3・11から2年 「後退は許されない」

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO52740180T10C13A3EA1000/より、
日経新聞 社説 責任あるエネルギー政策を早期に
2013/3/13付

 「脱原発」を撤回したうえで再生可能エネルギーの導入を進め、できる限り原子力への依存度を減らす――。安倍晋三首相は繰り返しこう述べてきたが、政権発足3カ月にしてようやくエネルギー政策の具体的な議論が始まる。
 経済産業相の諮問機関である総合資源エネルギー調査会の総合部会は15日に初会合を開き、政府の中長期のエネルギー政策の議論を開始する。
 東京電力福島第1原子力発電所の事故を踏まえたうえで、エネルギーの安定供給とコスト抑制をどう実現するか。行き場のない放射性物質の処分法も含めて国民の間で意見が分かれる原子力の利用をどんな形で進めるのか。大きな議論の仕切り直しだ。
 中長期のエネルギー政策があいまいでは海外からの資源調達や企業の設備投資の腰が定まらないだろう。地球温暖化対策など環境政策も決められない。国民生活や企業の競争力にかかわる。できるだけ早く、明確で具体性のある政策を打ち出してもらいたい。夏の参院選を意識して踏み込んだ議論を避けるようでは困る。
 「2030年代に原発の稼働ゼロ」の方針を決めた前民主党政権は国民や有識者、関係自治体などの意見を集約できず判断がぶれた。国の将来に対し責任ある政策づくりとはいえなかった。
 「決められない政治」への反省からか、新設の総合部会は「脱原発」の有識者の数を減らした。政権が交代し安倍政権は「原発稼働ゼロ」の撤回を明言しており、政権が目指す方向に沿う人選にすることに正当性はあるだろう。
 しかしそうであってもなお政府には原発をめぐり国民の間に多様な意見がある事実を改めて強く意識してもらいたい。国民は原発問題の最大の利害関係者であり、広範な支持がなければ原発の長期的な維持が困難になりかねない。
 国民に判断材料を示したうえで、政府が目指す方向について説明を尽くす努力を怠ってはならない。例えばタウンミーティングを各地で開くのはどうか。今回の政策決定のためだけではなく、決定後もエネルギー政策に関し幅広い議論を継続するのが望ましい。
 国会も機能を果たすべきだ。衆院が新設した原子力問題調査特別委員会は放射性廃棄物の処分などについて、行政府とは異なる観点から政策議論を深める格好の場になるはずだ。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130312/dst13031203460010-n1.htmより、
産経新聞【主張】福島事故2年 原発活用し生き残ろう
2013.3.12 03:46 (1/3ページ)

混乱の元凶1ミリシーベルトを見直せ
 この2年間、原発には苛烈な逆風が吹いている。多くの原発が止まったままである。東日本大震災での東京電力福島第1原子力発電所の事故に端を発した逆風だ。
 原発の利用をめぐっては、地域差を含めて、さまざまな思いが交錯する。だが、日本のエネルギー事情は極度に逼迫(ひっぱく)しつつある。政府も国民も、前を見詰めて確かな一歩を踏み出す時期である。
 政府主催の追悼式で安倍晋三首相は「復興を加速することが、犠牲者の御霊(みたま)に報いる道だ」と述べた。まずは安全性が確認された原発を再稼働させ、年間3兆円超にふくれあがった国富の海外流出を止め、日本経済の復興に全力を傾けてもらいたい。

