8・15を考える 「積み重ねた歴史の重さ」

http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_top_pickupより、
朝日新聞 社説 2013年 8月 15 日(木)付
戦後68年と近隣外交―内向き思考を抜け出そう

 人気バンド、サザンオールスターズの新曲は「ピースとハイライト」。暑い夏の人々の心をつかんだ歌はこう始まる。
 ――何気(なにげ)なく観(み)たニュースでお隣の人が怒ってた/今までどんなに対話(はな)してもそれぞれの主張は変わらない/教科書は現代史をやる前に時間切れ/そこが一番知りたいのに何でそうなっちゃうの?――
 今の私たちに最も近いはずなのに見えにくい。そんな現代史を考えるために、1945年8月15日の「お隣」で何が起きていたかを振り返ろう。

■無関心の原点
 その日までの日本は、アジアで広大な領域とさまざまな民族を支配する帝国だった。
 掲げた看板は「大東亜共栄圏」。日本が欧米からアジアを解放すると唱え、太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼んだ。
 ところが敗戦とともに、日本は、その東亜圏との関係を断ち切ってしまった。
 作家の故・堀田善衛はその日を上海で迎えた。ラジオで聞いた終戦の詔勅に「怒りとも悲しみともなんともつかぬものに身がふるえた」と記している。
 彼の周りには、日本と親しい中国の文化人が多くいた。ところが詔勅は、もっぱら日本本土向けで、アジアに対しては「諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス」と片づけていた。
 堀田はそんな宣言を「薄情」「エゴイズム」と感じた。(ちくま学芸文庫「上海にて」)
 日本の敗戦の過程に詳しい国文学研究資料館助教の加藤聖文さんは「当時の政府は国体(天皇制)護持という内向きの議論ばかりしていた。詔勅はその素(す)の気持ちが表れた」とみる。
 その結果、当時は日本人だったはずの朝鮮人や台湾人の保護責任もあっさり放棄した。
 アジアを率いる指導者面しておいて突然、知らん顔をする。それが68年前の実相だった。

■国際環境は変わる
 戦前戦中の日本の責任を問う声がアジアから湧き起こるまでには時間がかかった。それは、戦後の秩序の影響が大きい。
 米国とソ連が世界を二分した冷戦の時代。日本と台湾、韓国は米国陣営に組み入れられた。さらに日本は高度成長にも入った。資金と技術で隣国を助ける優位を保つことができた。
 70年代までに終えた近隣との国交正常化は、冷戦構造の産物でもある。日本への賠償請求権は消えたとされたが、当時の近隣諸国では外交に民意が反映される状況ではなかった。
 やがて冷戦は終わる。グローバル経済の時代、韓国は先進国へ、中国は大国へと成長した。日本と国力の差がなくなるにつれ、歴史問題に由来する大衆感情が噴き出している。
 日本はもはや軍国主義は遠い遺物と思っても、隣の民衆にとっては戦争を問う時が今やってきた。そこには歴史観の時差ともいえる認識のズレがある。
 日本の政権も無策だったわけではない。93年に宮沢喜一政権は従軍慰安婦をめぐる「河野談話」を出し、95年に村山富市首相は「植民地支配と侵略」の談話でアジアに謝罪した。それを歴代内閣は引き継いできた。
 しかし安倍首相は当初、継承を明言しなかった。加えて「侵略の定義は定まっていない」とも発言し、波紋を呼んだ。
 中韓首脳にとって、歴史は、貧富の格差など国内問題から国民の目をそらす手段にもなる。だとしても、そんな思惑に対抗するかのように日本もナショナリズムの大衆迎合に走ってしまえば悪循環は止まらない。
 安倍政権の歴史認識については、同盟相手の米政府も懸念している。侵略の史実を否定すれば、日本の歴史認識に対する国際世論の風当たりは強まる。

■他者を知ることから
 他の国々との関係を忘れた内向きな思考に拘泥していると、外交の幅を狭め、自縄自縛の隘路(あいろ)に迷い込む。それは、戦争の失敗から日本が学んだはずの教訓だったが、今もその思考の癖から抜け出せていないのではないだろうか。
 多くの日本人にとって、戦争の光景とは、日本各地の惨状だろう。この夏に公開されている映画も、日本を舞台にした「風立ちぬ」「終戦のエンペラー」「少年H」。どれも平和の尊さを人間味豊かに描いている。
 私たち国民が実体験した戦争を語り継ぐのは、当然の責務である。ただ、そこで立ち止まらず、想像をアジア、世界へと広げたい。あの戦争の被害に国境はなかったのだから。
 昨年夏の朝日新聞の世論調査によると、「日中戦争は日本による侵略戦争だったと思いますか」との問いに日本では「そう思う」との答えが52%、「そう思わない」が31%。中国では99%が「そう思う」と答えた。
 この認識の溝は、あまりに深い。だが、そこが出発点だ。アジア抜きに日本の未来は語れない今の時代こそ、じっくり考えよう。「お隣」は今なおなぜ、怒り続けているのか、と。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130815/plc13081503100005-n1.htmより、
産経新聞【主張】終戦の日 憲法改正で「靖国」決着を 参拝反対論は根拠を失った
2013.8.15 03:09 (1/4ページ)

