより、
 危機においては、スピード感のある力強い政治のリーダーシップが欠かせない。ただし、それをどのように用いるかによって、民主主義は試される。国家という器の中で「今、目の前にある」暮らしの危機にもがき苦しみ、しかも忘れられがちな大勢の人々がいる。その人々を救うことが最優先でなくて、何のための政治か、何のための国家か、ということになりはしないだろうか。

 ◇「顔の見える」政治を
 その一方、被災自治体には、高台移転や防潮堤の設置の是非など住民の意見が分かれる問題で、首長が一人一人と粘り強く面談を重ねるなどしてコンセンサスを作ってきたところがある。福島県で自治体の復興支援を続けている関係者からは「アンケートで復興はできない」との声を聞いた。紙の上の数字ではなく「顔の見える」政治が、復興を前に進ませることができたのである。
 放射能汚染廃棄物の中間貯蔵施設や仮置き場の設置など、合意形成の難しい問題が山積している。さらには将来のエネルギー選択や社会保障制度の再構築、あるいは米軍基地の問題なども含め、利害が錯綜(さくそう)し、受益と負担のバランスを真剣に考えなければならない課題は多い。
 そうした複雑な問題に解決の糸口を見いだすため求められるのは、一方的に結論を押しつける「上からのリーダーシップ」ではなく、何度でも説明をして説得を試みる「丁寧なリーダーシップ」であろう。明快な答えのない政策課題に直面する日本社会の明日を考えた時、被災自治体のリーダーが示してきた忍耐強い合意形成力は、日本の民主主義の健全さの規範となるに違いない。
 震災の被災地はもともと高齢化・人口減が進んでいた農林漁業主体の市町村である。その過疎化の進行が震災によって10年も20年も早まったとされている。消費と利便性だけを求めた単なる都市化モデルでは、真の意味の復興にはならない。
 海や山、川、田畑など豊かで美しい自然に囲まれた被災地をどうやって立て直し、そこに生きる喜びを取り戻すか。それは、震災を機に大量生産・大量消費の生活スタイルから脱却しようと考えた私たち一人一人の生き方にもかかわる問題だろう。つまり、被災地の復興のあり方を考えることは、日本という国家の未来図を描く作業でもあるのだ。

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