時代の風:ノルウェーで感じたこと 中西寛氏

http://mainichi.jp/opinion/news/20130324ddm002070092000c.htmlより、
時代の風:ノルウェーで感じたこと=京都大教授・中西寛
毎日新聞 2013年03月24日 東京朝刊

 ◇留学生を増やすために−−中西寛(ひろし)
 今、講義や講演のためにノルウェーのオスロ大学に滞在している。ノルウェーは人口500万人に満たない国家だが、東洋研究の中に日本学という分野があり、大層人気があるそうだ。聞くと、学生が興味をもつようになるきっかけはやはり圧倒的に漫画、アニメだという。これはノルウェーに限った話ではなく、日本で新作が出るとすぐにインターネット上で各国語への翻訳がされて、評価で盛り上がるらしい。

 当地の先生は、こうしたきっかけで日本語や日本に興味を持つ学生は多すぎて人数制限をするぐらいの盛況なのだが、教員としては、学生に漫画やアニメ以外の日本文化や日本の政治、経済にも興味を持ってほしいと考えている。しかし、特に日本の政治や経済について英語で講義のできる先生は少ない。そうしたわけで私にお呼びがかかり、現代日本の政治や外交について話をしている、というのが今回の滞在の背景である。

 もちろん私はノルウェー語はできないが、それは問題ではない。今ではノルウェーでも大学教育は英語で行われる。他の北欧諸国でも同様で、人口の少ない国では大学に他国の留学生を受け入れることが必須であり、自国語での教育にこだわっていては留学生獲得はおぼつかないから、英語で講義をするし教員にも社会にもそれほど抵抗はない、という状況だそうである。

 ヨーロッパの「大国」であるドイツ、フランス、イタリアなどはだいぶ事情が異なっていて、自国語での研究・教育にこだわっているが、北欧などから見ると閉鎖的すぎるように見えるらしい。現にそうした「大国」の若手研究者は、就職の難しさと閉鎖的な環境に満足できず、アメリカなど国外で職を探すことも多いとのことだった。

 こうしたヨーロッパの事情は日本についても参考になる。日本は人口ではヨーロッパの大国以上の規模であり、日本語での教育体系が成り立っている。ただ、周知のように、若年人口の減少は着実に日本にも影響を与えていて、経営が苦しい大学も多い。打開策の一つは留学生であると考えられるし、また、日本の国際的な影響力を高め、日本の大学のランキングを上げるといった目標が掲げられて、留学生を増やすための政府の補助金なども出されている。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130324ddm002070092000c2.htmlより、
 ただ、文系の教員の目からすると、日本で留学生を増やすための最大の壁はやはり日本語である。日本語は話すのは比較的簡単だが、聞いたり、読んだり、書いたりするのはハードルが高い。かつては漢字を覚えることがまず大変だったが、今はワープロの発達でその負担は軽減された。しかしやっかいなのは漢字の読み方の多様性や同音異義語の多さ、送りがなの規則性のなさである。日本人は意識していないが、こうしたことは結局、文脈によって瞬時に判断して使い分けており、明確なルールというものがない。いかなる言語にもルールに対する例外は存在するけれども、日本語は特に普遍的なルールが少なく、しかし状況に応じて正しく使わないと意味が通じない事が多いという点では外国人には負担の大きい言語なのである。

 留学する側からすると、知的世界で圧倒的な影響力をもっている英語の世界で勝負したいと思うのが自然であろう(世界の学術雑誌の9割以上は英語で出版されている)。もちろん先述のように、日本を知りたい、日本に興味があるという学生は潜在的にはかなりいる。

 しかし、日本の大学に留学し、日本語で論文を書くことになれば、将来の進路は日本関係の仕事に限られる可能性が高い。そうしたポストは今や少数だし、ノルウェーでもそうであるように日本について英語で教えている大学は世界にたくさんあるのだから、学位はそうした大学で取得し、日本には研究の過程で一時期滞在して日本語を上達させ、研究分野の調査を行った方が合理的という判断になるだろう。

 日本の留学生政策についても、こうした海外での日本教育の実情や、日本を学んだ学生のキャリアパスの問題まで含めて考える必要があるだろう。日本での発想はどうしてもこうした世界の変化からは遅れがちで、留学生への奨学金や大学で英語の授業を増やせ、といった中途半端な話になってしまう。

 留学生への奨学金は重要だが、より重要なのは、学生にとって使いやすい寮や、ストレスなく大学を利用できる体制(今回私は到着後数時間で、滞在期間中の学内のコンピューター利用や図書館IDが可能となった)を整備することである。また、英語授業はよいけれども、日本語の授業と両方というのは教員への負担が大きすぎる。英語で全部授業をする、ということになると大学での抵抗もさりながら、日本社会も容認しないだろう。一朝一夕には解決しない問題で、目先の予算の話ではなく、長期の視点から改善策を考えていかねばならない。=毎週日曜日に掲載

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