サッチャー氏死去 「保守革命が遺した宿題」

http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_top_pickup#Edit2より、
朝日新聞 社説 2013年 4月 10 日(水)付
「鉄の女」逝く―そして難題が残った

 国家は国民の大きな守護者となり、国民は愛国心をもって国を支える。その力で強く豊かな社会をつくり上げる――。
 近代に広まったそんな国家モデルが行き詰まったところで登場したのが、マーガレット・サッチャー氏だった。
 国家の肥大化による慢性的な経済停滞という「英国病」。それを治療するべく1979年から11年間、同国初の女性首相をつとめ、福祉国家としての英国の土台をつくりなおした。
 すでに、首相になる前の教育相時代、学校での無料のミルク配布をやめさせた。首相に就任後は「小さな政府」をかかげて国有企業を次々に民営化し、教育にも競争原理を持ちこみ、効率化を進めようとした。反対する労働組合の抗議運動は警察力で抑えこんだ。
 「支え合う」から、「競い合う」へ。その社会観、国家観の転換は決定的で、その後に登場した労働党出身のブレア元首相でさえも、その多くの部分は踏襲していたといえる。
 しかし、小さくなって守護者の役割から離れていく国家をだれが愛するだろうか。サッチャー氏が国民の心をつなぎとめられたのは、彼女の強烈なナショナリズムではなかったか。
 フランスやドイツを中心に進む欧州統合に対して、サッチャー氏は常に警戒の声を上げた。居並ぶ他国の首脳を前に「私たちのお金を返して」と拠出した農業補助金の還付を求めた。
 極めつきは、アルゼンチンと戦火を交えたフォークランド紛争だ。政府内の慎重論をはねのけて、はるか遠く南大西洋の島まで部隊を送り込み、戦った。熱狂した世論は保守党を選挙で大勝させた。
 サッチャー氏が先導し、当時の米レーガン政権も導入した民営化や規制緩和策とナショナリズム。小さくなることを余儀なくされている国家を大きく見せる、この組み合わせは、各地の政治指導者に多くの信奉者を生んだ。経済のグローバル化で国家が力をそがれつつある今日、多くの政治家たちがサッチャリズムにひかれている。
 だが、金融危機や環境破壊、感染症、テロなど深刻な問題ほどグローバル化している中で、ナショナリズムはしばしば、各国間の対立を際だたせ、かえって解決への妨げになる。
 冷戦終結が近づき、グローバル化が始まろうとするとき、国家が進むべき方向はどこか。サッチャー氏は一つの答えを実現してみせた。
 けれども、その答えは同時に難題もわれわれに残した。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/130410/erp13041003160003-n1.htmより、
産経新聞【主張】サッチャー氏死去 いま学びたい「鉄の意志」
2013.4.10 03:15 (1/2ページ)

 時代が求め、そして、その要請に応えた指導者だったといえよう。
 英国を衰亡の淵(ふち)から救い、世界の政治、経済、外交の潮流をも変えたマーガレット・サッチャー元英首相が87年の生涯を閉じた。大きな足跡を残した保守政治家の死に哀悼の意を表したい。
 経済の立て直し、フォークランド紛争、冷戦勝利など、その功績を貫くのは国家と国益、主権を守る覚悟と意志である。さまざまな危機に直面する今だからこそ、日本は氏が守り続けた保守の精神を引き継いでいきたい。
 フォークランド紛争は、国際法上明白な英領土のフォークランド諸島に、アルゼンチン軍が武力侵攻したのが発端だった。サッチャー氏は、周囲に反対され、盟友レーガン米大統領も中立の立場を取る中で、約1万3千キロの彼方(かなた)まで派兵して敵軍を撃退した。
 安倍晋三首相も2月の施政方針演説で回顧録から引用したように、国際法が武力による現状変更に勝り、主権が守られなければならないという信念からだった。
 尖閣諸島も国際法上紛れもない日本固有の領土でありながら、中国の脅威にさらされている。軍事衝突は極力避けねばならないとはいえ、氏が示した「鉄の意志」は手本にすべきである。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/130410/erp13041003160003-n2.htmより、
2013.4.10 03:15 (2/2ページ)
 首相1期目の1982年に見舞われたこの試練を乗り切ったサッチャー氏は強靱(きょうじん)な精神力で、国有企業の民営化、公有資産の売却、高福祉への切り込み、規制緩和、労組切り崩し、減税などの諸改革へと邁進(まいしん)する。「小さな政府」により民間経済を活性化させることに一応成功し、経済力、国力は70年代末のどん底から蘇(よみがえ)った。
 翻って、現在の日本も、「英国病」に比べれば経済はまだまだ健康体だとはいえ、デフレの長いトンネルの中だ。サッチャー流の荒療治には今も有効な改革もある。求められるのは、閉塞(へいそく)感を吹き払った氏のような指導力だろう。
 外交・安全保障では、最大の課題は対ソ政策だった。米国との同盟関係を基軸に国防を強化し、自由と民主主義、反共産主義を掲げて東側と対峙(たいじ)した。強腰の構えがソ連圏を突き崩した面もある。
 その旧ソ連を、今の中国に置き換えれば、教訓が見えてくる。日米同盟を再建し防衛力を整備し、価値観外交で中国と相対することだ。安倍政権は、これに学び、現路線を進めてもらいたい。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013041002000157.htmlより、
東京新聞【社説】サッチャー氏死去 保守革命が遺した宿題
2013年4月10日

