米軍6施設返還 日米合意 沖縄の不信ぬぐえず

http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_top_pickup#Edit2より、
朝日新聞 社説 2013年 4月 14 日(日)付
米軍と憲法―最高裁長官は何をした

 戦争の放棄を定める憲法9条のもとでも米軍が駐留できる。その解釈を与えた最高裁の判決の裏に、何があったのか。
 半世紀前の1957年。米軍旧立川基地の拡張に反対する学生ら7人が基地内に入り、日米安保条約にもとづく刑事特別法違反に問われた。「砂川事件」である。
 東京地裁は59年3月に、米軍駐留は憲法9条に違反するとして7人に無罪を言い渡した。
 判決が確定すれば、米軍を取り巻く状況は一変する。審理は高裁をとばして最高裁にまわった。交渉中の安保条約改定を前にこの裁判はいつ、どう決着するか。日米両政府は注視した。
 このときの駐日米大使マッカーサー2世から米政府にあてた公電を米公文書館が公開した。
 当時の田中耕太郎最高裁長官と大使ら米外交官との、非公式なやりとりを伝えている。
 公電によると長官は、米側に判決の時期と、世論を割りかねない少数意見を避け、15判事の全員一致で判決したいという考えなどを伝えたという。
 憲法上の争点を地裁判事が判断したのは不適切だった、との発言も引用されている。米大使は自らの印象として「長官は地裁判決は覆されるだろうと思っている」と記した。
 その言葉どおり、最高裁は12月に地裁判決を全員一致で覆した。翌日の公電は「全員一致の判決は、裁判長の手腕と政治力に負うところがすこぶる大きい」と長官をたたえた。
 忘れてはいけないのが、この最高裁判決の重みだ。
 日米安保条約のような高度に政治的な問題に司法判断を下さないという「統治行為論」を示し、その後の在日米軍がからむ訴訟で用いられ、いまも拘束力をもち続けている。
 外交公電がつねに正しいとは限らない。発した側の外交官に都合のよい記載になっていると疑われる場合もある。
 だが一国の司法の長が裁判の利害関係者と会い、判決の行方をほのめかしたという記録は、放っておけない。
 司法の独立は守られたか。
 評議は適切に行われたのか。
 田中長官は74年に亡くなっている。それでも、当時の行動や発言の記録の開示を、市民団体が最高裁に求めている。もっともな要請だ。
 すでに公開された公文書は、上訴や立証の方法に至るまで、外務省と米側が密接にやりとりしていたことも伝える。
 戦後史をつらぬく司法の正統性の問題だ。最高裁と政府は疑念にこたえなくてはならない。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013040600319より、
米施設移設先から懸念続出=「普天間」進展なお見えず

 政府は6日、沖縄県の嘉手納基地(嘉手納町など)以南の米軍施設・区域返還計画について米側と合意したことを受け、地元への説明に着手した。小野寺五典防衛相は「必ず沖縄の発展につながる」と訴えたが、返還に伴って代替施設が建設されることになった市町村からは懸念が続出。普天間飛行場(宜野湾市)移設進展につなげたいとの政府の思惑は早くも狂いつつある。
 「米兵の事件・事故も多く降ってくる。基地強化は受け入れられない」。6日、那覇市のホテルで開かれた関係市町村長への説明会。防衛相らの説明が終わると、牧港補給地区(浦添市)の倉庫地区の移設先とされた読谷村の石嶺伝実村長は、受け入れ反対を明言した。
 返還計画は普天間を含む6施設・区域を14地区に分割して返還年度を明示したが、うち8区域・施設は県内の他地域への移設が条件。新たに移設先とされた市町村長は「市民の負担感が増す」(東門美津子沖縄市長)、「騒音被害がある中で困る」(当山宏嘉手納町長)などと相次いで懸念を表明。防衛相は「重く受け止める」と応じるしかなかった。
 こうした地元の声を背景に、仲井真弘多知事は防衛相との会談で、返還時期の具体化に「誠にありがたい」と述べたものの、歓迎一辺倒とはいかなかった。代替施設建設への賛否は「地元とよく話す必要がある」と留保。返還年度に「またはその後」と付記されたことにも、「いつになるか分からないとしか読めない」と不満を示した。
 知事は会談後、普天間の返還時期が計画で2022年度以降とされたことについて「固定化と一緒。県外移設の主張を変えたつもりはない」とにべもなかった。これには防衛相も記者会見で「協議を続けていきたい」と言葉少なだった。