 靖国の杜(もり)にはきょう、大勢の遺族らがお参りすることだろう。
 境内の外では、内閣総理大臣、閣僚らによる靖国神社参拝は、外交上、歴史認識から見て是か非か、憲法に違反するか否か、をめぐる議論が今も喧(かまびす)しい。
 国に命を捧(ささ)げた人々の霊は静かに追悼したい。後世の指導者がぬかずくことを憲法違反とする議論は、国民感情と乖離(かいり)している。戦後68年も経て、なお続く論争の決着を急がなければならない。
 産経新聞が今春発表した「国民の憲法」要綱がその解決への道筋になることを期待したい。

 ≪本紙の「要綱」で明確に≫
 違憲論はそもそも、国は「いかなる宗教的活動もしてはならない」という日本国憲法第20条3項を根拠としている。条文を厳格に解釈し、参拝はそれに抵触するとみる原理主義的な考え方だ。
 しかし「いかなる宗教的活動」とは何をさすのか。どんな行為が許容され、または違反になるのか。この曖昧さこそが論争の種になってきた。
 産経新聞の「国民の憲法」要綱第26条3項は、「国および地方自治体は、特定宗教の布教、宣伝のための宗教的活動および財政的支援を行ってはならない」と規定し、曖昧さを排した。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130815/plc13081503100005-n2.htmより、
2013.8.15 03:09 (2/4ページ)
 これに照らせば、「布教」などの意図がないことが明らかな首相参拝は合憲、儀礼的な玉串料の公金からの支出も可能になる。
 憲法改正が実現し、この規定が生命を得るなら、長年の議論は一夜にして解決をみるだろう。
 憲法解釈は法廷でも争われてきた。平成13年など小泉純一郎首相(当時)の一連の参拝だけをみても、大阪高裁、福岡地裁は、それぞれ賠償請求を棄却しながら、傍論では「違憲」とした。
 しかし、最高裁で参拝自体への憲法判断が示されたことはない重い事実を指摘しておきたい。
 憲法論争以外にも、総理大臣の靖国参拝に反対の人たちは、さまざまなことに主張のよりどころを見いだそうとする。政治的思惑で異議を唱える勢力も存在する。
 反対論の論拠の一つに、いわゆる「A級戦犯」14人の合祀(ごうし)がある。昭和天皇がそれを機に親拝を中止されたのだから、総理大臣も参拝を控えるべしとの主張だ。
 「昭和天皇が合祀に不快感を示されていた」とする富田朝彦元宮内庁長官の日記など「富田メモ」が根拠の一つになっている。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130815/plc13081503100005-n3.htmより、
2013.8.15 03:09 (3/4ページ)
 しかし、昭和天皇がA級戦犯の何人かを批判されていたとの記述があったとしても、いわば断片情報のメモからだけで、合祀そのものを「不快」に感じておられたと断定するには疑問が残る。
 むしろ、昭和50年のきょう、三木武夫首相(当時)が参拝した後、国会でご親拝についての質問が出たことから、宮内庁が政治問題化するのを恐れたのではないかという論考が説得力を持つ。
 合祀がご親拝とりやめの原因なら、その後も春秋例大祭に勅使が派遣され、現在に至っていることや、皇族方が参拝されていた事実を、どう説明するのか。