 「英国病」を克服し、保守革命を通して一九八〇年代の国際社会を先導したサッチャー元首相が死去した。国益を最優先に強い指導者像を全うしたが、新保守主義的手法が遺(のこ)した課題もまた大きい。
 英国初の女性首相に選出された際、サッチャー氏がアッシジの聖フランシスコを引用し「いさかいのある所に調和を」と述べたのは有名だ。実際の政治手法は徹底して闘争的だった。
 戦後政府の手厚い保護政策で活力を失っていた英国経済を受け継いだサッチャー首相は、国有企業の民営化、労働組合の解体、規制緩和を大胆に敢行。同時に英国が優位を保つ金融立国化を大胆に進め、英国像を一新した。
 既存権益と激しく対立しながらも、フォークランド戦争の勝利後は支持率が安定、同時期に保守革命を進めたレーガン米大統領とともに新保守主義の旗手として、一九八〇年代の国際秩序の先導役を担った。
 社会民主主義、社会福祉、社会市場経済と、独仏など大陸欧州が重視する社会的価値観と徹底的に闘った十一年間だった。回顧録では「社会はそれを構成する人間と遊離した抽象的なものではない」と記しているものの、在任中の「社会なんていうものはない」という発言は「サッチャー革命」のキーワードたる自助努力、自己責任の精神の象徴となっている。
 メルケル独首相、クリントン前米国務長官ら、国際政治の指導的立場への女性進出を促す役割を担った功績も特筆されよう。三者には敬虔(けいけん)なプロテスタントの家庭に育った経験も共通している。
 冷戦終結に大きな役割を果たしながら、ドイツ再統一には最後まで抵抗した。第二次大戦を経験した英国の拭えないドイツ観が反映されているのだろう。
 首相辞任説が伝えられたのは一九九〇年、全欧安保協力会議(CSCE)首脳会議のためパリに滞在している時だった。冷戦終結直後の象徴的な退任劇だった。
 冷戦後の欧州は、国家を再生させる使命を帯びる指導者と、国家主権の一部を共有して超国家的な組織を指導する役目を担う指導者が交錯する時代に入っているといえる。
 サッチャー氏は一方の指導者像は示したかもしれない。しかし、欧米主導の金融市場が危機に瀕(ひん)し、欧米の影響力が低下するグローバル時代に求められるもう一方の指導者像は、次世代の政治家の課題として残されたままだ。

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO53803480Q3A410C1EA1000/より、
日経新聞 社説 サッチャー改革が日本に問い直すもの
2013/4/10付

