フクイチで考える(1~5) 核と共存できるのか

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013062502000131.htmlより、
東京新聞【社説】フクイチで考える(1) 放射線の海のただ中
2013年6月25日

 いわゆるフクイチを取材する機会があった。フクイチ、エフワン…。中で働く人たちは福島第一原発のことをそう呼んでいる。
 放射線量が高いので、バスの中からの視察である。それでも、マスクと靴カバー、そして、両手に布とビニールの二重の手袋に、首からは線量計という一通りの装備が必要だった。
 まず、廃炉作業の指揮所がある免震重要棟に入った。コンクリートの壁に囲まれた二階建て。テレビ会議の映像で知られる緊急対策本部室に向かう。途中、ゲートモニターという全身を調べる機械のチェックを受けた。これが世界を二つに分ける。
 退出モニターとも呼ばれるこの機械は、どの原発にもあるものだ。だが本来はその名の通り、原子炉建屋のような放射能の管理区域から非管理区域へ、内から外へ出る時に被曝(ひばく)の有無を確かめるためのものである。ここではそれが入室時。“あべこべ”だ。放射線の海のただ中の家である。
 二年前の1号機の爆発時、免震重要棟の扉が吹っ飛び、内部も一部、管理区域になってしまった。
 数少ない窓は、事故後分厚い鉛の板で遮蔽(しゃへい)した。棟内には鉛を張った石膏(せっこう)ボードも設置した。
 梅雨の晴れ間の一見のどかな光景は、生命とは相いれない世界である。その中で毎日三千を超える人々が過酷な作業に従事する。八十人の東電社員が夜間も免震重要棟に詰めている。
 約一時間、構内をバスで巡った。最も線量が高かったのは3号機の海側で、毎時一八〇〇マイクロシーベルト。バスの汚染の検査を受けて外へ出た。
 胸の線量計を見た。積算で二一マイクロシーベルト。前日の東京の環境放射線量は〇・〇五六マイクロシーベルト、愛知は〇・〇六六マイクロシーベルトだった。バスの中でも単純計算で三百倍以上になる。
 フクイチの汚染は、人間自身の産物だ。この異様な世界の存在を、私たちはよく知るべきだ。これも原発の一つの姿なのである。(飯尾歩)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013062602000148.htmlより、
東京新聞【社説】フクイチで考える(2) メルトスルーの深い穴
2013年6月26日

 メルトダウンに陥った1~3号機では、燃料デブリの存在が、放射能汚染水と並んで廃炉の進展を妨げる。デブリとは、溶け落ちた核燃料の固まりだ(図は1号機、東電資料より)。
 一九七九年にメルトダウン事故を起こした米国のスリーマイル島原発(TMI)では、燃料デブリは格納容器の内側の圧力容器の中にとどまった。
 それでも、作業は困難だった。
 メルトダウンが具体的に判明したのは事故発生から三年後。溶融分は当初、燃料の20%と見られていたが、結局は52%もあった。取り出しには十一年の歳月と十億ドルの費用をかけた。
 フクイチは、それよりはるかに難しい状態だ。高温の核燃料が圧力容器を貫通するメルトスルーで、格納容器の底に落ちた上、底部を侵食している恐れがある。
 「中に入ってサンプルが採れないと、次のステップには行きにくい」。東京電力前常務執行役の小森明生さんは言う。三代前の福島第一原発所長である。
 さまざまなものの混じった海水を注入したために、さまざまな異物が放射化した恐れもある。
 3・11から、やがて二年四カ月。ファイバースコープやロボットを使ってさまざまに探査を試みているものの、フクイチの炉内の様子はまだ詳しくわからない。
 何が溶け込んでいるか。容器の底に林立する制御棒にこびり付いてはいないのか。燃料デブリの性状も散らばり具合も、明らかにはなっていない。
 昨年三月、2号機の格納容器内部で毎時七三シーベルトの放射線が計測された。数分浴びただけで命を落とす線量だ。この危険が調査の大きな壁になる。フクイチには、まだ分からないことが多すぎる。メルトスルーの穴はどこまで深いのか。優秀なロボットたちはどうしたか。
 廃炉への前提になる新たな探査技術の開発に、世界の英知を集めるべきだ。(飯尾歩)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013062702000121.htmlより、
東京新聞【社説】フクイチで考える(3) 技術の合意と社会合意
2013年6月27日

