防災の日に考える 「その時」を想像しよう

http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_top_pickupより、
朝日新聞 社説 2013年 9月 1 日(日)付
首都直下地震への備え―火の海から身を守る

 首都を襲う直下型の地震は、いつ起きてもおかしくない。
 マグニチュード7級が起きる確率は10年以内に30%、30年以内なら70%に跳ね上がる。
 大地震では多くの火災が同時に発生し、火の手に逃げ道を阻まれてしまう。
 大きな被害を招いた1923年の関東大震災では21万棟が焼失し、死者・行方不明者10万5千人のうち、火災による犠牲者は9万1千人にのぼった。
 いま巨大都市が大火にのまれたら、どうなるか。
 政府の中央防災会議は、最悪ならば焼失家屋数は大震災を上回る65万棟とみるが、火災による死者は6200人と想定している。
 被害は少ないにこしたことはないが、死者数の見積もりはあまりにも少なくないか。なぜ、そんな被害想定になったのか。
 それは、想定のもとになった大火の事例の大半が、地震時ではない平常時の火災データを使っていたことによる。

■被害想定の見直しを
 地震時は建物が倒れ、道路を塞いで消防車も通れない。消火栓が使えなくなる恐れもある。それが被害を大きくする。
 だからこそ、被害想定は平常時の火災ではなく、地震火災をもとにつくるべきである。
 地震時の焼失家屋に対する焼死者の割合をみてみると、その比率が小さいのは阪神大震災だ。ほぼ無風だったからで、それでも7千棟が燃えて500人が亡くなった。最も比率が高いのは27年の北丹後地震の京都府峰山町(当時)で、1千棟が燃えて800人が焼死した。
 そうした被害実態から見ると、1千棟が燃えると100人が犠牲になると考えるべきだ。
 首都直下の被害想定によると、65万棟が焼失すれば焼死者は6万人を超えることになる。
 政府の想定が過小評価ともいえる内容になったのは、40件以上の大火の事例をもとにしながら、地震火災の事例は関東大震災だけだったからだ。
 平常時の火災でみれば、例えば76年に山形県酒田市で起きた大火では、1700軒余が燃えて死者は1人だ。映画館から出た火が強風にあおられて延焼したが、地震時のような道路閉塞(へいそく)もなく、避難できた。
 地震火災の事例をきちんと使えば、被害想定は違った結果になるはずだ。地震火災のリスクに正しく向き合って、被害想定を見直さなくてはいけない。
 東京の大きな弱点は山手線の外側にドーナツ状に木造住宅の密集地が広がっていることだ。
 木密(もくみつ)と呼ばれるその地域では地震時に火災が発生して消せなくなると、木造の家が連なる限り燃え広がってしまう。
 小さな火のうちに住民で消し止める態勢を整えておきたい。

■地域防災力を高めよ
 参考になるのは、火災危険度が最高レベルに指定されている北区上十条5丁目の取り組みだ。町会が災害ボランティアを結成し、毎月、消火栓とホースをつなぐスタンドパイプを使った訓練をしている。
 一方で避難のタイミングも大事である。同地区の住民アンケートでは、地震時に火災が起きてもぎりぎりまで避難しないか、誰かの指示待ちの傾向が強いことが、浮かび上がった。
 これでは逃げ遅れて火に巻き込まれる恐れがある。調査にあたった関沢愛・東京理科大教授は、初期消火は大事だが、てこずった段階で見切りをつけて逃げる決断が大事だと強調する。
 高層マンションやオフィスビルで火災が起きる恐れもある。スプリンクラーや防火扉の点検を怠らず、いざという時にはどう避難するか、ふだんから訓練を重ねておく必要がある。
 避難先についても、検討すべきことが多い。
 同時多発火災で膨れあがった炎に取り囲まれると、100メートル離れていても放射熱で危険だ。そこで関沢教授は「地域の小中学校に避難するのではなく、広域避難場所に直接向かうことが重要だ」と指摘する。
 都は5ヘクタール以上の広さがある公園や大学構内など197カ所を広域避難場所に指定している。周辺に燃えやすい建物はないか、5ヘクタールの広さで本当に安心か。いま一度、検討が必要だ。

