3分の1が2分の1を阻む非民主性? 小林節氏

http://www.nnn.co.jp/rondan/ryoudan/index.htmlより、
一刀両断 -小林 節-
3分の1が2分の1を阻む非民主性?
日本海新聞 2013/5/21の紙面より

 今年の憲法記念日(5月3日)に向けて久しぶりに盛り上がった改憲論議であるが、その中で旧来の改憲派が強く主張した命題に、「国民の過半数(2分の1以上)が改憲を望んでも、96条(三分の一)がそれを阻んでいる制度は非民主的で正しくない」というものがあった。つまり、国民の2分の1が望んでも3分の1が反対すれば実現しない…という仕組みは、いわば「少数決」で非民主的だ…というのである。

 しかし、この主張にはふたつのうそが含まれているように思われる。

 第一に、現状の中で「国民の過半数が改憲を望んでいる」という事実は確認されていない。各種世論調査を見て言えることは、せいぜい、「国民の過半数は改憲をタブー視してはいない」という程度で、何か特定の論点について、世論の過半数が具体的に改憲を望んではいない。むしろ、9条、天皇制、地方分権、二院制、首相公選制などといった、改憲論議の主要な争点について、世論は割れている…というのが現状である。

 第二に、憲法学の常識として、「民主主義」には二つのタイプがある。その一つ目が「多数決」民主主義で、二つ目が「立憲」民主主義である。前者は、本来的に個性の異なる国民集団の中で、相対的(つまり比較上の)多数派の方が少数派より正統性があると推定される…という原則である。それに対して後者は、経験上、多数派が傲慢(ごうまん)になることはしばしばあったので、少数派に拒否権を与えて、多数派の横暴を抑制しようとする…原則である。

 思えば、人権論プラス最高裁による違憲審査(つまり、司法審査と法の支配)は、たった1人の人権が他の1億人の多数決で侵害された場合でも、15人の最高裁判事が憲法を盾にして守ってくれる…という制度で、これは紛れもない少数決である。

 敗戦という掛け替えのない代償を支払って日本民族が手に入れた尊い三原則(民主・人権・平和)によって権力担当者(政治家以下の公務員)を縛るために存在する憲法から、その政治家たちが自由になりたいと思ったのか?前提となるべき事実を無視して、大原則の双璧の一方だけを強調した議論を立てるなどという手法は、そもそも公正ではない。

 主権者・国民に帰属する権力を託された者は、その権力を行使する際には、何よりも、知的に誠実で、自らに厳しく、国民に対して謙虚でなくてはならないはずである。
(慶大教授・弁護士)

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