《夏の電力不足どうする》
 大震災では千年に1度の巨大津波で福島第1原発が被災し、4基が大破した。漏れ出た放射性物質によって周辺地域が汚染され、いまなお多くの人が避難生活を余儀なくされている。原発史上最悪のチェルノブイリ事故に次ぐ被害の大きさだ。
 福島事故以来、日本の社会はエネルギーの選択をめぐって国論を二分する混乱の極みを経験している。当時の民主党政権は強引に「原発ゼロ」政策を進めたが、昨年末の衆院選で大敗した。即時原発ゼロを掲げる政党も惨敗した。
 福島事故で日本の原発は50基に減った。現在、稼働しているのは関西電力の大飯原発3、4号の2基だけだ。両機はこの夏に定期検査に入るので、昨年の初夏の一時期に続いて「稼働原発ゼロ」の事態を迎える公算が大である。
 真夏の電力不足は、関西圏の社会生活や経済活動に深刻な危機をもたらす。安倍首相は、この異常事態に終止符を打つ手段を早急に講じなければならない。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130312/dst13031203460010-n2.htmより、
2013.3.12 03:46 (2/3ページ)
 海外の大事故でも、国内の全原発が止められた例はない。「原発全廃」を選択したドイツでさえ約半数の9基が運転続行中だ。原発の有用性が高いからである。
 2030年代までに日本の原発をゼロにすると主張した民主党の政策は、亡国のエネルギー戦略と言うしかない。安倍首相の経済浮揚策であるアベノミクスも、原発による安価で安定したエネルギーがあってこそだ。それを欠いては、ようやく動き出した諸政策に失速の不安がつきまとう。
 民主党政権は、幾多の「負の遺産」を残して去った。そのひとつが原発不要論だ。これが妄想だったことは、約30年間下がり続けていた電気代が原発停止に伴い値上がりを始めたことでも分かる。火力発電の燃料代による貿易赤字は拡大し、二酸化炭素の排出量も増えつつあるではないか。
 日本は資源小国であり、かつ地震多発国である。この宿命の下で先進国であり続けるには、原発の安全性を常に高めながら活用していく以外、道はない。

《求められる日本の技術》
 航空機や車をはじめ、あらゆる工学システムにおいてゼロリスクはないのだが、民主党政権は原発にだけそれを強要しようとした。その矛盾の一端が、除染における年間1ミリシーベルト目標という被曝(ひばく)線量の厳しさに表れている。被災者の帰還の遅れや農水産物の風評被害の根本原因ともなっている。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130312/dst13031203460010-n3.htmより、
2013.3.12 03:46 (3/3ページ)
 放射線の害は低い線量でも生じるという学説もある。しかし、コンピューター断層撮影(CTスキャン)では1回の検査で10ミリシーベルト前後を被曝する。人体への影響を考える場合は100ミリシーベルトがひとつの目安だ。これらのことを勘案すれば、国際的にも使われる20ミリシーベルトあたりが汚染地域における暮らしと健康の両立ラインであろう。
 「ゼロリスク神話」は、原子力規制委員会にも根を張っている。規制委の本来の任務は、原子力発電の安全性の向上だが、活断層探しと混同している感がある。
 規制委は原発の新安全基準を7月中にまとめ、国内の全原発に適用するが、基準を原発潰しに乱用することは許されない。
 復興には地域への安定的かつ安価な電気の供給が不可欠だ。しかし今の規制委の姿勢では、それさえも期待することが難しい。
 福島事故の完全収束には、長い年月がかかる。一方で、世界的にみれば原発は増え続ける傾向にある。安全な原発を必要とする世界の求めに対応するためにも、事故の痛みをかみしめつつ原発の再稼働に取りかかるべきだ。このままでは、日本は回復不能な国難を招いてしまう。

http://www.asahi.com/paper/editorial.htmlより、
朝日新聞 社説 2013年 3月 11 日(月)付
原発、福島、日本─もう一度、共有しよう

 記者を乗せたバスが東京電力福島第一原発の構内へ入る。
 周辺のがれきは片付き、新たな設備や機器が並ぶ。一見、ふつうの工事現場だ。
 ところが、海沿いの原子炉建屋に近づくと状況は一変する。
 水素爆発の衝撃で折れ曲がった巨大な鉄骨、ひっくり返った車――。1~3号機の周辺で測った放射線量は、毎時1ミリシーベルトを超えた。まだ人が入っての作業はできない。
 炉内は冷却を保っている。だが、建屋には毎日400トンの地下水が流入し、その分、汚染水が増え続ける。貯水タンクの増設でしのいでいるが、2年後には限界がくる。「収束」とはほど遠い現実がそこにある。
 防護服と全面マスクに身を包んだ人たちが黙々と働く。多くは、東電以外の協力会社や下請け企業の作業員だ。
 事故直後、命がけで対応にあたった人たちは「フクシマ50(フィフティー)」と世界から称賛された。
 いま、線量計をつけて働く作業員は1日約3500人。6割以上が地元・福島県の人たちだという。「フクシマ3500」の努力があって、私たちは日常の生活を送っている。