 ≪我国にとりては功労者≫
 昭和天皇の側近だった木戸幸一元内大臣の「木戸日記」も、大きな示唆を与えてくれる。
 昭和20年12月10日の項、昭和天皇が、A級戦犯に指定され、収監を控えた氏について、「米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり」といわれたとの記述がある。昭和天皇のお気持ちの一端がうかがえる。
 そもそも、昭和天皇のご胸中を忖度(そんたく)し、総理大臣らの参拝の是非を論じること自体、天皇の政治利用であり許されまい。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130815/plc13081503100005-n4.htmより、
2013.8.15 03:09 (4/4ページ)
 産経新聞とは立場が異なる朝日新聞の調査を紹介しよう。
 参院選直後の7月23日付によると、同紙と東大が共同で非改選を含む全参院議員に聞いたところ、「首相の靖国参拝」に賛成が48%、反対は33%だった。憲法改正の是非では「賛成」「どちらかといえば賛成」が計75%と改正の発議に必要な3分の2を超えた。
 直近の選挙で国民の信託を受けた新議員を含む全参院議員の回答だ。憲法改正、公式参拝の道は開けた、とみるべきだろう。
 残るは近隣諸国の干渉だが、その不当性について、今さらあらためて論じる必要はあるまい。
 安倍晋三首相がきょう、予想を裏切って大鳥居の下に現れることを望みたい。さもなければ秋の例大祭は、ぜひ参拝してほしい。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013081502000162.htmlより、
東京新聞【社説】哀悼の誠つくされたか 68回目の終戦記念日
2013年8月15日

 戦没者を追悼し平和と不戦の誓いを新たにする八月十五日。歴史、靖国での隣国との軋轢(あつれき)がわたしたちの哀悼の誠に翳(かげ)りを生んでしまいます。
 <人ほろび 花ほろびゆく 空襲の阿鼻(あび)の地獄を 生き残りたり><戦ひて死にたる友ら。ひしびしと 生きながらへし吾(あ)を責めやまず>
 最新歌集「美しく愛(かな)しき日本」や永年の功績に今年の日本歌人クラブ大賞を贈られた岡野弘彦さん(89)は現代を代表する歌人。

◆より深く力あることばで
 古代から歌は祈りの声の信念で死者を悼み、人々の忍従を詠(うた)ってきた。戦中派歌人は東日本大震災に「身の情念をふりしぼって歌わなければならぬ運命にまた遭遇した。より深く力あることばによって」とあとがきに書きました。
 その岡野さんも靖国問題を憂慮する一人、「死者たちは安らいだろうか。日本人は戦死者の鎮魂を真剣に考えてきたのだろうか」と胸を痛めます。A級戦犯合祀(ごうし)が靖国参拝を歌にこめられた「祈りの声」や「祈りの心」とはほど遠い政治に変えてしまったからです。
 靖国神社へのA級戦犯合祀は一九七八年十月でした。この合祀に昭和天皇が「後世に禍根を残す」と言われたことは皇室関係者には知られていた話でした。宮内庁御用掛として二十四年間、歌の進講を務めてきた岡野さんも伝え聞いていました。
 天皇の靖国親拝も七五年十一月の昭和天皇の参拝が最後でした。天皇の不参拝の理由が世間にも明らかになるのは二〇〇六年七月、日本経済新聞の「富田メモ」のスクープによってでした。富田朝彦元宮内庁長官の八八年四月二十八日付の手控えには「親の心子知らずと思っている」「あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などの昭和天皇の言葉が記録されていたのでした。

◆昭和天皇が予言した禍根
 国家護持から民間の一宗教法人となった戦後の靖国。A級戦犯合祀には慎重論もあったようですが、合祀を決断したのは第六代宮司の松平永芳氏でした。遺族の了解や天皇の内意を省く強引な決定だったようです。
 A級戦犯合祀への昭和天皇の不快感やその後の不参拝が私憤であるはずがありません。戦死者と死を命じた戦争指導者を同じ神として祀(まつ)ることへの国民の反発や違和感へ配慮したかもしれませんが、それにもまして合祀が問う戦後日本のあり方の是非への根源の認識があったと思われるのです。
 戦後日本の主権回復は五二年四月発効したサンフランシスコ講和条約によってでした。講和条約はA級戦犯を処分した東京裁判受け入れが前提であり、欧米中心の世界秩序に組み入れられることでもありました。
 歴代首相のアジア諸国への謝罪や過去の植民地支配を反省謝罪した戦後五十年の村山談話もその延長線上です。A級戦犯合祀は東京裁判を、戦後の国際協調体制を、アジア侵略の事実を否定することになりかねないのです。
 今年四月の参院予算委員会。安倍晋三首相は麻生太郎副総理ら三閣僚の靖国参拝に「国のために命を落とした尊い英霊に対して尊崇の念を表するのは当たり前。わが閣僚においてはどんな脅かしにも屈しない。その自由は確保している」と強い姿勢を示しました。
 しかし、そこにA級戦犯合祀の是非論が絡むと、発言は宗教の自由や心の問題よりイデオロギー表明、政治になってしまいます。事実、中国と韓国は激しく反発、欧米メディアは「歴史修正主義」「右翼の国粋主義者」と受け止めてしまったのでした。日米同盟深化を求める安倍首相に米政府は政権を不安視して、中、韓との関係改善を望んでいるともいわれます。
 岡野さんの歌集に「誰びとか、民を救はむ」と題する歌がいくつか。<役人(つかさびと)・政治家(まつりごとびと) 真(まこと)なき世に生きて 民は何たのむべき><親ゆづり 祖父(おほぢ)ゆづりの 政治家(まつりごとびと) 世に傲(おご)り 国をほろぼす 民を亡ぼす>
 政界には戦争を知らない二世、三世議員が多くを占めるようになりました。憲法改正の主張も声高です。懐疑、逡巡(しゅんじゅん)、屈託を欠いているだけに不安を感じさせます。国の将来を任せて大丈夫か。隣国との関係には心を砕いてもらいたいものです。