 ◇自民県連も「普天間は県外」
 時を同じくして、那覇市内では自民党の県連大会が開かれた。県連は党本部方針に反し、普天間の県外移設を求めている。石破茂幹事長はあいさつで、沖縄の基地負担軽減に向けた政府の努力を「本当に誠心誠意やっている」と強調。基地返還後の跡地利用に備えて国・県・市町村・地主による新たな協議会を設置する考えも示し、日米合意の利点を訴えた。
 しかし、大会では結局、「普天間の県外移設に取り組む」との方針を採択。普天間移設をめぐっては党内ですら一本化できず、沖縄の協力を取り付ける難しさを改めて印象付けた。(2013/04/06-20:12)

http://mainichi.jp/opinion/news/20130406ddm003010097000c.htmlより、
クローズアップ2013:米軍6施設返還、日米合意 沖縄の不信ぬぐえず
毎日新聞 2013年04月06日 東京朝刊

 ◇首相意向で時期明記
 日米両政府は米軍嘉手納基地より南の6施設・区域の返還計画に、安倍晋三首相の強い意向で返還時期を明記した。ただ、いずれも最も早い時期を示した上で、「またはその後」との留保が付いており目安の域は出ない。普天間飛行場の県内移設の時期も盛り込んだことから、他の施設の返還と引き換えに辺野古移設を迫る「アメとムチ」の形にもなっており、沖縄に広がる不信を払拭(ふっしょく)するには至っていない。
 「嘉手納以南の返還計画を出せば、沖縄の人は(普天間飛行場の)移設に柔軟になるのかな」。3日に沖縄を初訪問した菅義偉官房長官は前日に東京都内で会談した自民党の沖縄選出国会議員に、沖縄の軟化への期待感を示した。
 返還計画は昨春の日米合意で「切り離す」と明記されたばかりの普天間飛行場の県内移設について、他の13地区と同列で返還時期を明記。事実上、一体の計画として示した。小野寺五典防衛相は5日、普天間の移設・返還について「(名護市辺野古沿岸の)埋め立て申請が承認をもらえれば、このスケジュールで進む」と述べた。
 日米の外務・防衛4閣僚による日米合意をやり直したわけではなく、小野寺氏は「(他と普天間移設が)リンクしているわけではない」との建前こそ守ったが、埋め立て承認までに1年、代替施設の建設工事に5年など普天間移設までの手順も今回初めて提示した。埋め立ての承認権限を持つ仲井真弘多(なかいまひろかず)知事をはじめとする沖縄に対し、安倍政権が県内移設を「理解」するようにプレッシャーをかけたのは明らかだった。
 米側の事情もあって実現した「切り離し」は当時の民主党政権にとって、普天間以外の施設・区域の返還などの実績を積み重ね、普天間の県内移設では沖縄の軟化を待つという「太陽政策」の側面があった。
 だが、昨年末に政権に復帰した安倍首相は2月の日米首脳会談で、3月に県内移設の埋め立て申請を行うと明言。そのうえで、首相はオバマ大統領に嘉手納より南の返還計画を早期に策定するよう求め、難航していた日米交渉も加速させた。防衛省幹部は「会談で信頼関係が生まれ、突破口になった」と評価する。
 交渉で首相は、基地負担軽減を明確に示すため、返還期限を明示するよう指示。「絶対に降りるな」と事務方を叱咤(しった)した。だが日本関係者は「米側は強く反対した」と口をそろえる。これまで日米が合意した普天間の返還時期はずれ込み続けており、今回も実現しなかったら再び議会などから批判を招きかねないと米側が懸念したためだった。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130406ddm003010097000c2.htmlより、
 結局、「22年度またはその後」などと、具体的な時期を示しつつも遅れる可能性に含みを持たせる表現で折り合った。小野寺氏は記者団に「期限は基本的に区切っている。(現場で)遺跡などが見つかった時に延びる場合がある」と説明。だが06年の日米ロードマップでも「09年7月またはその後」と同じ表現で示した空母艦載機発着訓練施設の選定が遅れており、日本政府関係者は「今回の計画がどのくらい実現するかは言いたくない」と言葉を濁した。【朝日弘行、青木純】