■広がる孤立感
 原発周辺の町は先が見えず、苦しんでいる。
 浪江町復興推進課の玉川啓(あきら)さん(41)は、町の人と話す時、安易に「復興」という言葉を使わないようにしている。会話が進まなくなるからだ。
 「復興」には、災害そのものは終わったという語感がある。「しかし、避難している人たちにとって事故はまだ現在進行形なんです」。住民は今、約600の自治体に分散する。
 被災者には孤立感が広がる。
 福島市内の仮設住宅に移った双葉町の60代の男性。東京に住む娘に近い埼玉県に戸建てを買い、終(つい)の住み家にしたいと思うが、東電が提示する賠償金ではまったく足りない。
 福島県内とされる「仮の町」にも行くつもりはない。「放射能を気にして孫も来ないようなところでは意味がない」
 新しい町長にも、議会にも期待はしていない。「誰を選んでも何を訴えても、そこから先に届かないもの」
 原発が立地する他の自治体との距離も開くばかりだ。
 自民党本部で2月15日、原発のある道県の議会議長を招いた調査会が開かれた。相次ぐ「原発の早期再稼働を」の声に、福島県の斎藤健治議長は「これ以上、一緒に議論できない」と途中で席を立った。
 大震災の前までは、福島第一に原子炉の増設を求めるなどバリバリの原発推進派だった。
 「『原発は必要』という人ほど事故後の福島を見に来ない。会合の場でも言ったよ、自分で3号機の前に立ってみろって。そしたら再稼働なんて簡単に言えなくなる」

■世界に向けての発信
 事故直後は、「恐怖」という形で国民が思いを共有した。2年経ち、私たちは日常が戻ってきたように思っている。
 だが、実際には、まだ何も解決していない。私たちが「忘れられる」のは、今なお続く危機と痛みと不安を「フクシマ」に閉じ込めてしまったからにすぎない。
 福島との回路をもう一度取り戻そう。
 浪江町では、グーグルが協力し、「ストリートビュー」というサービスで町並みの画像を記録していく企画を始めた。
 町民からの「様子が知りたい」の声に応えるためだが、原発事故に見舞われた町のありのままの姿を、世界に向けて発信する狙いもあるという。
 原発付近一帯を保存し、「観光地化」計画を打ち上げることで福島を語り継ぐ場をつくろうという動きも出ている。
 いずれも、現実を「見える化」して、シェア(共有)の輪を広げようという試みだ。
 「電力会社が悪い、国が責任を果たせって言えるのは僕らが最後かもしれません」と、浪江町の玉川さんは言う。「何が起きたのか、今ちゃんと共有して賠償制度や避難計画を見直さないと、今度どこかで事故が起きたら『福島のことを知ってて(原発を)受け入れたんでしょ。自己責任です』と言われておしまいになりかねない」

■私たち皆が当事者
 その玉川さんが昨年4月、原発を訪れた際、ソーシャルメディア「フェイスブック」に書き込んだ投稿が、「シェア」という機能によって、人から人へと広がり続けている。すでに1万5千件を超えた。
 そこには、こんな言葉がつづられている。
 「今回の事故は最悪ではなかった/幸いなことに最悪を免れることができたという、恐ろしい事実をもっと皆で共有すべきと感じます」「福島を支援するということが誤解/福島の地で今を支えている/それによって日本が支えられている/皆がまさに当事者なのです」

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130311/dst13031103240005-n1.htmより、
産経新聞【主張】3・11 復興支える「絆」強めたい まず風評被害を根絶しよう
2013.3.11 03:23 (1/3ページ)

 「鎮魂の日」を迎えた。
 2年前の3月11日に発生した巨大地震と大津波は、東北を中心とした太平洋岸に未曽有の災禍をもたらした。死者・行方不明は1万8千人を超える。うち2700人近くが今も不明のままだ。
 地震が起きた午後2時46分には、黙祷(もくとう)して亡き人々の冥福を祈りたい。残された者の3年目の歩みは、犠牲者の霊前で心をひとつにすることから始まる。
 被災地の復興を成し遂げ、必ず襲来する次の巨大地震の被害を最小に抑える。そんな誓いを、かけがえのない家族や友人知人を亡くした人たちと共有したい。

