新・中国はどこへ 1~6 民衆の怒りを侮るな

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013031802000149.htmlより、
東京新聞【社説】新・中国はどこへ<1> 民衆の怒りを侮るな
2013年3月18日

 全人代の開幕日、何十台もの欧州製高級車がひしめくように北京の人民大会堂裏口に向かうのが見えた。温家宝前首相の政府活動報告を聞き終え、党や政府の幹部が帰路を急ぐ様子だった。
 温氏は演説で「所得分配の格差を縮小し、発展の成果の恩恵がより多くより公平に全人民にいき渡るように」と声を張り上げた。
 会場に響いた「公平」のかけ声と、人民代表の高級車群の対比こそ、中国が抱える格差の矛盾をさらけ出していたのではないか。
 公式統計ですら、都市と農村の収入格差は三倍以上ある。富裕層と貧困層の差ともなれば、天文学的数字ともいわれる。
 特に、都市と農村の格差は深刻だ。温氏は「農民の財産権の保障」を繰り返し訴えた。地方政府が農民が請け負う土地をろくな補償もなしに収奪しているからだ。
 収奪の狙いは再開発による金もうけである。農民の反発は激化する。全人代の最中にも、広東省の村で農地を不正売却しようとした幹部に怒り、村民三千人と武装警察が衝突した。
 見逃せぬのは、「農村問題の本質は社会的な身分差別」(王新生・北京大教授)との鋭い指摘だ。毛沢東時代、半世紀前の戸籍登記条例が、都市と農村の戸籍を分けた。差別の起源だといえる。
 農村からの安い食糧の安定供給や都市の治安などが目的だった。農民を犠牲にした都市住民の優遇策と言われても仕方がない。
 農民は公安部門が管理する戸籍で農村にしばりつけられた。かつては、大学に入学するなどのほかは、農民の身分を変えられなかった。
 医療など社会保障の水準でも都市住民と差別される。義務教育の無料化や、一部で都市戸籍を徐々に開放する試みもあるが、「二等公民」のような差別をやめぬ限り格差はうまらない。
 腐敗続きで辛亥革命で倒れた清朝はむろん、中国の多くの王朝が農民反乱で滅亡した。民衆の怒りを侮ってはならない。(論説委員・加藤直人)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013031902000131.htmlより、
東京新聞【社説】新・中国はどこへ<2> “腐敗”は共産党を滅ぼす
2013年3月19日

 中国の庶民は「汚職腐敗を取り締まらねば国が滅ぶ。取り締まれば共産党が滅ぶ」と、声を潜めて皮肉る。それほど深刻である。
 胡錦濤政権二期目の五年間に、汚職で立件された公務員が二十二万人近くに上った。取り締まりが厳しくなったせいかもしれないが一期目より九千人も増えた。悪弊は変わっていないのだろう。
 全人代では、最高検の報告に対し、二割超もの批判票があった。汚職腐敗への対策がまだまだ手ぬるいと、強烈な不満を反映したものだ。
 中国社会では、権力を利用して金をもうける「権銭交易」のあしき慣行が、残念ながら歴史的に根強い。
 共産党一党独裁になり、権力が過度に集中していることが、さらに腐敗をまん延させている。
 江沢民元総書記の三つの代表論が、原因の一つといわれる。国家と人民の根本的利益の実現をうたい、資本家に入党の道を開いたといわれる。現実には、権力を持つ党員に資本家への道を開いた。
 つまり、権力の私物化である。すぐに金持ちになれる。
 役人の権限が強いため、庶民の側にも、わいろを贈って私的利益を図ろうとする人も多い。
 中国の街を歩くと、香りがよく度数の強いお酒の中でも特に高価な白酒や、高級たばこを買い取る商店を見かける。腐敗役人がわいろの品を換金しているのだ。
 昨秋の党大会で、胡氏は汚職について「党に致命的な結果となりかねず、党の崩壊や国家の衰退の可能性もある」とまで述べた。
 全人代では、整列した接待員が人民代表を迎えた。
 代表を前に、新首相の李国強氏は「公職についた以上、金持ちになろうという考えを断ち切らねばならない」と、言い切った。
 冒頭の庶民の言いぶり、そのままである。世論による権力監視を強め、法治を徹底しなければ、共産党にとっての悪夢は、現実のものになりかねない。(論説委員・加藤直人)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013032002000125.htmlより、
東京新聞【社説】新・中国はどこへ<3>言論の自由は止まらず
2013年3月20日