 ◇合意実現、難航の歴史 「見極め必要」沖縄は冷静
 「返還時期の明示は前進だが計画の中身の精査はこれから。実際に予定通りに進むかどうかの見極めが必要だ」。発表された返還計画をそう評価した沖縄県幹部のように、沖縄では冷静な見方が支配的だ。沖縄で反発が強い普天間の辺野古移設が盛り込まれるなど、現時点で計画の実現性は不透明なままだからだ。米軍基地返還を巡っては、計画を日米が合意しても実際の返還が難航した歴史を沖縄県民が見てきたことも影響している。
 直近の例が1996年の日米特別行動委員会(SACO)最終報告。米軍11施設計約5000ヘクタールの返還で合意したが、現時点で返還されたのは5施設、面積では約8%。SACO最終報告に比べて今回は牧港補給地区(浦添市)の返還面積が大幅に増えているものの、普天間飛行場や那覇港湾施設(那覇軍港)はSACO以降もまったく動いていない。県内への移設が条件にされるためだ。
 仲井真知事が5日の記者会見で返還計画について「市町村と意見交換しないと評価できにくい」と語ったように、市町村の動向も鍵になる。那覇港湾施設の返還に日米が最初に合意したのは1974年。しかし移設先の浦添市が受け入れに合意したのは01年で、しかも今年2月に移設反対を訴えた市長が当選し、事態は流動的になっている。
 普天間飛行場の名護市辺野古への移設に向けた辺野古沿岸部の公有水面埋め立てを政府が仲井真知事に申請したのが3月22日。それから間もない発表に、辺野古移設に反対する玉城義和県議は「県民は経験則で日米の都合で返還が先延ばしにされる可能性を知っているが、本土の人は実情を知らない。『政府が努力しているのに沖縄がわがままばかりを言っている』とのイメージが作られかねない」と危機感を募らせる。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130406ddm003010097000c3.htmlより、
 「負担軽減」を巡っては沖縄にもジレンマがある。仮に計画通りに進んだ場合、人口密集地の沖縄本島中南部の米軍施設・区域は大幅に減るが、一方で名護市など本島北部は基地負担が増す。「人目につく場所から基地を減らし、負担軽減が進んだかのように装うのが狙いだ」(大城敬人(おおしろよしたみ)・名護市議)との声がある一方で、「今後の沖縄振興のために中南部にある基地返還は実現させたい」(知事周辺)との意見もある。【井本義親】

 ◇96年SACO合意で返還が決まった米軍基地のその後
基地名 面積、主な合意内容、現状
普天間飛行場 481ヘクタール、5〜7年で代替施設完成し運用可能後に全部返還、未返還
北部訓練場  3987ヘクタール、02年度末までに返還(53%相当)、未返還
牧港補給地区 3ヘクタール、国道58号隣接地を返還、未返還
那覇港湾施設 56ヘクタール、浦添市に移設し返還を加速、未返還
キャンプ桑江とキャンプ瑞慶覧 83ヘクタール、07年度末までに住宅統合し返還、未返還
安波訓練場  480ヘクタール、97年度末までに7895ヘクタールの水域とともに共同使用解除、98年12月共同使用解除
ギンバル訓練場 60ヘクタール、97年度末までに全部返還、11年7月返還
楚辺通信所 53ヘクタール、00年度末までに全部返還、06年12月返還
読谷補助飛行場 191ヘクタール、00年度末までに全部返還、06年12月返還
キャンプ桑江 99ヘクタール、07年度末までに大部分返還、03年3月38ヘクタール返還
瀬名波通信施設 61ヘクタール、00年度末までに大部分返還、06年9月返還

