記者の目:ある自死遺族の訴え 大澤重人氏
http://mainichi.jp/opinion/news/20130320k0000m070080000c.htmlより、
記者の目:ある自死遺族の訴え=大澤重人(周南支局)
毎日新聞 2013年03月20日 00時07分
◇「追い込まれた末」理解したい
「災害死や事故死、病死」と「自殺・自死」。前者は誰もがその死を悼むだろう。同じ命だが、後者はどうか。「命を粗末にして自分で死んで」。そう思いはしまいか。私はそうだった。しかし5年前に愛娘を自死で亡くした母親を取材して、考えが変わった。「あの子は生きたかったんだ」。母親は今、涙をこらえて体験を語る。3月は自殺対策強化月間。「勝手に死んでいった人」という思い込みを捨てることから始めたい。
◇「命を粗末に…」思い込み捨てて
山口県岩国市の介護職員の寺尾真澄さん(53)は昨年3月、次女の礼さん(享年23)の命日に自死を考えるフォーラムを開いた。あの日以来、毎日履き続けている娘の靴でステージを踏み締め、娘の一部始終を約130人に語った。つらいはずの体験をなぜ。自宅を訪ね取材を重ねた。
「娘は何一つ悪いことはしていない。娘の生きた証しを知ってほしい」。寺尾さんは包み隠さず話し始めた。
礼さんは4人きょうだいの2番目。小中高と剣道に明け暮れた。幼いときの夢をかなえ看護師になり、05年4月から大規模病院に勤めた。患者の最期を丁寧に看護し、「天使」と呼ばれた。様子が変わったのは08年1月。出勤したが、車から出られなかった。精神科で「うつ傾向」と診断されて休職、抗うつ薬など日に最大5種10錠を服用した。リストカットを始め、入院しようとした矢先の2月中旬、薬を大量に飲み救急病院へ。ふらふらした状態で帰宅を指示され、その夜浴室で自死を図り、3月初めに息を引き取った。なにごとにも生真面目に取り組んだ礼さん。自死の理由はわからぬままだ。家族に「殺して」と懇願する一方、同期の看護師には「生きたい」と再三訴え、自死を図る数日前にはこんなメールを送った。「早く治して下さいって泣きながらお願いしてた」
昨年8月に見直された国の自殺総合対策大綱には、「個人の自由な意思や選択の結果ではなく、『その多くが追い込まれた末の死』」とある。まさに礼さんがそうだ。苦しむ礼さんを、家族をはじめ、その年の秋に結婚予定だった1歳上の彼が温かく見守り続けた。それでも……。
礼さんは薬の量が増えるにつれ、目つきや表情が変わり、わがままな言動を繰り返したという。寺尾さんは「薬物の影響で判断力が鈍っていたのではないか」と疑う。しかし、「最後は私の責任」。受診していたので、治るものと思っていた▽うつが自死につながるとは思いもしなかった▽自死は別の世界の出来事と思い込み、大量に薬を飲んでも本気に受け取れなかった−−と心の底から悔やむ。
◇精神的負荷、偏見 社会にも問題
http://mainichi.jp/opinion/news/20130320k0000m070080000c2.htmlより、
自ら命を絶つ人が国内では昨年、15年ぶりに3万人を下回ったものの、交通事故死者の6倍以上の数に及ぶ。
一昨年、兄を亡くした知人は周囲に自死だと伝えていない。「辱められる気がするから」。自死防止策に今一つ身が入らないのは、社会の偏見が邪魔していないか。心の弱い人が頑張れずに死を選んだのだろうか。精神的に負荷を与える社会にも問題がありはしまいか。7年前に24歳の次男を亡くした島根県出雲市の桑原正好(しょうこ)さん(62)は「うつ病対策ではなく、精神的に追い込まれない社会を作らねばならない」と強調する。
「母親失格」。娘の死後、自分を激しく責め続けた寺尾さん。同じ自死遺族と出会い、少しずつ立ち直った。「同じ悲しみは私たちで十分」と体験を語り始めた。
「どうか自死を人ごとと思わないでほしい」。寺尾さんは先月15日、娘の母校の山口県立萩看護学校で、「命の尊さ 命の重さ」と題し、全2年生60人に講演を行った。
昨秋から保健師や看護学生ら医療関係者への講演を始めた。命の大切さを伝えたいのは、将来死を選ぶかもしれない若い人やその家族という。講演の最後にこう訴える。「働き出すとつらいことに出合うかもしれない。だけど、絶対に生きていて。どうしても困ったら私が助けるから私のところへ来てください」
確かな感想が届く。「医療機関につながったら安心というのはきょうからやめたい」(保健師)▽「昔、リストカットをしていた自分がすごく恥ずかしくなりました」「今を当たり前だと思わずに、家族やつながっている人々との時間を大切にしようと思いました」(ともに看護学生)
取材や講演の度に涙ぐむ寺尾さん。つらいに違いない。各地で遺族が勇気を振り絞って声を上げている。「追い込まれた末の死」。それが社会に理解されたときこそ、本当の意味での自死対策が始まるのではないだろうか。