シベリア抑留「棄兵政策」 敗訴確定 最高裁
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG10032_Q3A510C1CR8000/より、
シベリア抑留訴訟、原告敗訴が確定 最高裁
2013/5/10 21:34
第2次大戦後、旧ソ連・シベリアなどで強制労働させられた元抑留者と遺族計39人が国に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(横田尤孝裁判長)は10日までに、原告側の上告を退ける決定をした。原告側敗訴の一、二審判決が確定した。決定は8日付。
原告らは、国が終戦後に賠償の一環として兵士を旧ソ連側に引き渡す「棄兵政策」で被害を受けたと主張したが、一審・京都地裁判決は「国による遺棄行為は認められない」として請求を棄却。二審・大阪高裁も支持した。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013051000847より、
シベリア抑留者の敗訴確定=強制労働めぐる賠償訴訟-最高裁
第2次大戦後、労役賠償として旧ソ連に兵士を引き渡す日本政府の「棄兵政策」により、シベリアなどに抑留され強制労働させられたとして、元日本兵と遺族計39人が国に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(横田尤孝裁判長)は8日付で、原告側の上告を退ける決定をした。請求を棄却した一、二審判決が確定した。
一審京都地裁は、「労役賠償として兵士を引き渡すという遺棄行為は認められない」と判断。二審大阪高裁もこれを支持していた。(2013/05/10-17:58)
http://mainichi.jp/select/news/20130501ddm005070045000c.htmlより、
発信箱:抑留・コインの裏側=栗原俊雄
毎日新聞 2013年05月01日 東京朝刊
「いい連載記事でしたね。でも、これはコインの表側です。裏側を書いてくれませんか」。5年前シベリア抑留の経験者、池田幸一さん(92)は私にそう言った。
第二次世界大戦終結後、ソ連(当時)によって約60万人の日本人がシベリアなどに抑留された。1956年に抑留が終わるまで、6万人が死亡したとされる。私は抑留経験者への取材をもとに2008年、本紙大阪本社版の夕刊1面で16回、シベリア抑留の問題について連載した。
飢えと極寒、重労働の三重苦。日本人同士がソ連への忠誠心争いをしてたたき合う「民主運動」。連載では、こうした抑留の実態の一端を伝えることができた、と思った。
だが、それでは足りなかった。「私たちの闘いは、抑留が終わってからの方が長いんです」と、池田さんは言った。ソ連は国際法違反である抑留の賠償金や強制労働の賃金を払わなかった。日ソ共同宣言で両国が賠償請求権を相互放棄したため、元抑留者は日本政府に求めざるを得なくなった。しかし政府は応じない。池田さんらは提訴に及んだが司法は、皆が被害を受けたのだから我慢すべきだという「戦争被害受忍論」などを根拠にはねつけた。80歳を過ぎた元抑留者が立法に活路を求めて運動し、時には永田町に座り込んだ。
連載後も私は法制化の動きを繰り返し書いた。2010年6月、民主党政権下で元抑留者に特別給付金を支給するシベリア特措法が成立した。
特措法の意義は大きいが、遺骨帰還など積み残しは多い。今も裁判を闘っている元抑留者がいる。シベリア抑留は未完の悲劇だ。「コインの裏側」をしっかりと伝えてゆきたい。(学芸部)
http://mainichi.jp/select/news/20130417ddm005070038000c.htmlより、
発信箱:「一億総ざんげ」との闘い=栗原俊雄
毎日新聞 2013年04月17日 東京朝刊
衆議院選挙の「1票の格差」について各地で違憲判決が下され、「選挙無効」と断じたものもある。画期的判決で、本紙3月26日付東京本社朝刊では「司法の勇気」という見出しがついた。
裁判といえば「戦争被害受忍論」をご存じだろうか。私が取材を続けている、シベリア抑留や空襲などの戦争被害者が政府に補償を求める訴訟の判決で、訴えを退ける時によく登場する。要するに「戦争でみんなひどい目にあった。だからみんなでがまんすべきだ」という理屈だ。いわば「一億総ざんげの法理」である。
現代ならば、国策を決める首相選びに、私たちは間接的ながらかかわることができる。だが戦前はそうではなかった。宮廷政治家や軍人など、有権者が選ぶことのできない人たちが選定にかかわった。そもそも女性に参政権はなかった。戦争に反対する言論の自由も著しく制限されていた。そういう国民たちに、戦争の惨禍を耐え忍ぶ責任だけを求めるのは、酷に過ぎるのではないか。
たとえば東京大空襲、あるいはシベリア抑留の被害者たちは80歳を過ぎて今もなお、国に救済をもとめて裁判を闘っている。いずれも2審まで敗訴で、受忍論が壁になった。今、最高裁の審判を待っている。金のためだけではない。抑留経験者の一人は法廷で、「ひと言で言えば謝ってほしい」と話した。国が始めた戦争でたくさんの仲間が死んだ。間違っていたことを認めてほしい、という気持ちで、彼は法廷に立った。
「戦争で被害にあった国民みんなに、国はできる範囲で補償をしなさい」。そうした「勇気」ある判決が、いつか書かれるだろうか。(学芸部)