長崎原爆の日 平和祈念式典

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130809/k10013661981000.htmlより、
長崎「原爆の日」で平和祈念式典
8月9日 17時18分

長崎は9日、原爆投下から68年となる「原爆の日」を迎えました。
平和祈念式典で、長崎市の田上富久市長は、国際会議で提案された核兵器の非人道性を訴える共同声明に日本政府が署名しなかったことを批判し、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すよう求めました。
爆心地に近い長崎市の平和公園で行われた平和祈念式典には、原爆の犠牲者の遺族や被爆者などおよそ6300人が参列しました。
そして、原爆が投下された午前11時2分に合わせて平和の鐘が打ち鳴らされ、全員が黙とうし、原爆で亡くなった人たちを追悼しました。
長崎市の田上市長は、平和宣言で、ことし4月、スイスのジュネーブで開催されたNPT=核拡散防止条約の会議で提案された、核兵器は非人道的なものだとしていかなる状況でも使用すべきではないとする共同声明に日本政府が署名しなかったことについて、「世界の期待を裏切り、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を示した」と述べて、国の姿勢を強く批判しました。
そのうえで、「二度と世界の誰にも被爆の経験をさせないという被爆国の原点に返ることを求めます」と述べて、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すよう国に求めました。
また、被爆者代表として平和への誓いを述べた築城昭平さんも「わが国は、世界で唯一の戦争被爆国として核兵器廃絶の先頭に立つ必要があります。私たち長崎の被爆者は驚くというより、憤りを禁ずることができません」と述べました。
これに対して安倍総理大臣は、式典のあとの記者会見で「北朝鮮が核開発を続けているという厳しい現実があり、日本の安全保障上の環境を踏まえて対応せざるをえない。共同声明に参加できなかったのは残念だが、今後、同様の共同声明に参加する道を真剣に探りたい」と述べました。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013080990135446.htmlより、
長崎 原爆投下68年 平和宣言で政府を批判
2013年8月9日 13時54分

 長崎は九日、被爆から六十八年の原爆の日を迎えた。長崎市松山町の平和公園で市主催の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれ、田上富久(たうえとみひさ)市長は平和宣言で「日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求める」と述べ、核兵器廃絶に積極的な姿勢を示さない政府を批判した。被爆地・長崎の明確なメッセージは安倍政権下で活発化する改憲などの議論にも影響を与えそうだ。宣言は一方で、若い世代への体験継承を訴えた。
 田上市長は、四月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、核兵器の非人道性に関する声明に政府が賛同しなかったことを「世界の期待を裏切った。核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢で原点に反する」と糾弾した。
 インドとの原子力協定の交渉再開についても「NPTを形骸化することになる。核保有を目指す北朝鮮に正当化の口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げになる」と指摘した。式典にはインド政府の代表が初めて出席した。
 市長は核軍縮に取り組む方針をあらためて示したオバマ米大統領への支持も表明。世界の核弾頭の九割を持つ米ロ両国にさらなる削減を呼び掛けた。
 市民には、戦争放棄を明示した日本国憲法の前文を引用し「平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠」と訴え、若い世代に「あなたたちこそが未来」と語り掛けた。
 東京電力福島第一原発事故の被災地には「一日も早い復興を願い、応援する」と呼び掛け、具体的なエネルギー政策の提示を国に求めた昨年に引き続き、連帯の意思を示した。
 式典には過去最多に並ぶ四十四カ国が出席。原爆投下国の米国から昨年に続きルース駐日大使が参列した。各国代表や福島県川内村の猪狩貢(いがりみつぎ)副村長ら参列者約六千三百人は原爆投下時刻の午前十一時二分に黙とうし、犠牲者の冥福を祈った。
 安倍晋三首相はあいさつで「確実に『核兵器のない世界』を実現していく責務がある。非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に力を惜しまぬことを誓う」と述べた。
 被爆者代表の築城(ついき)昭平さん(86)は「平和への誓い」で「核兵器も戦争もない平和な世界をつくることは、全ての大人の責任だ」と訴えた。
 長崎市によると、この一年間に新たに死亡が確認された被爆者は三千四百四人に上り、原爆死没者名簿に記載された総数は十六万二千八十三人。長崎市内に住む被爆者は今年三月末時点で三万七千五百七十四人、平均年齢は七八・二歳となった。(東京新聞)

http://mainichi.jp/select/news/20130809k0000e040190000c.htmlより、
長崎原爆の日:「被爆国としての原点に」 68回目の夏
毎日新聞 2013年(最終更新 08月09日 12時06分)

