参院選 原発政策「福島に寄り添う責任」

http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_top_pickup#Edit2より、
朝日新聞 社説 2013年 7月 11 日(木)付
原発論戦―大阪発の知恵を材料に

 参院選で、自民党は公約から「脱原発依存」という言葉を消し去り、原発の再稼働に意欲を示している。
 これに対し、多くの野党は「原発ゼロ」を掲げる。だが、ゼロか否かの主張ばかりでは、必要な判断材料が有権者に示されているとは言い難い。
 選挙戦を前にした朝日新聞社の世論調査では、停止中の原発の運転再開に53%が「反対」と答えている。
 一方で、電気料金の値上げが生活や経済に与える影響を心配する国民も多い。自民党が再稼働に前のめりなのも、そんな空気を読んでのことだろう。
 新しい社会に向けて、どんな道をたどれば生活や経済への打撃を抑えつつ、原発を減らせるのか。野党はゼロへの手立てを具体的に論じ、有権者の声にこたえる必要がある。
 ぜひ、活用してほしいのが、2030年原発ゼロへの道筋をまとめた「大阪府市エネルギー戦略会議」(会長・植田和弘京都大学教授)の提言だ。
 大阪は、電力の半分を原発に依存してきた関西電力の大消費地である。大事故が起きて、水がめの琵琶湖が汚染されれば、「被害地元」ともなりうる。
 そこで橋下徹・大阪市長が脱原発への現実的な政策を示すよう10人の専門家に要請し、1年以上かけて提言をまとめた。ネットでも公開されている。
 ところが、橋下氏が共同代表をつとめる日本維新の会は国政進出後、脱原発の姿勢があいまいになり、公約に提言を反映しきれていない。
 戦略会議は府市の税金でまかなわれた。維新のために活動したわけではない。維新は提言をどう生かすのかを明らかにすべきだが、他の党も公約肉付けの参考にしない手はない。
 提言は、厳格な安全審査で廃炉をすすめる一方、2年以内に発送電分離と電力小売りの完全自由化を実現するよう、国に求める。多様な電源による競争で価格低下を促し、電気料金値上げに歯止めをかける。
 市場原理の重視も提案した。事故時の賠償への備えや廃棄物の処理費などのコストを電力会社に負担させ、普通のビジネスとして成立しなければ原発から撤退するという考え方だ。
 改革に伴う痛みへの手当てでは、立地自治体が原発依存から脱却する自立支援への交付金づくりを進言する。
 安全性や経済性にどう配慮しながら原発を閉じていくか。自民党が答えを示せないこの問題を野党が争点とし、論戦を深めるべきだ。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013070802000128.htmlより、
東京新聞【社説】<2013岐路>原発政策 未来の安心もっと語れ
2013年7月8日

 自民は原発推進に舵(かじ)を切り、他は脱原発や脱原発依存を訴える。だがそれで、どんな未来になるのだろうか。私たちのその未来をもっと語ってもらいたい。
 二〇五二年の時点でまだ原子力発電を続けているのは、フランスと中国だけになるだろう-。
 世界自然保護基金(WWF)の副事務局長などを務めた、ヨルゲン・ランダース氏の近著「2052」(日経BP社)に収録された、識者による未来予測の一つである。

◆巨額の費用がかかる
 書いたのは、ジョナサン・ポリット氏。英国緑の党の共同代表などを歴任した人だ。「原子力発電の終焉(しゅうえん)」というタイトルが付いている。
 原発はなぜ消えていくのか。ポリット氏によれば、主な理由は経済だ。
 欧州では環境派と呼ばれる人々にも、原発は一定の支持を受けてきた。石油や石炭などの化石燃料に比べてコストが安く、地球温暖化の原因になる二酸化炭素(CO2)の排出量が少ないからだ。
 ところがそれも安全あってのことである。フクシマの事故で安全神話のベールがはがれ、原発の隠れたコストが明るみに出た。
 どんなに科学が進んでも、原発事故の確率をゼロにするのは不可能だ。事故を起こせば、その損害は計り知れないものになる。フクシマは原発の経済リスクを世界に知らしめた。廃炉や使用済み核燃料の処理にも、この先巨額の費用がかかる。
 日本最大の東京電力さえ、国有化を余儀なくされた。公的資金が無限に注入されない限り、投資リスクの解消は望めない。投資家は原発という古い船を下り、再生可能エネルギーに乗り換える。市場原理が、原発を追い立てる。