■避難場で物資備蓄を
 無事に避難できたとしても、それからが大変だ。推定では、広域避難場所に最大で964万人が身を寄せる。トイレにも飲み水にも困るだろう。救援もすぐには期待できない。
 せっかく避難できても、健康を損なっては元も子もない。助かった命をつなぐためにも、広域避難場所のインフラ整備を考えたい。そこを使う地域の住民や企業も費用を負担して、食料や医薬品などの備蓄態勢をつくってはどうだろうか。
 日本列島は地震活動の活発な時期にはいっている。関東大震災から90年たったきょうは「防災の日」。地震火災から助かるためにはどうすればいいか。家族で考える一日にしたい。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130901/dst13090103170004-n1.htmより、
産経新聞【主張】防災の日 命を守る判断力を養おう
2013.9.1 03:17

 きょうは「防災の日」である。10万5千人もの死者を出した大正12年の関東大震災から、今年は90年にあたる。
 過去の大災害の教訓を風化させず、国民一人一人が地震・津波や風水害への備えと心構えを新たにする日としたい。
 関東大震災では、マグニチュード(M)7・9の大地震と台風による強風が重なったことが、火災を中心とした被害拡大の原因になった。
 防災の専門家は「今の日本も、複数の自然災害が重なって被害が大きくなる『複合災害』の危険度が高まっている」と指摘する。
 日本列島は地震の活動期に入ったとされ、地球温暖化や都市部のヒートアイランド現象の影響で局地的豪雨や猛暑、干魃(かんばつ)などの極端な気象が頻発する傾向が顕著になっているからだ。
 一般の家庭では、どんな対策ができるのか。たとえば地震を想定した避難訓練でも、「台風のときも避難できるか」「土砂崩れや冠水の危険はないか」など風水害も視野に入れて、これまでの備えを見直すことが大切だ。
 あらゆる複合災害に完全に備えるのは難しくても、こうしたイメージトレーニングが「想定外」をなくすことにつながる。
 災害情報を軽視しないこと、また災害時に情報に頼り過ぎないことも、家族で確認したい。
 東日本大震災で大津波警報が住民避難に十分に結びつかなかった反省から、気象庁は8月30日から「特別警報」の運用を始めた。自然災害による重大な被害の恐れが高まったとき、危険な状況をより強調して伝えるためだ。
 しかし、災害心理学では、非日常的な状況に直面すると、事態を過小評価して日常的にふるまおうとする「正常化の偏見」という心理が働くという。この心理に打ち勝つためには、情報軽視を強く戒め、危険を正しく認識する訓練を積まなければならない。
 東日本大震災では、地震発生から大津波が到達するまでの数十分から1時間程度の間、現代の情報通信網は十分に機能しなかった。そもそも、混乱した状況下では、外部からの正確な情報は得にくくなると考えるべきだろう。
 一人一人の命を守るのは、自らの判断力と行動力だ。それを養う防災教育の重要性を、児童・生徒の犠牲者を出さなかった「釜石の奇跡」が物語っている。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013090102000126.htmlより、
東京新聞【社説】防災の日に考える 「その時」を想像しよう
2013年9月1日

 私たちは「教訓」と、よく口にします。東日本大震災はむろん、史実に刻み込まれた教えの数々。それを生かすには恐ろしくとも想像せねばなりません。
 日本三景の一つとして名高い宮城県の松島。俳聖・松尾芭蕉がその美しさに感動のあまり、一句も詠めなかったと伝えられる景勝地も、かつて訪ねた時は運悪く台風の近づく空模様。湾に映る大小の島々は暗く墨絵のようでした。
 この全国有数の観光の町も、東日本大震災の被災地です。ただ、近隣市町と比べて犠牲者がとても少なかったのです。

◆助かった松島の人々
 人口約一万五千人の松島町。町民の死者は、町外に出ていた人を含めて二十一人でした。町内で津波にさらわれて亡くなった人はいません。外海に面し、民家が海岸近くに密集していた隣の東松島市で約千百五十人が犠牲になったのとは対照的です。
 3・11当日、松島の観光客は千二百人ほどでした。津波が迫った時、遊覧船や土産物店の人は、こう連呼し、避難を促しました。
 「とにかく高台へ」
 「海から遠くへ」
 簡潔な指示と誘導がよかったのでしょう。観光客らは町民と一緒になって、近くのホテル上層階へ駆け込んだり、海から三百メートル以上離れた山寄りの国宝・瑞巌寺(高さ五メートル)へ逃げ、津波や揺れによるけが人はなかったといいます。
 松島湾には大小約二百六十の島があり、津波の一部が島々に当たってエネルギーが分散され、弱まるらしい。津波の第一波は三・二メートル、第二波は三・八メートルという記録が残っています。
 「また島が守ってくれた」と、口にした町民もいるそうです。
 松島は地形の利があったのかもしれない。しかし、避難の大切さを学び取ることもできます。