 ≪ようやく原点に立った≫
 この2年、復興の歩みはあまりに遅すぎた。
 民主党政権のもと、政治家は保身と権力争いに奔走し、官僚組織の硬直化を招いた。それが被災自治体の手足を縛り、初動を遅らせた。発災当時の首相を起点とする「負の連鎖」といえるだろう。
 昨年末の政権交代後、安倍晋三首相は、強い権限を持つ「福島復興再生総局」を新設した。
 復興庁の司令塔機能の強化、現地采配の効果が表れるのはこれからだが、復興に取り組む意思と実行力を示し、被災者が前を向く環境に変えた。ようやく「原点」に立った感がある。
 「仙台の復興は進んでいると言われるけど、津波をかぶった地域は取り残されたようで…」
 仙台で最も被害の大きかった若林区荒浜地区の海岸で、清掃作業をしていた元住民の女性は寂しそうに話した。1年前に比べ、がれきの処理だけは進んだが、普段は訪れる人も少ない。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130311/dst13031103240005-n2.htmより、
2013.3.11 03:23 (2/3ページ)
 岩手、宮城、福島の東北3県の自治体では仙台市などを除いて人口減少に歯止めがかからない。仮設や民間の賃貸住宅で避難生活を送る人も31万人以上いて、1年前(約34万人)からそれほど減っていない。原発周辺の福島の被災者は、住み慣れた土地に帰還することすら、まだかなわない。
 こうした人々を支えるために、実践すべきことがある。まず風評被害の根絶だ。福島の農水産物は厳格な安全基準と検査を経て、市場に流通している。だが、売れない。放射線に対する拒絶反応が肥大しているからだ。さらに国は、年間1ミリシーベルトまで除染するという非現実的な目標も掲げている。
 風評の範囲は東北全県や茨城にも及ぶ。震災がれきの受け入れ拒否も、根っこは同じだ。過剰な自己防衛が被災者を傷つけていることを認識すべきだろう。
 大震災直後、海外にまで広がった「絆-つながり」を思い起こしたい。どんな形でも、心をつなぐことが被災者の力になる。
 放射線を恐れるな、と言うのではない。被災地の窮状を理解し、「つながり」を拒絶するなと訴えたいのだ。風評被害は偏見から生じた人災である。

 ≪次の地震に教訓生かせ≫
 「3・11」の記憶を引き継ぎ、やがて来る次の巨大地震、津波への備えに生かすことも、大切な、そして誰もができる被災者との「つながり」となる。
 東日本大震災では、地震発生から津波の到達までに数十分から1時間程度の時間があった。
 安全だと思っていた避難所や渋滞で動けなくなった車の中で、多くの命が濁流にのまれた。「堤防があるから」と自宅にとどまった人もいよう。防災無線で最後まで避難を呼びかけ犠牲になった宮城県南三陸町職員、遠藤未希さんのことを決して忘れまい。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130311/dst13031103240005-n3.htmより、
2013.3.11 03:23 (3/3ページ)
 気象庁は今月7日から、新しい津波警報の運用を始めた。大震災を教訓に、津波の規模が過小評価にならないよう改善し、避難行動を強く促すこととした。
 しかし住民の避難意識が低下すると、命を守るための警報が「オオカミ少年」的な情報になる恐れがある。システムやマニュアルは、いずれ形骸化する。
 今世紀前半に発生する可能性が高い南海トラフ(浅い海溝)の巨大地震は最悪の場合、「東日本大震災を上回る被害が発生し、国難ともいえる巨大災害になる」(中央防災会議)とされる。東日本と同じ海溝型地震で、最大級でなくても津波は起こる。首都直下地震にも備えなくてはならない。
 「3・11」の記憶は、列島を今後襲う巨大地震、津波を乗り切るために不可欠な日本の財産だ。一人一人が重い教訓に学び、正しく継承したい。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013031102000153.htmlより、
東京新聞【社説】3・11から2年 後退は許されない
2013年3月11日