◆世論は消極的なのに
 ポリット氏の予測に沿うかのように、米国ではシェールガスへの転換が急速に進んでおり、デンマークでは原発の予定地に風車を建てた。原発への公的資金投入をいち早く打ち切った英国では、大規模な洋上風力発電施設の建設が盛んに計画されている。西欧で建造中の原発は、フィンランドとフランスのそれぞれ一基だけである。
 二〇年までに五十六基の原発を建設するという中国でさえ、3・11後は住民の不安に配慮して、減速の兆しがあるという。
 エネルギー社会の未来図を、フクシマが塗り替えつつあるのだろう。未来図が示されてこそ、世界は動く。未来図を描くのが政治家の仕事ではなかったか。
 思い出してもらいたい。去年の夏のことである。
 当時の民主党政権は福島の事故を受け、「二〇三〇年に原発比率50%以上」とうたったエネルギー基本計画を白紙に戻し、討論型世論調査で国民の意見を聞いた。
 二日間の議論の結果、政府が示した三〇年に原発比率ゼロ、15%、20~25%の選択肢から、約半数の参加者がゼロを選んだ。
 だが、原発ゼロに至る具体的な未来図や戦略が示されないまま、草創期から原発を推進してきた自民党が、暮れの総選挙では与党民主に圧倒的な大差をつけて政権の座に返り咲いた。
 だからといって、原発ゼロを選んだ有権者の意思が消えてしまったわけではない。本紙の世論調査では、今度の参院選で安倍内閣を支持すると答えた人の半数近くが、原発再稼働には消極的だ。比例の投票先も約半数が未定のまま、選挙戦に入っている。
 放射能は恐ろしい。でも脱原発は暮らしにどんな影響を与えるのか。原発ゼロにするのはいい。でも本当に実現できるのか。アベノミクスに期待しながら原発に不安を覚える人や、脱原発を望みながらも、実現可能な政党を見つけられない人は多いに違いない。
 故郷を追われた十五万人を超える原発被災者の日常に、心を痛めない人はいないだろう。
 そんな有権者に向けて、早期再稼働と輸出をめざす自民は、原発と共存可能な社会の未来図を、脱原発を訴える他の党は、原発なしでも豊かな社会のそれを、具体的に示して信を問うべきだ。
 若い有権者には特に、解禁されたインターネットなどを使って、候補者や政党に、それを求めてもらいたい。

◆大きな転換点だから
 いずれにしてもこの国のエネルギー政策は、大きな転換点にある。原発依存を抜け出すにせよ、使い続けるにせよ、再生可能エネルギーの普及や電力の自由化など、時代の要請は避けられない。
 新しいエネルギー社会を築き上げるには、時間がかかる。その社会を生きるのは若い皆さんと、皆さんの子どもたちなのだ。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130706k0000m070104000c.htmlより、
社説:視点・参院選 被災地=論説委員 伊藤正志
毎日新聞 2013年07月06日 02時30分

 ◇福島の命どう向き合う
 福島県浪江町の海岸沿いにある請戸(うけど)地区を先月、訪れた。東日本大震災の津波で壊滅的な打撃を受けた場所だ。見渡す限りの陸地に漁船や車が転がり、津波に流され原形をとどめない建物もそのままだ。震災直後と変わらぬ光景が、原発事故に見舞われた福島の悲劇を象徴する。
 いまだ15万人を超える人たちが県内外で避難生活を続ける福島県。震災関連死は、全国の半数以上の1400人を超えた。将来、地震や津波による直接の死者1606人を超える恐れは十分にある。時間がたってもなお犠牲者が増え続ける現実。過去に例のない被害の過酷さを私たちは直視すべきだ。
 原発事故による子どもと妊婦の健康不安解消や、避難に伴う被災者の移動や住宅・就業支援について国の実施責務をうたったのが「原発事故子ども・被災者生活支援法」だ。昨年6月、衆参両院で全会一致で可決、成立した。だが、復興庁は1年後の今も支援内容を具体化させるための基本方針さえ示さない。
 ツイッター暴言問題で更迭・処分された復興庁元担当参事官は、法律の骨抜き、課題先送りを示唆した。避難者からは落胆の声が漏れる。昨年12月の政権交代後、支援法への後ろ向きの姿勢を感じずにはいられない。
 各党の参院選公約を比較したい。支援法の活用を具体的に挙げたのは、民主党、みんなの党、社民党、共産党、みどりの風だ。自民、公明両党と日本維新の会、生活の党は、支援法について言及していない。全会一致の旗印はどこにいったのか。
 福島では、避難や賠償をめぐって住民間でさまざまなあつれきが生じ、「心の分断」が進んでいると言われる。中でも、低線量被ばくに対する考え方、対応の違いは大きい。
 支援法は、避難せず地元に住み続ける人や帰還者だけでなく、自主避難者も含めた全ての避難者の支援を約束する。被ばくを避け、福島県外に出て行った人たちの「避難」を恒久化し、分断を決定的にするのではとの懸念が一部にあるのは事実だ。
 それでも、支援の先送りは許されない。東京電力による賠償がなかなか進まない中で、避難により二重三重の生活を余儀なくされ、苦しんでいる人たちが現にいるのだから。
 国土強靱(きょうじん)化の勇ましい掛け声の下、震災からの復興や復旧に目が向きがちだ。だが、優先されるべきは、まず被災者の命、生活支援だ。避難に伴うストレスの軽減は、震災関連死という悲劇を防ぐためにも必要だ。支援法をどう生かすのか、各党の明快な訴えを聞きたい。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013070502000134.htmlより、
東京新聞【社説】<2013岐路> 党首第一声 福島に寄り添う責任
2013年7月5日