 全人代の地方分科会は徐々に公開が進んでおり、外国人記者も積極的に取材をしている。
 注目された広東省分科会で、省トップの胡春華氏は週刊紙「南方週末」の記事差し替え問題に触れなかった。傍聴した国内外二百人余の記者は落胆していた。
 胡氏は、十年後に習近平総書記を継ぐとも期待され、次代を担う改革派と目される。だから、言論統制について、省トップとして考えを示してほしかったのだ。
 中国憲法は、公民に言論や出版の自由を認めている。現実には、党宣伝部がメディアを検閲し統制している。
 広東省はかつての改革開放のように、中国の政策の実験場といわれる。香港から自由な民主の風が吹き込んだ地でもある。
 一足飛びに言論の自由を進めるのは無理でも、言論の重要性を問う動きは日々増している。
 中国の民主化運動を振り返れば一九七八年、壁新聞が張り出される「北京の春」で芽吹き、八九年の天安門事件で最高潮に達した。「南方週末」の問題では天安門以降、市民社会で言論の自由が初めて正面から論じられたといえる。
 今の中国は、誰が指導者になろうとも、共産党の独裁が何よりも重要と考える体制である。歴代の指導者たちは「西側の民主化モデルとは違う、独自の民主を進める」と主張してきた。
 だが、そんなことが本当に実現可能なのだろうか。自国の権力を批判できない民主主義なんて、あるのだろうか。
 党や政府が報道統制で民衆に目隠しをし、政権安定を図ろうとしても必ず矛盾は噴き出す。ネット利用者は五億人を超えた。
 今回は挫折したが、大きな一歩であった。人治をやめさせ法治を手に入れるため、言論の自由を守る闘いは続くだろう。それは誰にも、国にも共産党にも止められない。(論説委員・加藤直人)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013032102000133.htmlより、
東京新聞【社説】新・中国はどこへ<4> 私は地下鉄で来ました
2013年3月21日

 見上げれば、空はかすんでいる。全人代でも大気汚染、環境が大きなテーマに浮上した。
 北京市の分科会で、徐和誼代表は「北京の大気汚染は国家イメージの問題だ」と声を張り上げた。自動車メーカー会長でもある徐氏はエコカーの普及も訴えた。
 日本の自動車の場合、排ガスの有害物質削減は技術革新で成し遂げた。中国はその途上にあるのかもしれない。
 分科会後の記者会見では「汚染で命を縮めてまでお金を稼いでどうする」と厳しい質問も飛んだ。女性記者は「代表の皆さんは高級車に乗るでしょうが、私はタクシーではなく地下鉄で会場に来ました」と声を詰まらせた。
 発展の高揚と同時に、市民の多くは泣いているのである。党や政府が環境汚染に対する危機感が薄いとすれば、問題は深刻だ。
 中国政府は二〇一一年の報告で「北京、上海など対策重点地区の八割以上で大気の安全基準を満たしていない」と認めている。
 北京では健康に有害とされる微小粒子状物質PM2・5の測定値が日本の環境基準の十~十五倍もの日が続く。肺がんの発症率は爆発的に増えている。
 温家宝・前首相は全人代で「決意を固めて大気、水質、土壌など大衆の切実な利益に関わる環境汚染を解決する」と訴えた。
 だが、主たる汚染源の石炭ばいじんを減らす抜本策は描けていない。工場の一時操業停止などは応急措置にすぎない。
 巨大な中国の環境汚染は周辺国にも悪影響を与えている。国際問題にすらなりつつある。
 党や政府と関係の深い工場などが環境規制を守らず、従って当局も厳しく監督していないというのであれば、もはや論外であろう。
 温氏は「発展なしでは何事も成し遂げられぬ」と訴えたが、汚染は成長優先のつけでもあり、実は政治のありようを問うている。
 成長を減速させても命を守る政治へ。民衆の目は、厳しくなりつつある。(論説委員・加藤直人)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013032202000163.htmlより、
東京新聞【社説】新・中国はどこへ<5> 歴史の屈辱と中華復興
2013年3月22日

 中国トップの座についた習近平氏は、国家主席就任後、初の演説で「中華民族の偉大な復興という中国の夢を実現する」と訴えた。
 アヘン戦争をきっかけに、一時は東亜病夫(東洋の病人)とまで言われた屈辱の百七十年間を総括し、歴史と伝統に輝く中華の大国を再現したいとの願いを込めたものであろう。
 確かに、アヘン戦争に敗れる前の清国は、広大な領土を有する世界の大国であった。満州民族が建てたものの、次第に自国を世界の中心として、周辺国を夷狄(いてき)と見下す中華思想の世界観を有した。
 今や、国防予算は二十五年連続で二桁増。習氏は演説で「強軍」と言う。
 中国は、欧州や日本の帝国主義に踏みにじられた歴史を雪辱し、大国復帰を願う努力を批判されるのは、受け入れがたいと思うかもしれない。
 だが、超大国への道を歩む今、それにふさわしい行動と政策が求められる。中国脅威論とは、そのけん制でもある。
 歴史を振り返れば、十九世紀末に孫文が革命を志し振興中華を意味する「興中会」をつくった。
 「中華民族の復興」は習氏だけの旗印ではなく、歴代の指導者が孫文の精神を脈々と受け継いできたものであろう。
 だが、孫文は神戸での「大アジア主義講演」で、日中戦争前の日本に対し「西洋覇道の走狗(そうく)となるのか、東洋王道の守護者となるのか」と問いかけた。
 武力による覇道でなく、道徳や仁義を重んじる王道を求めることが、孫文の精神でもあろう。
 どの国も全力で領土主権を守るのは当然だ。しかし、トップが「戦争に打ち勝つ」などと口にするのは危険極まりない。
 習氏は「愛国主義で中華民族を団結させる」と言うが、「中国の夢」を、排外的なナショナリズムにつなげてはなるまい。
 江沢民元総書記は一九九〇年代半ばから、国民に愛国主義教育を徹底した。
 屈辱をエネルギーに変えることはできるが、それが周辺国との摩擦や衝突、また反日デモなどにつながったことを忘れてほしくない。
 党のための中華振興ではなく、民衆が主人公の健全な中華復興こそ望ましい。
 二十一世紀の大国らしさとは、力による支配ではなく、協調であることは言うまでもない。(論説委員・加藤直人)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013032302000164.htmlより、
東京新聞【社説】新・中国はどこへ<6> 「法治の大国」であれ
2013年3月23日