 水が廃炉を妨げる。
 損壊した原子炉建屋の中に、一日四百トンの地下水が流れ込む。
 1~4号機の建屋を取り囲むように土を凍らせて、地中に壁を構築し、地下水を遮る計画が進んでいる。遮水能力が高く、工期が短いのが利点という。しかし、地下水位が変化するなど予想外のリスクも否めない。
 今のところ汚染水は、フクイチの敷地の中にひたすらためておくしかない。正門をくぐると、大小の貯水タンクの群れがまず目に入る=写真、代表撮影。すでに約千個あり、三十万トンを超える汚染水を抱え込む。八十万トン分の用地が確保されており、今後三年は貯水を続けられるというが、限界はやがて来る。
 東電はことし三月、多核種除去設備(ALPS)の試運転を開始した。一系列で一日二百五十トンの処理能力があり、六十二種類の放射性物質を国の基準値以下まで除去できる。
 ところが、水とよく似た放射性トリチウム(三重水素、半減期一二・三年)だけは分離が難しい。水から水は除けない。一ミリリットルあたり六〇ベクレルという国の排出基準に対し、三〇〇〇ベクレル程度が残る。
 実はこのトリチウム、どの原発の冷却水にもわずかに含まれており、管理放出されている。フクイチでも、基準以下に水で薄めて海に流そうという声はある。しかし、それも難しい。
 「浄化して管理放出ができるという技術的合意と、そうしてもいいという社会的合意が得られるかどうかは別問題」と、案内してくれた東電フェローの小森明生さんは考える。「フクイチはもう、普通の原発とは思われていませんから…」と。
 フクイチだけのことではない。今は、国民の多くが原発と、原発神話を築いた人や機関に疑いの目を向けている。原発推進の経済人や政治家が目を背けているだけではないか。国民の視線に気づかなければ、社会的合意は成り立たない。(飯尾歩)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013062802000146.htmlより、
東京新聞【社説】フクイチで考える(4) ロボット侵す放射線
2013年6月28日

 3号機、4号機の作業現場は、随分様子が違う。
 4号機の周りには、白い防護服にマスクをつけた人の姿がある。3号機にはそれがない。
 事故当時、定期検査で停止中だった4号機は、メルトダウンを起こしていない。
 一方、爆発の規模が大きく破損のひどい3号機には、人がうかつに近づけない。3号機はぐるりと足場が囲み、六百トン吊(つ)りの巨大クレーンなど大小十台の重機ががれきの撤去を続けている。運転台には人がいない。
 十台は、約五百メートル離れた免震重要棟から、遠隔操作されている。放射線の影響がない部屋だ。
 「無人重機もロボットの一種」と東京電力原子力・立地本部課長の田中勤さんは言う。
 それとは別に、ロボットたちはフクイチの中にいて、主に地味な調査業務に就いている。
 一昨年四月の「パックボット」(米・アイロボット社製)投入以来、東電の管理分だけで六機種が活動、または待機中。この十八日には、ホンダなどと共同開発した「高所調査用ロボット」が、2号機内の温度や線量を確かめた。
 しかし、放射線はロボットさえも脅かす。放射線量が一〇〇シーベルトになると、エネルギーの高いガンマ線がロボットの“目”に当たるカメラの画素に影響し、画像に斑点のようなものが表れる。
 ガンマ線が、半導体の中の電子の流れに作用して、コンピューターの誤作動を引き起こす。鉛で覆うと動作が不自由になる。
 ロボットも人間と同じ線量計を装着し、被曝(ひばく)の限界を定めた管理値が設定されている。
 作業の現場は炉心に近づいていく。生身の人間には、小石一つ拾わせてはならない。汚染水に触れさせてはならない。
 ロボットに対する国民の期待は強い。国産ロボットの奮起を求めたい。飛躍的な性能向上を図らねば、フクイチは鎮まらない。(飯尾歩)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013062902000157.htmlより、
東京新聞【社説】フクイチで考える(5) 核と共存できるのか
2013年6月29日