 参院選が公示され、各党首らが各地で第一声を上げた。経済政策は大きな争点だが、収束しない原発事故、道半ばの震災復興をどうするのかも、忘れてはならない。
 候補者擁立の状況や選挙戦略によるのだろうが、寂しい気がしないでもない。七カ月前の衆院選公示日、四党首が福島県内に集ったが、きのうは現職首相の安倍晋三自民党総裁と、海江田万里民主党代表だけだった。
 安倍氏は衆院選同様、福島市の中心街を第一声の場に選んだ。長年政権にあった自民党が「原発の安全神話に寄りかかり、原発政策を推進したことを、深刻に反省しなければならない」と述べた。
 いまなお多くの人々が仮設住宅での生活を余儀なくされている現状を見れば、「本当に申し訳ない思い」を表明したのは当然だ。
 しかし、安倍氏は首相として原発再稼働や海外への原発輸出を進める。衆院選第一声では語っていた再生エネルギーの開発促進にはこの日、全く触れなかった。
 県内全原発の廃炉や再生エネルギー研究・開発の推進を求めた福島県連や、普天間飛行場の県外移設を掲げた沖縄県連の地域公約を安倍氏は「県連の願望」と一蹴する。地域重視の自民党が地域に寄り添わないのはどういうことか。
 ただ「復興を加速する」と言うだけでは、原発事故を本当に反省したことにはなるまい。
 海江田氏は第一声を上げた盛岡市から仙台市に入り、その後、福島市では安倍氏と同じ場所で演説した。東日本大震災の被災地から選挙戦を始めたかったのだという。
 震災発生時、原発を所管する経済産業相だった海江田氏は原発事故の避難指示に「至らぬ点があった」と謝罪し、「福島の復興なくして日本の復興はない」と訴えた。
 やり玉に挙げたのが安倍内閣が進める国土強靱(きょうじん)化だ。公共事業のバラマキと批判し、資材高騰で復興に支障が出ていると指摘した。
 政策の誤りを正し、建設的な提言をして実現を迫るのは野党の役割である。政権転落の痛手は深いが、福島をはじめ被災地の復興を加速させるため、政策論争に果敢に挑んでほしい。
 これから福島に入る党首もいるのだろう。選挙区に候補者を擁立しなくても、比例代表で支持を呼び掛ける意味はある。政策を堂々と訴え、いまだ故郷に帰れない被災者、原発事故の影響に苦しむ県民に寄り添う気持ちを表してほしい。それが政治の責任でもある。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130630k0000m070112000c.htmlより、
社説:原発政策 「脱」か「依存」か明確に
毎日新聞 2013年(最終更新 06月30日 23時40分)

