週のはじめに考える 「新入生よ、本を読もう」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013033102000119.htmlより、
東京新聞【社説】週のはじめに考える 新入生よ、本を読もう
2013年3月31日
小学校、中学、高校、そして大学の新入生の皆さん、おめでとう。入学を祝うとともに、本を読もうと呼びかけたい。新しい世界がそこにはあります。
本はまさに知恵の宝庫です。ネットのことは、あとで述べるとして、まず図書館の有名な話をふたつ紹介しましょう。
一つめは、あのマルクスです。思想の当否はともあれ、彼が大英博物館の図書館を仕事場としていたことはよく知られています。
ある日、本をもった入館者が席を探していると、図書館員がこう話しかけたそうです。
◆図書館から生まれた
「もしもし、ここは空けておいてください。ここはドクター・マルクスの席です。必ずお見えになりますので」
入館者は驚いて、
「あの『共産党宣言』を書いた人ですって」
マルクスは、その席で毎日十時間仕事をしたそうです。経済学の本を読み、英国の工場内労働の年報を調べた。『資本論』などはそこから生まれたのです。
もう一つの話は、二十世紀半ばのアメリカ人女性のことです。
名はベティ・フリーダンさん。のちに女性解放運動の旗手となる人ですが、二人目の子の妊娠を理由に新聞社を解雇され、いわゆる専業主婦になっていました。
経済的に不自由ではなかったが「理由の分からない空虚な気持ち」をもったそうです。一体何が女性を苦しめているのか。
彼女はニューヨークの公立図書館へ行きました。
参考図書を探し、過去の婦人雑誌を調べ上げ、本を書いた。題は「フェミニン・ミスティーク(邦題・新しい女性の創造)」。二百万部を売るベストセラーになり、世界で読まれました。
◆温故知新は古典から
図書館の世話になった作家や学者は数え切れないのですが、この二人を紹介したのは、亡命中のロンドンで夜具や下着にも困るような赤貧のマルクス、あるいは生き方に疑問を持ち始めたフリーダンさんを最後に助けたのは本だったという、単純だが重要な事実を知ってほしかったからです。
ネットには大量かつ最新の情報が蓄えられています。引き出すのも簡単です。
それに対して、本は長年の蓄積が豊富にあり、著者と出版社の名が明示されてもいます。中でも古典と呼ばれる人類の知恵は、時代とともに磨かれてきたのです。
もし今、マルクスやフリーダンさんがいたのなら、ネットで最新情報を得て、発信もしたでしょうが、考察の深みへと進むには知識の蓄積に勝る本がやはり必要だったのではないでしょうか。
温故知新といいます。過去の知識から新しい考えを得るのです。
小中高の生徒は読書指導により読書量を増やしているのに、大学生のそれは減っているそうです。 大学生協の調査(二〇一一年)では、大学生の一日の読書時間は三十二分(前年比二・六分の減少)一カ月の書籍代は千八百五十円(同二百四十円の減少)だったそうです。ネットの影響もあるのでしょうが、要は知識欲です。それを満たすのはやはり本でしょう。
さまざまな読書案内の中、たとえば東京大学出版会の宣伝誌「UP」は一九八八年以来「東大教師が新入生にすすめる本」という特集を毎年組み、二〇一一年までの二十四年間で延べ五百七十人の教師が約三千四百冊を紹介。その中で、印象に残った本、これだけは読んでおこう、として選ばれた数の多かった本は以下のようです。
一位は三冊あって、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」、カール・マルクス「資本論」、高木貞治「定本 解析概論」。
二位はルネ・デカルト「方法序説」とマックス・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」。三位はベネディクト・アンダーソン「定本 想像の共同体」。国民国家の成り立ちを説いています。
小説では五位ドストエフスキー「罪と罰」、六位高橋和巳「邪宗門」、トルストイ「戦争と平和」、セルバンテス「ドン・キホーテ」、七位曹雪芹「紅楼夢」など。
◆まずは一冊手にとって
懐かしい本があり、また読み損ねていた本もあるでしょう。
私たちは情報過多時代に生きています。本は押し寄せてくるようです。しかし、この一冊という本にはめったに出合うものでもありません。それでも、その一冊を見つけるために、まずは一冊を読んでみようではありませんか。
教訓めいたことは言いたくもありませんが、本を読むとは、未知なる自分を見つけることです。少々の忍耐を伴っても、それがきっと一番の近道なのです。