◆政治から離れて祈りたい
 靖国神社正殿横の小さな社「鎮霊社」に賊軍の会津白虎(びゃっこ)隊や西郷隆盛が祀られているのは意外と知られていません。戦後の措置。
 沖縄・摩文仁の丘の慰霊碑には日本人とともに米兵の名も刻まれています。思いを残した不遇の死者に敵も味方もないのかもしれません。六十八回目の終戦記念日、政治から離れて心から祈りをささげたいものです。

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO58516950V10C13A8EA1000/より、
日経新聞 社説 戦争と平和を考え続ける覚悟を持とう
2013/8/15付

 暑い夏の日、68回目の終戦の日が巡ってきた。すべての犠牲者にあらためて哀悼の意を表し、平和への誓いを新たにしたい。
 68年の月日は、どう戦争を語り、受け継いでいくのかという課題を、より大きく、重いものにした。戦後生まれの人は今や人口の8割近くを占め、2012年、初めて1億人を突破した。戦争が遠くなったからこそ、歴史に学ぶ姿勢を一層、大事にしなければならない。
 日本は世界の情勢を読み誤り、戦争の道を突き進んでいった。犠牲者は日本人だけで310万人に及び、アジアなど各地に深い傷痕を残した。
 終戦の年には東京大空襲、沖縄戦、広島、長崎への原爆投下と、民間人に多くの犠牲が出た。ポツダム宣言受諾の決断に至るまでの間、正確な情勢の分析・共有はなされていたのか、いたずらに決断が先送りされることはなかったか。現代にも通じる大きな課題が、そこにはある。
 戦争を体験した当事者に直接、話を聞くことは、年々、難しくなっていく。証言の記録、継承活動を進めることが重要だ。長崎では8月、旧城山国民学校校舎など4件の原爆遺跡が国の文化財に登録された。物言わぬ「物」も、戦争を伝える大事な存在となる。
 なにより一人ひとりが、歴史について考え、冷静に学んでいく姿勢を忘れてはならない。ともすれば目を背けたくもなるかもしれない。若い世代に限らず、親世代にも課せられた宿題だ。
 この時期、各地の展示などで考えるきっかけを得る人は多いだろう。きっかけは身近にも多くある。祖父母らと話をする、地域の歴史を学ぶ。本や映画で戦争に触れる機会も増える。
 大事なのは、内容について誰かと語り合ったり、そこからさらに視野を広げたりすることだ。歴史は多角的な側面を持つ。すぐに全容が分かるほど単純なものではないし、何を感じるかは受け手の知識にも左右される。
 様々な見方があることを知り、知識を積み重ねていく。それは、単純な熱狂に流されない判断力をつむぐことでもある。知ったかぶりや無関心は、危険だ。
 戦中戦後の生活資料を展示する東京・九段の昭和館には、多くの親子連れが訪れていた。熱心にメモをとる姿が目立つ。そこから読み取れるのはごく一部の側面だろう。だがこれも、一歩だ。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130815k0000m070106000c.htmlより、
社説:8・15を考える 積み重ねた歴史の重さ
毎日新聞 2013年08月15日 02時30分

 第一次大戦を描くバーバラ・W・タックマンの「八月の砲声」に、次のような一節がある。
 「人間はなんの希望ももたずに、これほど大規模で苦痛に満ちた戦争に耐えられるものではない。
 希望−それは戦争は極悪非道であるがゆえにふたたび起こるはずはないとする期待、また、なんとか結着を見るまで戦い抜けば、より秩序ある世の中の基礎が築かれるという希望である」(山室まりや訳、筑摩書房・ちくま学芸文庫)
 「希望」は「幻滅」に変わり、第二次大戦が起きる。平和を壊すのはたやすい。保つには過去の歴史に学び、政治リーダーが大局的な判断力を持つことが必要だ。