 原発に頼らない社会を目指すのか、原発依存に回帰するのか。今度の参院選は、国民がその意思を示す大切な機会になるはずだ。
 福島の事故は、なお収束しない。その中で、政府がなし崩しに依存を強めることがあってはならない。各党・各候補は、有権者がしっかり選択できるよう、自らの原発政策を明確に示すべきだ。
 安倍晋三首相は、原発輸出の「トップセールス」にまい進し、政権の成長戦略には原発再稼働に積極的な姿勢を盛り込んだ。自民党の公約は現政権の姿勢を後追いする内容だ。原発を含むインフラ輸出を進め、原発の再稼働を巡っては、地元自治体の理解を得るよう「国が責任を持って最大限の努力」をするという。
 一方で、昨年の衆院選の公約に掲げていた「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立」という目標は消えた。衆院選で自民に投票した有権者の中には、「依存しなくてもよい」政策の支持者もいただろう。原発依存にかじを切ったのであれば、はっきり示すべきだ。
 連立政権を組む公明党は公約に、「原発に依存しない社会・原発ゼロを目指す」と明記した。自公の政策は矛盾しないのか。国民が支持不支持を判断できるように、両党はきちんと説明する必要がある。
 一方、民主党は「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入」という衆院選の公約を変えていない。脱原発路線を堅持したことは評価できる。
 しかし、実現のための戦略や道筋が分からない。推進をうたうインフラ輸出に原発が含まれるかどうかも明らかにしない。主張に筋を通さなければ、与党に対抗して有権者の理解を得るのは難しいだろう。
 いずれにしても当面、安全を確認できた原発の再稼働はあり得るだろう。今の制度では、電力会社だけが事故の賠償責任を負う。再稼働させるのであれば、原発を推進してきた国の責任分担の是非もはっきりさせる必要がある。国の責任とは、税金による給付を意味する。賠償負担が大きく膨らんだ東京電力への支援の見直しは、その試金石といえる。
 国民負担を伴うだけに、各党は選挙戦でそれぞれの考えを示してほしい。幕引きを急ぐべき核燃料サイクルや使用済み核燃料の処分などについても考えを聞きたい。
 原発の是非は2年前の原発事故以来、国論を二分してきた難しい問題だ。しかし、それを避けて国の将来は描けない。各党・各候補は原発政策をはっきりと争点に掲げ、論議を戦わせるべきだ。

http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_top_pickup#Edit1より、
朝日新聞 社説 2013年 6月 29 日(土)付
原発と政治―未来にツケを回すのか

 あの日。地震と津波の脅威にがく然としていた私たちに追いうちをかけたのが、「福島第一原発で全電源を喪失」「原子炉の冷却不能」というニュースだった。
 爆発で原子炉建屋が吹き飛ばされる映像を目にして、背筋が凍った。
 そのことを、よもや忘れたわけではあるまい。
 安倍政権の原発政策である。
 自民党は参院選の公約で、原発の再稼働について地元の理解を得ることが「国の責任」と明記した。
 「安全性が確認された原発は動かす」が、安倍政権の基本方針だ。首相は国会閉会後の記者会見で「原子力規制委員会の基準を満たさない限り再稼働しない」と言い回しを変えたが、規制委さえクリアすれば、原発というシステムには問題ないという認識のようだ。
 折しも7月8日に、新しい規制基準が施行され、既存の原発が新基準に適合しているかどうかの審査が始まる。
 確かに、新基準はさまざまな点で改善はされている。
 旧来は規制当局が電力会社に取り込まれ、電力側が基準づくりや審査を都合よく誘導していた面があった。
 新基準は、活断層を厳しく吟味するほか、地震・津波対策やケーブルの不燃化、電源・冷却手段の多重化、中央制御室のバックアップ施設などを求める。
 今後も新たな基準を設けた場合、既存原発に例外なく適用することになったのは前進だ。過酷事故が起きることを前提に対策を求めた点も評価する。
 しかし、新しい基準への適合は「安全宣言」ではない。規制委が、「安全基準」から「規制基準」へ名称を変えたのも、そのためだ。安倍政権はそこから目をそらしている。
 なにより、福島の事故があぶり出したのは、安全対策の不備だけではない。
 たとえば、原発から出る危険なゴミの問題である。
 使用済み核燃料や廃炉で生じる高レベルの放射性廃棄物をどこにどうやって処分するか、まったく手つかずのままだ。当座の保管場所さえ確保できていないのが現状である。
 安倍政権は発足当初から、使用済み核燃料を再処理して利用する核燃料サイクル事業の継続を表明した。6月の日仏首脳会談でも、両国が協力して推進していく姿勢を強調した。
 しかし、計画の主役だった高速増殖炉は失敗続きで見通しがつかない。使用済み燃料から取り出したプルトニウムとウランを混ぜたMOX燃料を商業炉で使うプルサーマル発電に頼るしかないが、これまでに取り出したプルトニウムを消化しきるのも難しい。
 ましてや、青森県六ケ所村の再処理工場を動かせば、プルトニウムをさらに増やすことになり、核不拡散を定めた国際公約に違反する。
 こうした負の側面に目をつぶり、課題を先送りするような原発回帰は「政治の無責任」としかいいようがない。
 原発というシステム全体の見直しを怠るなかでの再稼働は、矛盾を拡大させるだけだ。
 規制委の審査も、リスクの高い原発をふるい落とす仕分け作業と位置づけるべきである。「NO」とされた原発は、政府がすみやかに廃炉措置へと導く手立てを講ずる。
 基準への適応が認められた原発も、再稼働するには「本当に必要か」という需給と経済面からの検討が欠かせない。
 事故当時に比べると、節電意識や省エネ投資が進み、少なくとも需給面では乗り切れる情勢になった。
 あとは、原発が動かないことによる電気料金の値上げがどの程度、生活や経済活動の重荷になっているかという問題だ。
 負担感は人や立場によって異なるだろう。議論には根拠のあるデータが欠かせない。
 民主党政権時代に試行したコスト等検証委員会や需給検証委員会のような枠組みをつくり、国民に公開された場で合意を形成しなければならない。
 その際、火力発電の燃料代の増加といった目先の負担や損失だけでなく、放射性廃棄物の処理費用や事故が起きた場合の賠償など中長期に生じうるコストも総合して考える必要がある。 未来世代に確実にツケが回る問題に手を打つことこそ、政治の仕事である。