 歴史を転換させた為政者が死去した。1979年から11年にわたり英国の首相を務めたマーガレット・サッチャー氏である。国の長期衰退に歯止めをかけ経済を復活させた元首相の足跡から、日本が学ぶものは今なお多い。
 「瀕死(ひんし)の患者はピケ隊によって病院から追い払われ、社会に充満していたのは、口汚く人を罵る羨望と、いわれなき敵対心だった」
 サッチャー氏は回顧録で78年暮れから79年初めの英国社会を、こう描いている。頻発するストライキが経済と人心を荒廃させた「不満の冬」と呼ばれた時期だ。
 英国は18世紀の産業革命により「世界の工場」に上り詰めたが、20世紀に入ると米国やドイツの追い上げを受け、70年代は衰退の一途だった。その様子を世界は「英国病」と名づけた。
 自国の復活を期してサッチャー氏がとった基本的な政治姿勢は、国の富を生むのは政府ではなく、企業や個人の自由な活動であるという考えを貫くことだった。
 そうした哲学にもとづき、強すぎる労働組合の権利制限、減税、外資の導入、規制緩和などの具体策が矢継ぎ早に打ち出された。
 そのなかで特にサッチャー氏が重視したのが、国営企業の株式を上場させ、多数の個人株主をつくる民営化だった。
 英国が金融危機を経験し、市場主義の行きすぎや格差の広がりが批判される今も、サッチャー氏の始めた改革の意義は世界中が認めるところだ。
 日本は87年のNTT上場をはじめとして、多くの公共サービスを民営化した。90年代の終わりには英国に範をとった金融改革(日本版ビッグバン)にも踏み切った。国営企業と金融業の改革は新興国にも広まっている。
 批判や周囲との摩擦を覚悟で多くの経済改革を進めたサッチャー氏だが、究極の目的は「魂を変えること」と述べている。自立心あふれる企業と個人がまじめに経済活動をし、正当に報われる社会が理想の姿だった。
 日本はバブル崩壊後の長期低迷から、まだ抜け出すことができない。経済再生に向けて、企業と個人は自立し、新興国の追い上げなどグローバルな競争と真正面から向き合う――。「鉄の女」と称されるほどの強い姿勢で英国を救ったサッチャー氏の生涯は、日本にそう問い直している。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130410k0000m070121000c.htmlより、
社説:サッチャー元首相 世界動かした「鉄の女」
毎日新聞 2013年04月10日 02時31分

 英国はもちろん、世界に大きな影響を与えた偉大な指導者が、世を去った。1979年から11年半にわたり英国首相を務めた「鉄の女」、マーガレット・サッチャー氏。英国初の女性首相であり、20世紀以降、最も長く英政権を率いた政治家だ。
 実践した政策を支える考え方は「サッチャリズム」と呼ばれる。解釈はさまざまだが、一言で言えば、断固とした「自由」の推進、だろう。国内においては、国営企業を相次ぎ民営化し、規制を大胆に緩和して、民間に本来備わっている力の自由な発揮を促した。大きな政府が富を再分配する社会から、富を築くものが報われる社会への構造転換だ。
 結果、産業の効率化が進み、金融を核としたサービス産業の世界拠点が育った。民営化や規制緩和は、大きなうねりとなり日本などアジア諸国を含め世界でモデルになった。
 サッチャリズムは経済政策にとどまらない。元首相は共産主義、社会主義を強く非難する一方、ソ連最後の最高指導者となったゴルバチョフ氏に早い段階で可能性を見いだし、変革を後押しした。ソ連崩壊や東欧の民主化、市場経済化には複数の要因があるだろうが、自由を信奉したサッチャー氏の影響は小さくない。
 レーガン氏、ブッシュ氏と続いた米大統領との特別な信頼関係も80年代の国際政治を突き動かす大きな力となった。10%を超えるインフレ、労働争議の多発、長期にわたる産業の競争力低下などで自信を喪失しきっていた英国人は、国際舞台での英国復活に、誇りを取り戻した。
 もちろん、サッチャー改革には影もある。貧富の差の拡大や、改革の波に乗りきれなかった地域の衰退が指摘される。リーマン・ショック後は、銀行の国有化や規制強化、大型な財政出動などサッチャー改革と逆行する動きも広がった。
 だが、“サッチャー以前”に戻ることは現実的でも賢明でもない。バランス良く進化させる知恵の発見が、私たちに託された宿題だろう。
 「Uターンしたければどうぞ。ただし、レディーは引き返しません」。不況下で改革を強行した結果、失業者が増え、政策の方向転換を求める声が保守党内からも高まった。それに対しサッチャー氏はこう言い切り、信じる改革路線を突き進んだ。なぜそれができたのか。同じ議院内閣制の英国で可能だったのだから、日本は制度のせいにできない。
 経済の本格回復が遅れる中、どの先進国の指導者も目先の人気優先で、痛みを伴う改革を避けている。ビジョンも小粒になってはいないか。鉄の女の功績をたどりつつ、今、勇気を持って実行すべきことが何なのか、考えてみよう。

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