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-204892-storytopic-11.htmlより、
琉球新報 社説 菅官房長官来県 「対米卑屈」を拒否する
2013年4月5日

 何度来ても答えは変わらないのになぜやって来るのか。
 米軍普天間飛行場の移設をめぐり、安倍晋三首相をはじめ、外務、防衛、沖縄担当の閣僚の来県が相次いでいる。3日には政権ナンバー2の菅義偉官房長官が来県し、仲井真弘多知事と会談した。
 菅官房長官は「皆さんの声に耳を傾ける」と低姿勢を示しながら、「行うべき点(辺野古移設)は前に進めていきたい」と述べた。
 日本政府が、名護市辺野古以外の選択肢を検討する気がないことを表明したようなものだ。異例の「地元マスコミ行脚」までしたのは、丁寧に対応し移設問題が前進しているかのように見せる演出と言わざるを得ない。
 4月28日の「主権回復の日」式典について菅氏は「沖縄を含めたわが国の未来を切り開いていく決意を新たにする」と述べ、仲井真知事の出席を求めた。
 しかし、1952年のサンフランシスコ講和条約発効によって、沖縄は米軍基地を負担させられ、塗炭の苦しみが始まった。その「屈辱の日」をどうやって祝えよう。
 それに県民の総意を無視して辺野古移設を強行しようとしておきながら、沖縄にどのような「未来」を「切り開け」というのか。
 例えば、70年に外務省が作成した文書「沖縄復帰準備をめぐる対米交渉について」はこう記述している。
 「今後長期にわたり沖縄基地を中心とする米国の抑止力に依存する」ことが「日本の安全保障の真の利益」。そして万事、米国の納得の上で対沖縄政策を進めることは「対米卑屈ではなく、日米協力のあるべき姿」と開き直っている。これが「主権を回復」したと胸を張る「わが国」の姿だ。
 安倍政権は辺野古移設を進めるために国会議員を沖縄に常駐させる案を検討している。兵を引き連れ首里城に乗り込み力ずくで「琉球藩廃止、沖縄県設置」を宣言した松田道之・琉球処分官をほうふつさせる。
 安倍首相がオバマ米大統領と交わした約束を守るため、現代の「処分官」を送ろうというのか。復帰前から連綿と続く「対米卑屈」ぶりは言語道断だ。
 沖縄の尊厳を踏みにじり自己決定権を奪う政治はこりごりだ。普天間飛行場の閉鎖と県外移設、オスプレイ撤去の覚悟ができたときこそ閣僚来県に意味がある。

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-04-04_47581より、
沖縄タイムス 社説[官房長官来県]沖縄の声を聞いたのか
2013年4月4日 09時26分