http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_top_pickup#Edit2より、
朝日新聞 社説 2013年 6月 29 日(土)付
原発と政治―「地元」をとらえ直そう

 原発が事故を起こせば、極めて広範囲に打撃を与える。
 この最低限の教訓さえ、まだきちんと生かされていない。
 国は福島の事故後、防災対策を準備する「重点区域」を、原発の8~10キロ圏から30キロ圏に広げた。対象の自治体は45市町村から135市町村に増えた。
 原発を再稼働するなら、これら「地元自治体」から同意を得るのが不可欠だろう。
 実際、関係する自治体は電力会社に、再稼働時は同意を条件とする立地自治体並みの協定を結ぶよう求め始めている。
 だが、交渉は難航している。関西電力が早期の再稼働をめざす福井県の高浜原発では、30キロ圏内に入る京都府や滋賀県の自治体が関電と交渉中だが、関電は認めようとしない。
 立地自治体の側にも、被害地域を広く想定する国の方針に反発する動きがある。
 福井県は全国最多の14基の原発が集中立地し、大きな災害が起きれば原発が相次いで事故を起こす心配がある。
 ところが、県は「国の避難基準があいまい」などとして、隣接する他府県の自治体との交渉を後回しにし、避難先を県内に限る計画をつくった。
 その結果、美浜原発の過酷事故を想定した6月の避難訓練では、美浜町民は原発から遠ざかる滋賀県ではなく、県の計画に従い、大飯原発のある県内のおおい町へ逃げた。これが、住民の安全を第一に考えた対応だと言えるだろうか。
 背景には、原発事業者と立地自治体との特別な関係がある。事業者は自治体に寄付金や雇用の場を提供し、自治体は危険な原発を受け入れる。
 「地元」が広がれば、事業者にとっては再稼働のハードルが上がり、立地自治体もこれまで通りの見返りが得られる保証はない。事故の現実を目の当たりにしてもなお、双方に、そんな思惑が見え隠れする。
 こんないびつな関係を続けることは、もう許されない。
 事業者は30キロ圏内の自治体と協定を結び、監視の目を二重三重にする。自治体は広域で協力し、発言力を強める。そして万一の際の避難計画をつくる。
 もたれあいでなく、住民の安全を第一に、緊張感のある関係を築かねばならない。
 しかも、これからは新しい規制基準のもと、再稼働できない原発も出てくる。
 国策に協力してきた自治体にとっては厳しい事態ではある。原発への依存から方向転換するのは容易ではない。
 ただ、福井県も「エネルギー供給源の多角化」を掲げ、液化天然ガス(LNG)の受け入れ基地の誘致に動き出すなど、脱原発依存に向けた試みが垣間見える。
 安倍政権は、再稼働への理解に努力するのではなく、新たな自立への支援にこそ、力を入れていくべきだ。

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