 長崎は9日、68回目の「原爆の日」を迎えた。長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれ、田上富久・長崎市長は平和宣言で、核兵器の不使用を求める各国の共同声明に署名しなかった政府の核兵器廃絶に対する姿勢や、海外への原発輸出政策を批判。憲法前文を引用し、2度にわたって「政府に被爆国としての原点に返ることを求める」と訴え、被爆地から政府の姿勢をただした。
 午前10時35分に始まった式典には被爆者や遺族代表、安倍晋三首相ら約6300人が出席した。核保有国からインドが初めて参加するなど、2011年と並び過去最多となる44カ国の代表が参列。原爆投下時刻の午前11時2分、全員で黙とうをささげた。
 田上市長は平和宣言で核兵器の非人道性を強調。4月にジュネーブであった核拡散防止条約(NPT)再検討会議準備委員会で、政府が核兵器の不使用を求める共同声明に署名しなかったことを挙げ、「世界の期待を裏切り、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を示した。被爆国の原点に反する」と厳しく指摘した。
 政府がNPT非加盟のインドと原子力協定交渉を再開させたことも取り上げ、「NPTを形骸化させ、核保有を目指す北朝鮮などの動きを正当化する口実を与える」と批判。被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すよう求めた。
 さらに、憲法前文の「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」を引用して憲法改正の動きに懸念をにじませ、「平和希求の原点を忘れないためには戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠だ」と強調した。
 また、7月に82歳で亡くなった日本被団協顧問、山口仙二さんが国連で訴えた「ノーモア・ヒバクシャ」を紹介。被爆者の平均年齢が78歳を超えたとして、若い世代に「被爆者の声に耳を傾けてください。未来に核兵器が存在していいのか考えてください」と呼びかけた。
 安倍首相はあいさつで「非核三原則を堅持し、核兵器廃絶、世界恒久平和の実現に力を惜しまぬことを誓う」と宣言。しかし広島での平和記念式典と同様、2007年の第1次政権時のあいさつで唱えた「憲法の規定を遵守(じゅんしゅ)」の発言はなかった。福島第1原発事故後、11、12両年の長崎の式典で当時の菅直人、野田佳彦両首相はそれぞれ「脱原発依存」を表明したが、安倍首相は原発政策について一切触れなかった。

http://www.asahi.com/special/news/articles/SEB201308090011.htmlより、
朝日新聞 2013年8月9日12時6分
平和への誓い 被爆者代表・築城昭平さん

 今年もまた、暑い夏がやってきました。あの日のことは、私の脳裏から消えることはありません。
 当時、私は18歳、師範学校の2年生でした。毎日、動員学徒として三菱兵器住吉トンネル工場に通っていました。1945年8月9日、夜勤を終え、爆心地から北1・8キロのところにある寮に戻ったのが午前7時ごろでした。主食のカボチャを食べた後、すぐに寝ました。
 バリバリバリという音で目が覚め、その瞬間、爆風で吹き飛ばされ、気がついた時には部屋の壁に打ちつけられていました。隣に寝ていた友人は血だるまになっていました。私自身も左手首と左足が焼けただれ、飛び散ったガラスの破片で体中から血が流れ、赤鬼のような姿になっていましたが、はだしのまま20メートルほど先の防空壕(ごう)まで逃げました。
 防空壕の中はすでに人でいっぱいでした。その前には黒焦げになっている人、皮がペロリと垂れ下がっている人、鼻や耳がなくなっている人、息絶えたわが子を抱きしめ放心状態で座り込んでいる母親、全身焼けただれ茫然(ぼうぜん)と立っている人々の姿がありました。まさに地獄絵図でした。
 やがて起こった火事に追われ、長与の臨時治療所にたどり着きました。その翌日から疎開先の自宅で療養しましたが、2カ月もの間、高熱と血便が続き、立つこともできず、脱毛と傷の痛みに悩まされました。近くに避難をしている人が次々と亡くなっていく話を聞くと、次は私の番かと恐怖の中で死を覚悟したものでした。私はそのときまだ、放射能の怖さを知りませんでした。
 幸いにして、私はこうして生き延びることができました。今、強く願うことは、この大量破壊・大量殺人の核兵器を一日も早く、この地球上からなくすことです。しかし、いまだに核実験が行われ、核兵器の開発は進んでいます。もし核兵器が使用されたら、放射能から身を守る方法はありません。人類は滅亡するでしょう。
 わが国は世界で唯一の戦争被爆国として、核兵器廃絶の先頭に立つ義務があります。私たち被爆者も「長崎を最後の被爆地に」をスローガンに核兵器廃絶を訴え続けてきました。それなのに、先に開かれたNPT再検討会議準備委員会で「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に賛同署名をしませんでした。私たち長崎の被爆者は驚くというより、憤りを禁ずることができません。
 その一方で、世界を震撼(しんかん)させた東京電力福島第一原子力発電所の事故で、新たに多くの放射線被曝(ひばく)者がつくりだされ、平和的に利用されてきた原発が決して安全ではないことが改めて示されました。それにもかかわらず、事故の収束もみえないのに原発再稼働の動きがあるとともに、原発を他国に輸出しようとしています。
 ヒロシマ・ナガサキ、そしてフクシマの教訓として「核と人類は共存できない」ことは明らかです。政府は誠実かつ積極的に、核兵器廃絶さらには原発廃止に向けて行動してください。
 そして今、平和憲法が変えられようとしています。わが国が再び戦争の時代へ逆戻りをしないように、二度とあのような悲惨な体験をすることがないように、被爆者のみなさん、戦争を体験した世代のみなさん、あなたの体験をまわりの人たちに伝えてください。長崎では核兵器の廃絶と平和な世界の実現を願って活動を続けている高校生、若者がいます。彼らが集めた署名は100万筆になろうとしています。
 この高校生たちに励まされながら、私はこれからも被爆の実相を次の世代に伝えていきます。核兵器も戦争もない、平和な世界をつくることは、私たちすべての大人の責任です。
 ここに、私の願いと決意を述べて、平和への誓いといたします。