 風化が始まったというのだろうか。政府は時計の針を逆回りさせたいらしい。二度目の春。私たちは持続可能な未来へ向けて、新しい一歩を刻みたい。
 ことし一月、フィンランドのオンカロ(隠し場所)を取材した。使用済み核燃料を地中深くに埋設する世界初の最終処分場である。
 オンカロを運営するポシバ社の地質学者のトーマス・ペレさんが、その巨大な洞窟の道案内を務めてくれた。
 二〇二〇年ごろから核のごみを搬入し始め、八十年で処分と管理を終えて埋め戻し、入り口はコンクリートで固く閉ざして、元の自然に返すという。

◆ゼロベースで見直すと
 「地上には何の印も残さない。そこに何かがあるとは、誰も気付かないように。ここは忘れるための施設なんだよ」
 ペレさんのこの言葉こそ、忘れられるものではない。
 忘れることで危険がなくなるわけではない。先送りするだけなのだ。いつかきっと誰かがそこを掘り返す。
 あれから二年、安倍政権には後戻りの風が吹いている。
 首相は一月の国会答弁で「前政権が掲げた『二〇三〇年代に原発ゼロ』の方針は具体的根拠を伴っていない。ゼロベースで見直す」と、脱原発の方針をあっさり打ち消した。
 先月末の訪米時には、ゼロ戦略の見直しと原発維持を、オバマ大統領に告げている。
 また施政方針演説では「妥協することなく安全性を高める新たな安全文化を創り上げます。その上で、安全が確認された原発は再稼働します」と、早期再稼働に意欲を見せた。
 安倍首相の発言に呼応して、霞が関も回帰を急ぐ。エネルギー基本計画を話し合う有識者会議から、脱原発派を一度に五人も追い出した。
 核のごみでは、前政権が打ち出した直接処分の検討を撤回し、使用済み燃料からプルトニウムなどを取り出して再び使う再処理を維持しようという動きもある。再処理を維持するということは、トラブルだらけの核燃料サイクル計画を続けていくということだ。
 そういえば、忘れていたようだ。電力業界ともたれ合い、半世紀前から国策として原発立地を推し進めてきたのは誰だったのか。安全性や核のごみ処理を置き去りにしたままで、世界有数の地震国に五十基を超える原子炉を乱立させたのは、ほかならぬ自民党政権だったのではないか。

◆どうしようもないもの
 政権の座に返り咲いた自民党こそ、福島原発の惨状を直視して、自らの原子力政策がどこで、どう間違ったのか、つぶさに検証すべきである。
 検証も反省もないままに、国民の多くが支持した「原発ゼロ」の上書きだけを急ぐのは、とても危険なことではないか。
 福島第一原発の解体作業を阻んでいるのは、水である。原子炉を冷やすのに一時間あたり約十五トンの冷水を注ぐ必要がある。このほかに毎日四百トンの地下水がどこからか流れ込んでくる。
 最新の浄化装置を使っても放射性物質を完全に取り除くことは不可能だ。敷地内を埋め尽くす巨大なタンクなどには、すでに二十七万トンもの汚染水がなすすべもなくたまっている。これだけを見ても「安全文化」などとはほど遠い。
 核のごみ、活断層、汚染水…。人間の今の力では、どうしようもないものばかりである。エネルギーとしての原子力は持続可能性が極めて低いという現実を、福島の惨事が思い知らせてくれたのだ。
 見方を変えれば原子力時代の終焉(しゅうえん)は、持続可能な社会への移行を図るチャンスに違いない。そのような進化を遂げれば、世界に範を示すことにもなる。
 オンカロを見学したあと、デンマーク南部のロラン島を訪れた。沖縄本島とほぼ同じ広さ、人口六万五千人の風の島では、至る所で個人所有の風車が回り、「エネルギー自給率500%の島」とも呼ばれている。
 デンマークは原発をやめて、自然エネルギーを選んだ国である。ロラン島では、かつて栄えた造船業が衰退したあと、前世紀の末、造船所の跡地に風力発電機のブレード(羽根)を造る工場を誘致したのが転機になった。

◆福島の今を忘れずに
 当時市の職員として新産業の育成に奔走した現市議のレオ・クリステンセンさんは「ひとつの時代が終わり、新しい時代への一歩を踏み出した」と振り返る。
 二度目の春、福島や東北だけでなく、私たちみんなが持続可能な未来に向けて、もう一歩、踏み出そう。そのためにも福島の今を正視し、決して忘れないでいよう。

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