 フクイチを巡る取材バスの中で強く思ったのは、日本に落とされた原爆はアメリカがつくったが、この原発事故の被災地、代表撮影=をつくったのは、ほかならぬ日本だったということだ。
 外には、強力な放射能ちりを吸い込まぬように、大型のマスクと装備を着けて働いている人たちがいる。周りには住めない土地がある。そういうことを私たちは自覚せねばならない。
 この場所は、事故後よく知られた通り旧陸軍の飛行場だった。海を見下ろす高さ三十メートルの海岸段丘の上。そこを二十メートル掘り下げて原発は建設された。科学技術が万能と信じられた時代。だが、掘り下げた分だけ津波は大きく襲った。
 一九四八年、湯川秀樹博士がノーベル賞を受ける前年。アメリカの研究所に招かれると、すぐにアインシュタイン氏がやって来た。博士の両手を握りしめながら「罪もない日本人を原爆で殺傷して申し訳ない」と涙を流してわびた。
 原爆と原発はもちろんちがう。
 だが、放射能汚染という災禍は同じである。
 思い出されるのは「核と人類は共存できない」という、広島の哲学者にして運動家の森滝市郎氏のことばだ。彼は被爆して右目を失った。考えに考え抜いた末、核兵器はもちろん、原発もやめるべきだと決心した。ウランを掘る人から最終的に燃やし処理する人まで被ばくの危険がある。ましてや事故を起こしたら。
 私たちは、廃炉ということばを割合簡単に使う。だが、どうか。その疑問はここへ来ればわかる。
 福島の廃炉はうまくいってほしい。しかし、それを進めながら原発とは私たちにとって一体何なのかと自問を繰り返そう。
 何より原発に代わるエネルギーを、私たちは努力すればもつことができる。フクイチはそう語りかけてくる。(深田実)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013070302000165.htmlより、
東京新聞【社説】フクイチで考える<読者から> 無関心ではいられない
2013年7月3日

 今回も貴重なご意見、感想、ご提言をたくさん寄せていただきました。本当にありがとうございます。
 東京都中野区の主婦(74)は、フクイチの現場作業員の身を案じ「命をかけなくてはならないものはつくってほしくない。日本のような地震国にはふさわしくない」と、核との共存をきっぱり否定します。そして「まずは、止める。止めたらそこから知恵もわいてくると思う。少欲知足の精神に立ち返ることが生き残るすべだと思う」と呼びかけます。
 名古屋市の男性は「産業革命以降の科学技術は大変に素晴らしかった。でも、自然とは相いれない存在になってしまった。核は人間にはコントロールできない」と考えます。
 金沢市内の男性は原発を、そこから出るごみの処理方法さえ決まらず、子孫の安全を脅かす「不完全な商品」だと考えます。だから「そんな原発を首相がトップセールスをして世界を売り歩くなどありえない」と訴えます。
 さいたま市の男性(72)は「地震の大きさや震源は予測できないとの前提で耐震基準を考えるべきだ」。さらに「装置の劣化を食い止めることは実質的に不可能。四十年で廃炉にすべきだ」と提言しています。
 初めて現場に立ってみて、フクイチの内と外では、それぞれ別の時間が流れているように思えてなりませんでした。
 あの日から二年四カ月。放射線の厚いベールの内側にある異世界は、日々忘れられようとしているのではないのかと、不安にもなりました。
 ところが、名古屋市の男性からは「感想を求められて素通りしてしまうことがためらわれたので書きました」。千葉市の主婦(63)には「無関心になっていく国民への警鐘として肝に銘じます」と励ましていただきました。
 実際に現場で見聞きすると、廃炉への困難な道のりを、あらためて思い知らされました。
 でも困難を伝えるだけでは前へ進めません。
 「放射能の無害化への夢などの可能性へ、ぜひ取り組んでください」と川崎市の男性が言うように、希望を探し出すことも私たちの重要な仕事です。
 フクイチを考えるということは、私たち自身の未来を考えることにほかなりません。(飯尾歩)

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