 平成25年8月9日
被爆者代表 築城昭平

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013080900227より、
被爆国として原点回帰を=インドが式典初参加-68回目の長崎原爆の日

 長崎は9日、68回目の原爆の日を迎えた。爆心地に近い長崎市松山町の平和公園で、市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれた。被爆者や遺族、安倍晋三首相らが参列し、原爆死没者の冥福を祈った。田上富久市長は平和宣言で、核拡散防止条約(NPT)再検討会議準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える共同声明に日本政府が賛同しなかったことなどを批判、被爆国として原点に返るよう訴えた。
 式典には核保有国のインドが初出席。参加国は過去最多と並ぶ44カ国となった。ベトナム戦争を題材とした「プラトーン」などの作品で知られる映画監督のオリバー・ストーン氏も参列した。
 式典では、犠牲者のための水と花輪を祭壇に供え、原爆投下時刻の午前11時2分、鐘の音とともに1分間黙とうをささげた。
 平和宣言で田上市長は、NPT未加盟のインドとの原子力協定交渉の再開について、懸念を表明。6月にベルリンでオバマ米大統領が表明した核兵器削減を支持するとともに、米ロに対して早期に大量の核弾頭を削減するよう求めた。
 さらに、「平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠」と指摘。若者に対して「あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。被爆者の声に耳を傾けてみてください」と訴えた。
 安倍晋三首相は「日本人は、唯一の戦争被爆国民だ。われわれには確実に『核兵器のない世界』を実現していく責務がある」とあいさつした。
 式典では、この1年に死亡が確認された3404人の名前を記した名簿4冊が奉納された。原爆死没者数は16万2083人となった。(2013/08/09-11:46)

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013080900346より、
安倍首相あいさつ全文=長崎原爆忌

 9日午前の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典での安倍晋三首相のあいさつ全文は次の通り。
 本日、被爆68周年、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠をささげます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆さまに、心からお見舞いを申し上げます。
 68年前の本日、1発の爆弾が7万を上回る貴い命を奪いました。12万人が暮らしていた家屋を全焼、全壊し、生き永らえた方々に、病と障害の、さらには生活上の言葉に尽くせぬ苦難を強いました。
 一度ならず、二度までも被爆の辛酸をなめた私たちは、にもかかわらず、苦しみ、悲しみに耐え立ち上がり、祖国を再建し、長崎を美しい街としてよみがえらせました。きょうは、犠牲になった方々の御霊を慰めるとともに、先人たちの奮闘と達成に感謝をささげる日でもあります。
 私たち日本人は、唯一の戦争被爆国民であります。そのような者として、われわれには確実に「核兵器のない世界」を実現していく責務があります。その非道を後の世に、また世界に伝え続ける務めがあります。
 昨年、わが国が国連総会に提出した核軍縮決議は、米国ならびに英国を含む史上最多の99カ国を共同提案国として巻き込み、圧倒的な賛成多数で採択されました。
 本年、若い世代の方々を核廃絶の特使とする制度を始めました。来年は、わが国が一貫して主導する非核兵器国の集まり「軍縮・不拡散イニシアチブ(NPDI)」の外相会合を広島で開きます。
 今なお苦痛を忍びつつ、原爆症の認定を待つ方々に、一日でも早くその認定が下りるよう最善を尽くします。被爆された方々の声に耳を傾け、より良い援護策を進めていくため、有識者や被爆者代表を含む関係者の皆さまに議論を急いでいただいています。
 長崎の御霊を悼む朝、私はこれら責務に、旧に倍する努力を傾けていくことをお誓いします。
 結びに、いま一度、犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈りします。ご遺族とご存命の被爆者の皆さまには、幸多からんことを祈念します。核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に力を惜しまぬことをお誓いし、私のごあいさつとします。
(2013/08/09-11:39)

