火論:「友軍」は現れず 玉木研二氏

http://mainichi.jp/opinion/news/20130430ddm003070163000c.htmlより、
火論:「友軍」は現れず=玉木研二
毎日新聞 2013年04月30日 東京朝刊

 <ka−ron>

 「主権回復記念式典」が開かれた28日昼前、東京は初夏の陽気で会場の憲政記念館周辺を歩くと汗ばんだ。同時刻、沖縄では強い日差しの下で抗議集会があった。

 式典で安倍晋三首相は「通り一遍の言葉は意味をなさない。沖縄が経てきた辛苦に深く思いを寄せる努力をなすべきだ」と語った。容易ではないが、「方便」ではなく、その言葉通りにと思いたい。

 68年前、沖縄戦のさなか。県民の間に昭和天皇の誕生日(4月29日)、当時でいう天長節を期して本土から「友軍」(日本軍)が援軍として大挙到来し、戦局転換するという話が広まっていた。

 26日には首相・鈴木貫太郎が東京でマイクに向かい、「沖縄に戦う諸君の忠勇無比なる敢闘に対し、心からなる感謝をささげるものである」と海を越えて沖縄を励ました。

 守備軍司令部はこの放送を永別のあいさつと受け取り、本土から突き放された感じを深くしたといわれる(NHK編「放送五十年史」)。

 司令部はともかく、兵士や県民は東京の大本営発表の勇ましい戦果とかけ声を信じるしかない。だが、沖合に沈んだはずの敵艦が海を覆うほど浮かんでいる現実から、疑念を抱かざるをえなくなる。

 元知事・大田昌秀さんは沖縄師範在学中に学徒隊「鉄血勤皇隊」に動員され、砲撃をかいくぐって壕(ごう)暮らしの住民らへの情報宣伝に回った。

 「沖縄がやられたら、つぎは日本本土が危うくなるから、大本営がこのまま敵を放っておくわけはありませんよ。今にきっと……」。声を張り上げて説いたが、人々の表情には明らかに不信のまなざしが読み取れ、声はしりすぼみになったと「沖縄のこころ」(岩波新書)に書いている。

 結局、天長節の友軍到来も戦局転換も幻に終わった。

 本土不信は沖縄戦以前に源がある。例えば、官選知事はむろん、県の要職は本土出身者が占めた。遠方を嫌い、発令されながら赴任しなかった知事もいる。太平洋の戦況が険しくなると、情報を得た本土出身の役人、教育者、会社役員らが「出張」「中央折衝」などとして本土へ渡り、帰ってこない例が相次いだ。

 地元紙は「戦列離脱者」と呼び非難したが、絶えなかった。もちろん、死を覚悟し赴任した最後の官選知事・島田叡(あきら)のような人々もいる。だが、長い歴史の中で形成された不信体験の基層のようなもの。この払拭(ふっしょく)は「通り一遍の言葉」ではいかない。

 沖縄については「深く思いを寄せる」べきことがあまりに多い。(専門編集委員)

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