ナガサキ平和リレー:入市被爆「残留放射線が原因」

http://mainichi.jp/area/nagasaki/news/20130409ddlk42070506000c.htmlより、
ナガサキ平和リレー:/207 入市被爆、兄の症状 土山さん「残留放射線が原因」/長崎
毎日新聞 2013年04月09日 地方版

 長崎原爆の影響を調査している県保険医協会長の本田孝也医師(57)が3月、元長崎大学長で被爆者の土山秀夫さん(87)と面会し、原爆の残留放射線の人体影響について助言を求めた。日米共同研究機関・放射線影響研究所(広島市、長崎市)が残留放射線の影響を「無視できる程度に少なかった」などと説明している点について、原爆投下直後に医学生として被爆者の救護に当たった土山さんは「信用しかねる」と語った。
 残留放射線を巡っては、1945年9月6日、米軍のファーレル准将が「広島・長崎では死ぬべきものは死んでしまい、現在において原爆放射能で苦しんでいる者は皆無だ」との声明を出し影響を否定した。現代でも原爆投下後に一定区域に入って被ばくした入市被爆者らが原爆症認定を求めた訴訟や、長崎の爆心から12キロ以内で原爆に遭いながら被爆者健康手帳が交付されない被爆体験者の訴訟などで、原告は被害を訴えたが、国側は否定した。昨年12月、放影研は「影響は無視できる程度に少なかった」との見解を改めて示した。
 68年前、土山さんの自宅は長崎の爆心から約350メートルにあり、爆心から約500メートルの長崎医科大付属医学専門部の学生だった。原爆投下時は、3番目の勤務医の兄とともに、母の疎開先の佐賀に向かう途中で難を逃れた。翌朝、長崎にたどり着き、付属病院などで負傷者の救護にあたった。自宅では、顔が黒こげになって首から下が埋まった長兄の遺体を掘り起こした。その後も新興善国民学校の救護所や大村海軍病院などで救護や調査に従事した。
 土山さんと行動をともにした勤務医の兄は、原爆投下から約1カ月後、手や胸に出血斑が出て、髪の毛が抜け、鼻血が止まらなくなった。起き上がれないほどの脱力感も訴えたが、一命を取り留めた。兄は初期放射線を受けておらず、土山さんは「残留放射線が原因ではないか」と見る。
 土山さんは長崎大の医学部長だった82年ごろ、後に放影研にも所属した同僚の放射線物理学者に兄の症状を伝えると、「放射線は微量のはず。暑い季節でもあるし、別のことが原因ではないか」と残留放射線の影響を否定された。だが、土山さんは「影響がないとは言い切れないのではないか」と感じている。

http://mainichi.jp/area/nagasaki/news/20130409ddlk42070506000c2.htmlより、
 一方、本田医師は、土山さんらが長崎医科大学の調来助(しらべらいすけ)教授の下で1945年10〜11月に被爆者約8000人の症状などを聞き取った調査に注目する。死亡者のデータでは、初期放射線の影響が小さいとされる爆心から2キロ以遠で被爆した人でも下痢や発熱などの症状が高率で見られた。本田医師は「残留放射線の影響と見るのが自然だ」と指摘した。【樋口岳大】
「ナガサキ平和リレー」は毎月9日に掲載します

 ■ことば
 ◇残留放射線
 誘導放射線と、放射性降下物が出す放射線に大別される。誘導放射線は、地面や建物の構成物質が、原爆の初期放射線の中性子を吸収して放射能を帯び、放出される。放射性降下物は、核分裂生成物や分裂しなかったプルトニウムなどが降り注いだもの。原爆投下後に長崎市内に入った人や「死の灰」を浴びた人たちが被ばくしたと考えられている。
〔長崎版〕

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