 ◇希望を幻滅に変えるな
 日中戦争と太平洋戦争の死者は日本人で310万、アジアで2000万以上とされる。戦争は政治の延長だとか、戦いは人間の本性だという声があるが、戦争は非人間的な残虐行為にほかならない。
 あのような愚行を再び犯さないこと。それが、平和への希望を託して死んでいった死者たちへの、私たちの世代の義務だろう。
 戦後、私たちは平和の果実を食べてきた。だがいま、その基盤が崩れる不安が漂っている。
 直接の原因は、中国、韓国との絶え間ない摩擦である。
 中韓両国の政府や政治家が歴史や領土をめぐる問題で反日ナショナリズムを過度にあおれば、日本人の国民感情を刺激する。両国には、その抑制を強く求めたい。
 一方、私たちの側にも歴史認識のゆらぎが生じている。
 象徴的なのが、中国への侵略についての議論であろう。
 大平正芳首相のブレーンだった故猪木正道元防衛大学校長は「軍国日本は、一九三一年から中国への露骨な侵略を開始した」「中国への侵略行為が国際社会のきびしい非難にさらされた背景には、戦争、平和、侵略などに関する人類の価値観がはっきり転換したという重大な変化があった」(「軍国日本の興亡」)と書いた。こうした認識が、穏健保守の標準的な態度だった。
 第1次安倍政権下で始まり、3年前にまとまった日中歴史共同研究の報告書も、「日本軍の侵略」という言葉を使っている。そして日本は既に、戦後50年の村山談話と戦後60年の小泉談話で、2度にわたって「侵略と植民地支配」への反省と謝罪を世界に表明している。
 それが第2次安倍政権になって、侵略を明確に認めようとしないかのような発言が政治家から出てきた。さらには村山談話の見直し論が語られたりする。A級戦犯をまつる靖国神社への首相参拝の是非も、再び国論を二分させている。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130815k0000m070106000c2.htmlより、
 背景には、戦争責任や戦後処理をあいまいにしたまま、新しい世代が政治の主流を占めるようになったことも影響しているだろう。先の参院選の当選者の平均年齢は52.4歳。70代以上はわずか7人(5.8%)である。58歳の安倍晋三首相をはじめ、戦争を知る政治家は、いまやほとんどいなくなった。
 だが、戦後70年近くたっても過去の総括が定まらず、歴史の評価が政権によって左右されるような国は、健全だとはいえない。

 ◇村山談話は外交資産だ
 村山談話は、中韓だけでなく日本が占領したアジア全体を対象にしたものだ。独善的なナショナリズムを排し、国際協調を促進するという未来志向の誓いも盛り込んでいる。これは、世界からの信頼をつなぎとめる外交資産である。見直せば、東南アジアなど日本に好意的な国々の支持まで失いかねない。
 安倍首相は2年後の戦後70年に新たな談話を出すというが、侵略と植民地支配という言葉を消すようなら無用な誤解を招く。3度目の談話を考えるよりも、過去の談話を変えないことが大切だろう。
 靖国神社の首相参拝も、戦争の総括にかかわる問題だ。
 敗戦国の日本は、戦争責任者の責任追及と処罰を戦勝国による東京裁判にゆだねた。その象徴がA級戦犯だ。そして東京裁判を受諾した1952年発効のサンフランシスコ講和条約は、尖閣と竹島の領有権主張の根拠にもなっている。
 私たちは靖国神社や領土の問題を考える時、内向きの論理ではなく、そうした世界史的、客観的な視点で判断する必要がある。
 最近、韓国で日韓合意に反する賠償判決が相次いだ。中国は尖閣付近の領海侵犯を繰り返す。歴史と外交をからめ、過去の積み重ねを一方的に変えようとする動きだ。だからこそ日本は、歴史の事実と解釈をゆるがせにしない姿勢を維持し、相手に歴史カードを使わせない賢明さを持たなければならない。
 安倍首相が目指す集団的自衛権の解釈変更の問題なども、日本が過去を謙虚に受けとめる姿勢を明確に示してこそ、内外の疑念を招かず論議できるのではないか。
 あの戦争が終わり、68年目の暑い夏がめぐってきた。私たちは敗戦と引き換えに平和と繁栄を手にし、戦後の国際秩序を受け入れた。8・15はその出発点だった。

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