今、平和を語る:堀文子さん

http://mainichi.jp/area/news/20130422ddf012070007000c.htmlより、
今、平和を語る:日本画家・堀文子さん
毎日新聞 2013年04月22日 大阪夕刊

 ◇庭先の2・26行軍、胸に刻み 9条は「世界憲法」、団結し死守を
 大正ひと桁生まれの日本画家、堀文子さん(94)は国会議事堂に近い東京・平河町で育った。日本が軍国主義に傾斜していくのを肌で感じ、2・26事件(1936年)に遭遇する。太平洋戦争では兄と弟を亡くし、東京大空襲(1945年)で焼け出された。多感な少女期に軍隊と戦争を見た堀さんに聞いた。

−−1925(大正14)年4月に、永田町小学校(現麹町(こうじまち)小学校)に入学されます。
 堀 当時、皇太子だった昭和天皇のお車が東宮御所から皇居に向かわれるとき、私たちの小学校の前の道を通り、そのとき私たちはお辞儀をして、殿下をお見送りしていました。昭和の初めから警備が厳しくなり、一階の窓は閉められ、殿下のお車を見てはならぬとのお触れがでました。教科書には日清日露戦争で死んだ軍人の美談が多くなり、「天皇陛下は神だ」「後醍醐天皇は英明なお方だが、足利尊氏は逆臣だ」と教えられました。今思えば、戦争を肯定し、皇室を神格化していたのです。学者の父は「子どもに間違った歴史を吹き込んでいる」と言って、いつか軍人の暴走が日本を滅ぼすことになるかもしれないと憂慮していました。子どもの私は、学校で教わることと父の言うことが違うので、頭の中は分裂状態でした。

−−2・26事件は陸軍の青年将校が約1400人の兵を率いてクーデターを決行し、高橋是清蔵相ら要人3人が殺害されました。
 堀 2日前の大雪が残る雪景色の朝、町の様子がおかしいというので出て見ると、道路に荷車や箱や荷物を積み上げてバリケードがつくられていました。道路は封鎖され、家々の戸口に銃剣を持った兵隊が立ち、ものものしい気配です。映画のロケーションだとか隣屋敷に逃げ込んだ政治犯を追い詰めているとか、うわさが飛び真相は不明でした。
 その日は、女学校の卒業試験の日で、市電に乗り新宿の学校に行きました。町を出ると、何事もなかったように変わりはなく、学校の友だちに聞いても変なことはなかったと言うのです。突然、学校から「今日の試験は中止、一刻も早く家に帰れ」と命令が下りました。家の近くは朝よりものものしく、銃剣を持った兵隊が30メートル間隔で、道行く人を尋問しているのです。

http://mainichi.jp/area/news/20130422ddf012070007000c2.htmlより、
 「どこに行く」と一喝され、銃口を喉元に突きつけられたとき、あまりの怖さに、腰が抜けそうになりました。「その先の家の者です」と、やっと声に出せただけです。武器を突きつけられたら、人間はぐうの音も出ないということを思い知らされました。

−−決起した将校たちは天皇の怒りを買ったとして、反乱軍の烙印(らくいん)を押されました。
 堀 翌日、官軍の将校から「明朝に、戦闘を開始する、女や子どもは即刻、町から退去せよ」との命令が下りました。私は父とこの事件に立ち会うため町に残ることにし、流れ弾を防ぐため窓際に畳を積み上げて身を隠す準備をしました。死を覚悟した、あの時の切迫感は今も忘れられません。

−−著書「ホルトの木の下で」(幻戯書房)に、こう書かれています。<私の家の庭を、塀や裏木戸を壊して銃剣を付けた軍隊が進んで行くのを見たのです。表通りを避け、私の家と隣の家との境の塀を壊して庭を進む軍隊を見て、ここが戦場になることを覚悟しました。非常時のときの秘密裏の抜け道が計画されていたのを知りました。家の敷地内を何百人もの軍隊が粛々と進むのを見つめていたのを、今もまざまざと思い出します>
 堀 最初、自宅前にいたのは、高橋蔵相を殺害した兵隊たちだったそうです。国は事件を秘密にしていて、報道もされませんから、事件のことは伝わらないままで、全国の人たちは騒ぎすら知らなかったはずです。

−−女子美術専門学校(現女子美術大)を卒業後、東京帝大(現東大)農学部に就職します。
 堀 帝大にも軍の支配が及んでいるのを感じました。このまま戦争を続ければ、食糧不足になることを知りながら、学者が軍に抵抗できなかったのが無念です。ひとたび戦争になれば正当な意見は抹殺されるのを、私は見ました。

−−東京大空襲に遭遇されます。
 堀 明治神宮の前で、むしろをかけられた炭のような死体がうずたかく積まれているのを見ました。私の家も焼かれて、父の貴重な蔵書から何もかもが灰になりました。戦争は国民の命も家も、家々が守った文化遺産も奪ったのです。

−−軍隊については。
http://mainichi.jp/area/news/20130422ddf012070007000c3.htmlより、
 堀 国民の生命や財産を守るというが、まったくのデタラメでした。太平洋戦争で最愛の兄と弟は戦死し、東京大空襲では家を焼かれました。武器を持ち他国と戦争をするのが軍隊なのです。そのあげく国の命令で人殺しを行うのです。2・26事件を起こした少年のような兵隊がかわいそうに思えるのは、絶対服従するように訓練された若者だったからです。彼らも軍の犠牲者なのです。

−−「九条美術の会」の呼びかけ人です。
 堀 最近の日本は贅沢(ぜいたく)に慣れ、享楽を求め、刹那(せつな)的な傾向がみられます。こうした時に権力者は、戦争を知らない人々に、美辞麗句や勇ましい言葉を使って、戦争の正当化を訴え、国民をひきつけようとします。戦争は国家や権力者の企てる人災で、若者を使って殺人、強盗をさせる犯罪なのです。戦争放棄を世界に向けて誓った憲法9条を手放してはいけません。権力者の暴走を止めるのは、自立した賢い国民の力しかないのです。
 まず全女性が、わが子や夫、兄弟を人殺しにし戦死させないために、一致団結しなければなりません。65年前、滅亡の苦しみの中で、日本人が世界に向けて掲げた「平和憲法」を死守するときが、今また迫っているように思えてなりません。(聞き手・専門編集委員、広岩近広)=次回は5月27日掲載予定

 ■人物略歴
 ◇ほり・ふみこ
 1918年東京生まれ。40年に女子美術専門学校を卒業後、作品を描き続ける。52年に上村松園賞を受賞、74年から99年まで多摩美術大日本画科教授を務める。軽井沢やイタリアにアトリエを持ち、82歳のときヒマラヤ山脈の高地をスケッチ旅行する。画文集「命といふもの」(小学館)などのほか「対談集 堀文子 粋人に会う」(清流出版)など著書多数。近著に「ひとりで生きる 堀文子の言葉」(求龍堂)がある。

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