ヘイトスピーチ 「憎悪の言葉であおるな」

http://mainichi.jp/opinion/news/20130604k0000m070150000c.htmlより、
社説:ヘイトスピーチ 憎悪の連鎖断ち切ろう
毎日新聞 2013年06月04日 02時32分

 東京・新大久保や大阪・鶴橋など韓国・朝鮮人が多く住む地域で、ヘイトスピーチ(憎悪表現)と呼ばれるデモが頻繁に行われている。
 「朝鮮人を殺せ」「ガス室にたたき込め」「出て行け」といった罵倒や挑発の言葉を繰り返し、差別感情をあおり立てている。行っているのは、在日外国人の「特権」を根拠を示さず批判しているグループで、デモや集会の様子をネットの動画で発信し、一定の賛同者を得ている。
 憲法は、「表現の自由」を保障する。デモによる意見表明もその一つだ。だが、他者の人格やプライバシーなど、侵してはならない範囲は当然にある。特定の民族を汚い言葉でののしる行為は、個人の尊厳をないがしろにするものだ。限度を越えており、到底許されない。
 激しい言葉を投げつけられた在日コリアンの人たちの恐怖や失望は察するに余りある。また、ヘイトスピーチは、国際化社会を担う子供たちにも悪影響を及ぼす。共生すべき外国人に対する偏見や、排外主義的な感情を助長させかねないからだ。
 韓国や中国などでは、デモなどの映像がネットで紹介され、反日感情を刺激している。竹島問題などで悪化した市民レベルの対立感情が、一部の人たちの言動によってさらに増幅されることは避けねばならない。 先月の参院法務委員会でヘイトスピーチが取り上げられ、法規制の是非も焦点になった。ヨーロッパなどは特に差別的な表現に厳しく、刑事罰を伴う規定を持つ国もある。
 日本も加入する人種差別撤廃条約は、立法を含む適当な方法で、人種差別を終了させるよう締結国に求める。処罰義務の規定もあるが、日本はその部分は留保している。表現の自由に配慮しているためだ。
 表現の自由は、国民の基本的人権の中でも特に大切な権利とされる。新たな法規制による行き過ぎた言論統制を心配するのはもっともだ。
 だが、現実の前で手をこまねいてもいられない。政府が黙認していると国際社会に受け止められれば、日本の立場を危うくする。外国の法制に学ぶべき点がないか研究するのは当然だ。一方で、現行法の範囲でやめさせる手立てをもっと尽くしてほしい。
 違法行為については、警察が毅然(きぜん)と対応してもらいたい。裁判所がかつて、特定の地域の街宣活動を禁じる仮処分決定を出したこともある。そんな例も参考にしたい。
 日本全体としてヘイトスピーチを容認しないという姿勢を示すことも重要だ。安倍晋三首相は国会で懸念を表明したが、もっと強いメッセージを発してほしい。また、常識的な人権感覚を育てる啓発や教育に政府は力を入れるべきだ。

http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_top_pickup#Edit1より、
朝日新聞 社説 2013年 5月 23 日(木)付
ヘイトスピーチ―憎悪の言葉であおるな

 東京や大阪の在日コリアンの多い街で「朝鮮人は出て行け」「殺せ」などと連呼して歩く、ヘイトスピーチ(憎悪表現)と呼ばれる動きが増えている。
 デモに参加するのは、日本のごく一部の人々だ。しかし、その文言をみれば、大正時代の関東大震災後におきた朝鮮人虐殺の暗黒を思いおこさせる。
 惨事から90年。日本はいま、国際社会の責任ある一員になっている。それなのに、なんとも悲しすぎる現実である。
 たしかに韓国との間には、竹島の領有権問題など懸案が山積みだ。日本から多くの支援を受けて成長した韓国の企業が、いまや日本企業を追い越し、苦しめている。
 そんな現状へのいらだちが、心ない言葉をうみだすのか。
 けれども、日韓は持ちつ持たれつの大切なお隣さんだし、在日コリアンはともに社会をつくる仲間だ。
 たとえば世界的に売り上げが好調なサムスンのスマホは、多くの日本の部品でできている。
 もうすぐ離任する申ガク秀(シンガクス、ガクは王へんに玉)・駐日大使は着任早々、東日本大震災の被災地を訪ね、最後の講演も先日、東北で終えた。
 安倍首相の歴史認識発言などで韓国の対日感情もよくない。それでも日本を完全に排除したり、抹殺したりしようという動きは、いまのところない。
 韓国メディアは日本のヘイトスピーチを報じている。同時に最近では、反韓デモとともに、それに抗議する人々がいることも大きく伝えている。
 日本での動きを受けて、国連の社会権規約委員会は一昨日、ヘイトスピーチの防止や包括的な差別禁止法の制定を、日本政府に求めた。
 日本も加盟する人種差別撤廃条約の中には、ヘイトスピーチを法律で禁じるよう求める条文もある。実際、ドイツなど多くの欧州の国には、ヘイトスピーチを処罰する規定がある。
 ただ、日本政府はこの条文について保留している。表現の自由との関係があるからだ。
 おりしも、自民党は憲法草案に、定義がはっきりせぬ公益や公の秩序を理由に、表現の自由を制約する、と書いている。
 憎悪表現のスピーチを規制する法は表現の自由への両刃の剣となりかねず、憲法学者の中でも消極的な見方が多いという。
 言葉の暴力はそもそも、取り締まりの方法をさぐる以前の常識の問題だ。この国は、差別を助長する言葉があちこちに氾濫(はんらん)する社会になってもいいのか。
 わたしたちはどんな国をつくるのか。そこが問われている。

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