http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/index.htmlより、
平成25年長崎平和宣言
 
 68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていたまちは一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。
 このむごい兵器をつくったのは人間です。広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。

 日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
 インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
 NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
 日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
  非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。

 核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。
 2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。
 しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。

 核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。
 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。
 若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。
 あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。
 地域の市民としてできることもあります。わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。
 長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催します。市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。
 先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。
 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。
 
2013年(平成25年)8月9日
長崎市長 田上 富久

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013080900089より、
2世への継承「最後の機会」=進む被爆者の高齢化-長崎

 被爆から68年がたつが、両親から被爆体験を聞いたことのない被爆2世も少なくない。被爆者の平均年齢は78.8歳。原爆を知る世代の高齢化が進む中、長崎県被爆2世の会の丸尾育朗会長(65)は「親から体験を聞ける最後の機会が来ている」と話す。
 丸尾さんは1998年、被爆体験を親から聞き取る企画を実施し、冊子にまとめた。「長女が死んだとき、自分が被爆したからだと恨めしく思った」「いつ子どもに病気が出るか不安だ」。被爆者の苦しい胸の内がつづられた。
 「親が被爆者だから病気になるかもしれないとか、結婚や就職で差別されるかもしれないと不安にさせたくなかったのではないか」。丸尾さんは、子どもに体験を語りたがらない被爆者の心情を思いやる。
 長崎原爆被災者協議会2世の会メンバー田平由美さん(48)は、最近になって母親(74)から打ち明けられた話がある。被爆が原因で白血病を発症した祖父が、6歳だった母と心中しようとしたことがあるという。
 ショックを受けたが、「8月9日は私のルーツ。できるだけ母親の体験を自分の記憶に残したい」と思っている。ただ、母親の被爆体験のすべてを聞けるとは考えていない。「まだつらい思いをしているはず。子どもには話せない体験もあるだろうし、親に聞きにくいこともある」と悩んでいる。
 語れぬ親と聞けぬ子。丸尾さんは「被爆体験を子どもに話せない親の葛藤を含めて、原爆の被害だ」と訴える。「後世に苦しみを残す原爆の怖さを伝えることができるのが、被爆2世だと思う」と力を込めた。(2013/08/09-07:41)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130809/k10013654231000.htmlより、
きょう68年目の長崎原爆の日
8月9日 4時10分

長崎は9日、原爆投下から68年となる「原爆の日」を迎えました。
長崎市の田上富久市長は、9日に読み上げる平和宣言で、国際会議で提案された核兵器の非人道性を訴える共同声明に日本政府が署名しなかったことを批判し、被爆国として核廃絶に積極的に取り組むよう求めることにしています。
長崎市では午前10時35分から爆心地に近い平和公園で、被爆者や遺族のほか、安倍総理大臣も出席して平和祈念式典が行われ、原爆が投下された午前11時2分に合わせて黙とうをささげ、原爆の犠牲者を追悼します。
ことしの式典には原爆を投下したアメリカのルース駐日大使が去年に続いて出席するほか、初めて参加する核保有国のインドなど、最も多かったおととしと並ぶ44か国の代表が出席する予定です。
長崎市の田上富久市長は式典で読み上げる平和宣言の中で、ことし4月、スイスで開催されたNPT=核拡散防止条約の会議で核兵器は非人道的なものだとしていかなる状況でも使用すべきではないとする共同声明に、日本政府が署名しなかったことを批判することにしています。
そのうえで誰一人として二度と被爆させないという被爆国の原点に立ち返って核廃絶に積極的に取り組むよう求めることにしています。
被爆地・長崎は原爆の犠牲者を追悼し、核兵器廃絶を求める祈りに包まれます。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中