 中国トップ7の一人で、汚職取り締まり担当の王岐山氏が、内部の座談会で、フランスの歴史学者のトクヴィルが自国の革命について書いた「旧制度と大革命」を読むよう、党員に求めたという。
 王発言を一月中旬に伝えた人民日報は「貴族は地位に固執し、特権にしがみついて人民に関心を示さず、不平等を拡大させた」と、革命に至る背景を紹介した。
 なんと今の中国が直面している状況に重なることか。
 一九九〇年代以降、中国は市場経済化は推し進めながら、共産党独裁を支える政治の一元支配を強めてきた。
 その結果、法治でなく党幹部による人治が横行し、特権層にばかり富が集中する格差の拡大という深刻な社会の病を生んだ。
 八〇年代の改革開放は、一党独裁を見直す政治改革に手をつける段階にまで進んだことがあった。だが、八九年の天安門事件の後遺症から、〓小平は政治改革について「争論」を封じた。
 汚職腐敗、格差、言論統制など中国を悩ます多くの国内問題の原因は、突きつめれば、批判や監督を許さぬ権力の集中にある。
 新指導部は、王氏の危機感を政治改革へと踏み出す行動につなげてほしい。それがトクヴィルに学んで人民に心を寄せ、国際社会のルールを共有する一歩となる。
 日中関係に目を移せば、七二年の国交正常化以降、最悪である。「友好」を唱えるだけでは良好な関係を保てなくなっている。
 かつて出された知恵が、二〇〇八年の日中共同声明に明記された「戦略的互恵関係」だ。
 貿易、エネルギー、環境など実利優先で協力を深めようとの考えだ。切っても切れぬ隣国同士である。対立があればお互い損をするだけなのは、今も変わらない。
 そのうえで中国に注文もある。外交は内政の延長といわれるが、国民の不満の矛先を対外強硬策でそらそうとするなら、誤りである。中国軍による攻撃用レーダー照射は、許されざる極めて危険な行為である。
 新指導部には、何より法治の大国を目ざしてほしい。大きく言えば、二十一世紀の世界の平和と安定がかかっている。(論説委員・加藤直人)=おわり
※〓は登におおざと

東京新聞【社説】新・中国はどこへ<読者から> 「法治」を求める声多く
2013年3月30日

 「新・中国はどこへ」の連載に、さまざまな意見をいただきました。一通ごとに考えさせられ、目を見開かされもしました。心より感謝します。
 多かったのは、最終回の「『法治の大国』であれ」への共感でした。日本の重要な隣人として、民主的、平和的な大国になってほしいという希望と受け取れました。
 埼玉県熊谷市の吉沢功さん(71)は「中国の覇権主義や自由抑圧の継続は、大国にはあまりにもふさわしくない」と、人治から法治への転換の重要性を訴えます。
 大国になっただけに、それにふさわしい振る舞いを求めたいとの意見は、多くみられました。
 「世界第二の経済大国になったのだから、政治的にも大人になってほしい」「中国が法治国家として信頼されるなら、二十一世紀の世界が平和で安心できる社会になる」などの意見です。
 「私は中国を丸ごと好きでした。あの反日デモの映像を見るまでは」と、ハッとする書き出しの意見を寄せたのは千葉県柏市の司法書士、佐々木利夫さん(69)です。
 「民衆の怒りを侮るな」という連載一回目の主張に、佐々木さんは「治められる者の視点からの社説に共感する」としながら、「一方的な願望であり、ないものねだりのような気がしてなりません」とも指摘していました。
 一般に、社説または論説委員の主張は確かに“言いっ放し”の面がないとはいいません。しかし、日本にある中国大使館や総領事館、中国メディアなどを通じて、日本の新聞の考えは本国に伝わっていると思います。
 ある中国外交官は「道理と裏づけのある批判は歓迎します。横並びの中国メディアより参考になります」とすら語っていました。私たちの論説が、隣国を前向きに動かそうとする力の一つになっていると信じて書いています。
 名古屋市の税理士、真田新之助さん(83)は「民衆が主人公の健全な中華復興こそが望ましいとの主張は、わが意を得たり」と、感想を寄せてくれました。
 「日中は相互に協調すべき関係で、領土問題などで角を突き合わせるべきではない」との感想は決して少なくない意見でしょう。
 重要な隣国がどう進むかは、日本、世界の未来にも大きく影響します。皆さんと共にこれからも論考し、提言していきたいと思います。(論説委員・加藤直人)

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