 菅義偉官房長官が3日、就任以来、初めて来県した。
 まず向かったのは国立沖縄戦没者墓苑。昼食を挟んで那覇市内のホテルで仲井真弘多知事と会談し、午後から米軍普天間飛行場を宜野湾市役所屋上から視察。その後、県民の声を聞くという趣旨で、県内マスコミ5社を回った。
 日帰りの慌ただしい日程だった。仲井真知事との会談では、日米合意に基づき辺野古に移設する考えを伝えた。那覇空港では記者団に「唯一の案は辺野古への移転」と言い切って沖縄を後にした。果たしてこれで沖縄の声が聞けたのだろうか。
 防衛省は3月に辺野古沿岸部の公有水面埋め立て承認申請書を県に提出している。
 菅氏は終始、丁寧な姿勢をみせたが、公有水面埋め立て申請を取り下げるなど、辺野古移設を見直す考えが全くないことを沖縄まで来て強調して見せたのである。
 沖縄の声を聞くと言いながら、「辺野古ありき」の結論を一方的に押し付けようとするのはあまりにも不誠実だ。
 これに対し、仲井真知事は「辺野古移設は時間がかかる。県外移設がいい」とあらためて主張した。
 仮に辺野古に新基地ができたときのことを想像してみよう。嘉手納基地を中心とした基地群と、辺野古を中心とした巨大な基地群が存在することになる。辺野古移設の内実は北部と中部への基地の拠点集約化であり、県民に半永久的に基地との共生を強いる結果になるのは間違いない。
    ■    ■
 日米両政府は嘉手納基地より南の5基地のうち一部は年内に返還手続きに着手する方向で、週内にも発表する返還計画への盛り込みを目指す。
 辺野古移設と切り離して返還されるのなら望ましいことだ。ただし、実際には辺野古移設とセットになっている。
 政府は二言目には「負担軽減」を強調するが、よくよく沖縄の現実を直視してほしい。真の負担軽減であるなら県民がこれほど長期にわたって反対し続けるはずがない。
 1997年の名護市民投票以来、名護市長選、県知事選、国政選挙のいずれでも辺野古移設を正面から掲げて当選した人はいない。
 県内の各種世論調査でも辺野古移設反対が大多数である。民意ははっきりしているのである。県内の全市町村の代表らが今年1月、普天間の閉鎖・撤去と県内移設断念を政府に求めた「建白書」を携えた東京行動はこの民意に裏付けられているのだ。
 辺野古移設は、沖縄側からみれば暴力的な押し付けというしかない。
    ■    ■
 県選出・出身の自民党国会議員5人は全員「県外移設」を公約に掲げて当選した。この事実を忘れてはならない。
 自民党県連は夏の参院選でも「県外移設」の姿勢を変えない方針である。
 知事も一貫して「辺野古移設は事実上不可能」との立場である。
 これから先、政府の切り崩し工作が激しくなるのは確実である。辺野古移設反対の共通の土俵をいかに維持し、知事を支えていくか、県民が試されるときだ。

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-04-01_47404より、
沖縄タイムス 社説[「普天間」返還]移設の見直しが近道だ
2013年4月1日 09時50分

