金言:抑制の知恵 西川恵氏

http://mainichi.jp/opinion/news/20130705ddm003070124000c.htmlより、
金言:抑制の知恵=西川恵
毎日新聞 2013年07月05日 東京朝刊

 <kin−gon>

 エジプトのカイロに勤務したことはないが、立ち寄った回数は10回を下らない。勤務地の欧州から他の中東地域の紛争取材に向かう時の中継基地として、カイロ特派員が出張で出払った後の支局のカバー要員として、長い時は滞在も2週間を超えた。

 欧州から行っても、他の中東地域から戻っても、カイロはホッとする場所だった。最大の理由はこの国のおおらかな国民性が作りだしている温和な社会の空気である。激高した人や、ささくれ立った感情のやり取りを目にしたことはめったにない。むしろおせっかいなほどに親切で、好奇心に満ち、言葉を介在させずに通じ合える人々である。

 欧州から行くと「ここはアジアの風土だ」と懐かしさを覚え、白黒つけなければ気が済まない苛烈な気質の他の中東地域から戻ると「何と人間味あふれた街だろう」と緊張が一気にほぐれたものだ。

 一昨年2月、「中東の春」の大デモがムバラク政権を崩壊に追い込んだ時、「あの穏やかなエジプト人がこんな行動に出るとは思わなかった」といった解説があったが、私はそうは思わない。温和な人でも我慢の限度を超えれば怒るし、立ち上がりもする。むしろ同政権崩壊後の民主化プロセスがこの国らしく、温和な国民の総和としての抑制が働いていたと思う。

 これは同じ「中東の春」でも軍事衝突までいったリビアや、混乱極まるシリアと比べても明らかだ。エジプトでも一部行き過ぎはあったし、過激の連鎖にからめ捕られてもおかしくない機会は幾つかあった。しかし過激に過激を重ねて極端に走ることを嫌うこの国の人々は、その度にどこかで抑制を働かせていた。

 エジプトのクーデターは1952年、ナセルを中心とする青年将校が王制を打倒して以来のことだが、52年の時、王族たちは危害を加えられることなく、一定額の財産と共に国外脱出が認められた。イラン革命(79年)では王族や重臣たちが次々に処刑されたことと引き比べ、エジプト人が極端な行動や流血を嫌う国民であるのがよく分かる。

 今回のクーデターでも、軍は事前に各派に根回しをし、期限を切ってモルシ大統領に事態収拾を求める最後通告を出していた。クーデターは前触れなく行うものだが、いかにもエジプト的な手法だ。

 今後の成り行きで、最大の焦点は同大統領の出身母体のムスリム同胞団の出方だ。民主化プロセスにおける生みの苦しみは続くだろうが、この国がもつ抑制の知恵に期待したい。(専門編集委員)

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