◆浜名湖が海と通じる
 防災については、コンピューターではじき出された科学データもあるけれど、実際に起きた時には、反射的な判断はもちろん、日ごろの訓練が生きるはずです。
 広範囲の備えが求められているのが南海トラフ巨大地震です。
 東日本大震災までは一七〇七年の宝永地震(M8・6~8・7)が最大規模といわれてきました。
 でも地震国日本の歴史をひもとけば、巨大な揺れや津波被害の事例は山のようにあります。
 例えば一四九八年の明応地震。史料に乏しいのですが、M8・2~8・4と推定され、東海・東南海・南海の三連動地震の一つと見る向きもあります。津波が房総半島から紀伊半島にかけての沿岸に大被害を与えました。
 元は淡水だった浜名湖の岸が切れて海と通じ、今切(いまぎれ)という場所の名前が残っています。鎌倉の大仏の殿舎が壊され、流されたのも、この時期に相前後して起きた地震の津波によるものとされています。
 三重県の安濃津(あのつ)(津市)は壊滅状態となり、人びとは集団で移住したといいます。現在の津市の中心地は、地震前より小高い地に移った新しい町なのです。
 関ケ原の合戦の前、一五八六年の天正地震(推定M7・8)。
 清洲城(愛知県)を治めた徳川家康が、水害や液状化などの地盤の不安から、熱田神宮を南端とする台地(今の名古屋)に清洲の城下町を丸ごと移す“清洲越し”を決断したのも大規模な高台移転といえたでしょう。
 みなさん、いまの浜名湖や津などが、その昔、どう襲われたのかを想像してみてください。今住んでいるところは、さてどうだったでしょう。
 起きてから九十年の関東大震災(大正関東地震、一九二三年)。
 近年、そのプレート境界型地震の発生は二百~四百年周期だということもわかってきました。となれば、最速で次の“関東地震”は来世紀になって、ということになりますが、油断は禁物です。
 当時十万人以上の死者を出した首都が、再び壊滅的被害に遭ってからでは遅いのです。あの阪神・淡路大震災(一九九五年)は、活断層のずれによる直下型の地震でした。

◆どんなに怖かろうと
 史実などが教えてくれるのは、津波なら「高台へ避難を」など具体的な事柄があります。
 でも、もっと重要なのは、それらの具体的教訓と自分たちとを比較し、想像力をめぐらせることではないでしょうか。
 いま、自分がどんな場所で、また、いざという時、社会的にどんな役割を果たせるかを知ることで初めて、備えの仕方も見えてきます。とても怖く、悲しいことかもしれないが、一度想像してみましょう。
 それこそが、教訓を生かす道に思えてなりません。

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO59173830R00C13A9PE8000/より、
日経新聞 社説 関東大震災を語り継ぎ防災意識新たに
2013/9/1付