 菅義偉官房長官が3日、就任以来初めて来県し、仲井真弘多知事と会談する。
 来県に符節を合わせるかのように、米軍普天間飛行場の返還時期について日米両政府が「9年後めど」と明記する方向で調整しているとのニュースが流れてきた。
 防衛省は普天間の辺野古移設に向け、公有水面埋め立て承認申請書を県知事に提出したばかりだ。菅氏の来県は嘉手納基地より南の基地の返還計画などを仲井真知事に説明して軟化を促そうとする狙いがありそうだが、沖縄から見れば、「9年後めど」といわれても何の説得力も持たない。
 普天間の返還時期をめぐってはこれまでもさまざまな言い方がなされたが、後退の連続だ。1996年の日米特別行動委員会(SACO)では、普天間の返還は「今後5ないし7年以内に、十分な代替施設が完成し運用可能となった後」とされた。
 2007年の日米安全保障協議委員会(2プラス2)では米軍再編のロードマップに従って「14年までに代替施設を完成させることが、沖縄での再編全体の成功のための鍵である」ことを確認した。
 だが、11年の日米安全保障協議委員会では14年返還を撤回し、「普天間の固定化を避けるために14年より後のできる限り早い時期に完了させる」と先送りした。
 現行案は自公政権時代に、日米が県の事前了解も得ずに一方的に決めたもので、地元無視のツケがいま来ているのである。
    ■    ■
 財政難にあえぐ米国は、政府支出予算の強制削減に踏み出している。
 13会計年度(12年10月~13年9月)から軍事費も大きな影響を受けており、沖縄海兵隊のグアム移転に伴う基地整備に遅れが出ている。ハワイ州ではアバクロンビー州知事が沖縄の海兵隊誘致活動を進め、ワシントンと直接交渉する考えを表明している。
 米上院の重鎮らが11年、普天間の辺野古移設について「非現実的で、機能せず、費用負担もできない」と厳しく批判し、辺野古断念を国防総省に求める声明を発表したことは記憶に新しい。
 嘉手納を中心とした中部の基地群に加え、北部に辺野古を中心とした基地群を新増設するのは、負担軽減ではなく基地再編による機能強化というしかない。
 辺野古移設を見直し、持続可能な日米安保の道を選ぶのか。辺野古移設を強行し、日米安保を揺るがす不安定要因を抱え続けるのか。答えはおのずと明らかだ。
    ■    ■
 政府はサンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日を「主権回復の日」として政府主催の記念式典を開くことを決めている。菅氏は式典についても知事の理解を求めるとみられる。
 だが、講和条約で沖縄が切り離されてから復帰するまでの20年間に沖縄の土地が強制接収され、米軍基地が集中する原型ができたのである。
 菅氏は沖縄側に理解を求める前に、辺野古移設と4・28式典に県民がどのような思いを抱いているのかを知るべきである。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-204473-storytopic-11.htmlより、
琉球新報 社説 基地返還計画 負担軽減の本質見失うな
2013年3月27日

 他人の足を踏みつけておきながら、手に持つ物を持ってあげるというそぶりを見せられても、痛みを訴える側の苦痛は変わらない。
 日米両政府が、米軍嘉手納基地より南の5基地の返還計画を来月上旬にも明示する方向で調整している。県民の9割が反対する、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を促進する材料に用いる姿勢が露骨だ。
 基地負担軽減策の一環として示し、辺野古移設に対する沖縄側の理解を得たいという算段が透けて見えるが、県民が反対する県内移設のごり押しにほかならない。
 基地問題の最大懸案である普天間を県外・国外に出すのでなければ、沖縄の負担軽減の本質を見失う。県内移設ノーの民意を踏みつけにされた沖縄の痛みと怒りは増幅するばかりである。
 嘉手納基地より南の基地返還だけを取り上げて、「負担軽減」と言い募る安倍晋三首相らの思惑をしっかり見据えねばならない。
 仲井真弘多知事は埋め立て申請後、「県内移設は事実上、無理だ」と語気を強め、41全首長が反対の意思をあらためて示した。沖縄の強固な民意に揺らぎはない。
 こうした中、安倍首相らは本土の国民に向け、嘉手納基地より南の基地返還をことさら「負担軽減」につながると強調し、沖縄にとって望ましいことをしているという見方を植え付けようとしている。
 辺野古移設への同調圧力を強め、“沖縄包囲網”を敷こうとしているように見える。日米同盟を最優先し、容赦なく沖縄を切り捨てた首相が言及する「負担軽減」は虚飾にまみれている。
 2006年の米軍再編合意で、日米両政府は普天間飛行場の辺野古移設と在沖海兵隊のグアム移転、嘉手納より南の基地返還を「不離一体のパッケージ」と繰り返した。
 しかし、県内移設への反発が強まると、財政難にあえぐ米側の事情も踏まえ、あっさりとパッケージを切り離した。在沖海兵隊の主力の歩兵である第4海兵連隊がグアムに移る。
 海兵隊は地上戦闘部隊、航空兵力、役務支援が一体で「抑止力」を保つとされてきたが、グアム移転で地上戦闘部隊の中核を欠くことになる。航空部隊との切り離しが可能であると証明した格好だ。抑止力の虚構性が浮かび上がる。
 沖縄に基地を押し付ける論理を公然と振りかざす、日米両政府の欺瞞(ぎまん)に振り回されてはならない。

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