 ちょうど90年前のきょう、マグニチュード(M)7.9の大地震が首都圏を襲った。死者10万人を出した関東大震災である。惨禍を忘れぬよう、この日が防災の日に定められてから半世紀余りたつ。東日本大震災の教訓も踏まえ、防災の心構えを新たにしたい。
 関東大震災の死者の大半は火災によるものだった。東京・本所の旧陸軍被服廠(しょう)跡では避難者が火炎にのまれ、4万人近くが亡くなった。東京23区の中心部にあたる旧東京市全体でも、家屋の6割強が焼失した。
 火災への都市のもろさはいまなお克服できていない。都が公表した首都直下地震の想定によれば、東京湾北部でM7級地震が起きると死者は最大9600人に及び、うち4割が火災による。建物も20万棟が焼失する恐れがある。
 道幅が狭く、消防車が入れない木造住宅密集地の解消は急務だ。こうした地域は山手線の外側にドーナツ状に広がり、23区の総面積の4分の1を占める。税制面の優遇などで住宅の建て替えを促したり、移転先選びを行政がもっと後押ししたりする必要がある。
 高層ビルが林立し、地下街が発達した現代の都市では新たな被害も起こりうる。ビルの窓ガラスの飛散対策は万全か、堤防が決壊して地下街が浸水する恐れはないか。「想定外」の被害が生じないよう、国や自治体は課題を入念に洗い出し、対策を強めるべきだ。
 関東大震災では根拠のない流言が犠牲者を拡大したことも、忘れてはならない。「朝鮮人が井戸に毒物を入れた」といった悪質なデマが広がり、軍隊や自警団によって多くの朝鮮人らが殺害された。
 現代でも流言が二次災害を増幅しかねない。一昨年の大震災では千葉県の製油所火災をめぐって、「有害物質が空から降る」といったデマがインターネット上に流布し、住民の不安をあおった。
 気象庁などが正確な情報を迅速に発信することが重要なのは言うまでもない。ネット利用の広がりに対応し、市民も情報を吟味して行動する姿勢が大事だろう。
 戦災をくぐり抜け、関東大震災を伝える碑や建物などは都内に260カ所以上残る。それらを訪ね歩いた地震研究者の武村雅之氏は、「苦難を必死で乗り越えようとした人々の姿をたどることが防災の第一歩になる」と訴える。災害の歴史を語り継ぎ、今後の対策に役立てていく日にしたい。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130901k0000m070107000c.htmlより、
社説:防災の日 日ごろの備えは万全か
毎日新聞 2013年(最終更新 09月01日 02時30分)

 きょうは防災の日だ。90年前のこの日、関東大震災が起きた。最大震度7の揺れに襲われ、死者は10万5000人に上った。
 日本列島は、それから幾度も大地震に見舞われた。被害をゼロにすることは不可能にせよ、「減災」によって救える命は多い。それが東日本大震災などさまざまな災害の経験から得た教訓ではないだろうか。
 1日、南海トラフ巨大地震を想定した政府の防災訓練が行われる。5日までの防災週間中に全都道府県で訓練が実施される予定だ。「想定外」をなくし、日ごろの備えが万全か、行政も、地域も、個人も改めてチェックしたい。地道な対策を重ねてこそ、災害に強い社会が実現する。
 切迫性が高いのは、南海トラフ巨大地震と、首都直下地震だ。
 政府の地震調査委員会は5月、南海トラフのどこかでマグニチュード8〜9級の地震が「30年以内に60〜70%」の確率で発生すると予測した。30メートル級の津波が広域を襲う。
 津波に強いまちづくりは各地で始まっているが、適切な避難も含めた地域ごとのきめ細かい対応を急ぎたい。経済的なダメージも大きいだろう。いかに早く社会の立ち直りを図るのか。最大約1000万人と想定される避難者の保護の方策と併せ、検討を急ぐべきだ。
 首都直下地震も、国全体への影響は多大だ。季節や時間帯によってさまざまな被害想定が出ているが、首都機能を補う施設を東京から離れた場所に設置する必要性など、核心的な議論さえまだ進んでいない。
 大規模な火山噴火への備えにも目を向けねばならない。8月、鹿児島市の桜島で爆発的な噴火があった。東日本大震災後、日本列島が火山活動の活発期に入ったと専門家はみている。内閣府が設置した検討会は5月、火山対策について提言をまとめた。火砕流や降灰への対策、監視や観測体制の充実など多岐にわたる。しっかり受け止めねばならない。
 今夏、山口・島根、秋田・岩手などで局地的な豪雨を記録した。気象庁は8月30日、重大な災害が起こる可能性が著しく高い場合、「特別警報」を発し、ただちに命を守る行動を取るよう呼びかける新たな運用を始めた。津波や地震のほか、大雨も対象で、今夏の豪雨も該当する。
 情報の受け手、特に自治体は最大限の警告をしっかり受け止めて住民避難に役立ててほしい。ただし、「特別警報」の発令を待たずに、警報を先取りする対応が必要だ。一気に水かさが増すような大雨は、早い判断が人命を左右するからだ。それは住民一人一人にもいえることだ。あらゆる災害に共通するが、自ら行動し、身を守る姿勢が何より大切だ。

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