アーカイブ

日別アーカイブ: 2013年9月27日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/kenpouto/list/CK2013092402000125.htmlより、
東京新聞【憲法と、】第6部 福島の希望<1> 「権利」奪った原発
2013年9月24日
(写真)「普通の生活に戻りたい」と話す青田勝彦と恵子=大津市で

  原発は 田んぼも畑も海も
 人の住むところも
 ぜーんぶかっぱらったんだ

 四月二十四日、福島の方言である相馬弁の詩が、福井地裁で朗読された。関西電力大飯原発運転差し止め訴訟の口頭弁論。原告側は「原発事故は、憲法が保障する幸福追求権などの権利を奪う」と主張した。
 詩の作者は青田恵子(63)。夫の勝彦(71)とともに東京電力福島第一原発から三十キロ圏内の福島県南相馬市原町区から滋賀県の大津市に避難している。
 元高校教師の勝彦はかつて、福島第二原発設置許可取り消し訴訟の原告になり、敗訴した。恵子は、小学校の社会科見学で原発に行くことに「こうやって、子どものころから原発にならされていくんだな」と違和感を覚えていた。
 二〇一一年三月十四日、福島第一原発3号機の爆発音を聞く。花火の打ち上げのような腹に響く音だった。「こりゃだめだ」。宮城県に二カ月間避難し、湯飲みや茶わんなどの日用品を購入。後に、この費用を東電に賠償請求したが、「領収書が必要」と断られる。

 一万円なんと いらねえわ
 そのかわり“3・11”前の福島さ 戻してくいろ
 恵子の詩に怒りと悲しみがにじむ。
   ■  ■
 私たちの神隠しはきょうかもしれない
 うしろで子どもの声がした気がする
 ふりむいてもだれもいない
 なにかが背筋をぞくっと襲う

 同じ原町区に住み、勝彦と一緒に福島第二訴訟の原告となった詩人、若松丈太郎(78)が「神隠しされた街」という詩をつくったのはチェルノブイリ原発事故から八年後の一九九四年。民間の福島県民調査団に参加し、現地を訪れたときのことだ。十七年後、その懸念は現実となる。
   ■  ■
 国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス

 恵子や若松の自宅より、さらに原発に近い小高(おだか)町(現南相馬市小高区)で生まれた憲法学者の鈴木安蔵(一九〇四~八三)は終戦直後、憲法研究会の仲間とつくった「憲法草案要綱」の中に記した。要綱は連合国軍総司令部(GHQ)が日本国憲法の草案をつくる際、参考にし、詳細な検討が加えられたとされる。
 若松は「小高は昔から農民運動や自由民権運動が盛んな場所」と話し、現行憲法には小高の血が通っていると思っている。これを「米国の押しつけ」と言って変えようとすることにも、原発は「平和利用だから安全」としてきたことにも、共通する権力者側の「ごまかし」を感じる。
   ■  ■
 青田夫婦は、鈴木が切望した健康で文化的水準の生活を営む権利を求め続ける。大飯原発の運転差し止め裁判は関西各地で起こされ、勝彦は滋賀の原告団に加わった。原発再稼働を進めようとする政府や電力会社に、勝彦は「いささかの反省もない」と憤る。「今でも各地で原発反対のデモはある。この世論が救いだ」(敬称略)
     ◇
 福島第一原発事故で、行く末見えぬ暮らしの中、憲法に一筋の光を見いだす人々を訪ねた。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/kenpouto/list/CK2013092502000111.htmlより、
第6部 福島の希望<2> また国策で捨てられた
2013年9月25日
(写真)「国策で2度棄民となった」と話す橘柳子=福島県郡山市で

 終戦直後、台車の上に板を敷いただけのような列車が旧満州の真っ暗な大地を駆け抜けた。当時六歳だった橘柳子(りゅうこ)(72)は「落ちたら死ぬ」とおびえながら日本への逃避行を続けていた。帰国船では、死んだ人がゴザにくるまれ海に捨てられた。一九四五年八月八日に旧ソ連は日ソ中立条約を破棄し、満州に侵攻。在留邦人は大混乱に陥った。
 二〇一一年三月、同じような状況に直面した。東日本大震災翌日の十二日、東京電力福島第一原発で1号機が水素爆発。浪江町の自宅から車で国道に向かったが、大渋滞で動かない。ようやくたどり着いた町内の津島地区で十六日まで過ごした。
 当時、浪江町には国からの情報が途絶え、文部科学省のSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)が放射線が高濃度となることを予測していた津島地区に、人々が殺到した。
 福島県本宮市の仮設住宅で暮らしている橘は「私は国策により二度、棄民となった。一度は戦争、二度目は原発事故で」と怒りを込める。
   ■  ■
(写真)「故郷に帰りたい」と話す遠藤昌弘=相模原市で

 一九七三年、小高町(現南相馬市小高区)は東北電力が計画する浪江・小高原発の誘致を決めた(後に東北電力が計画を撤回)。故郷の町役場に勤め、当時土木課職員だった遠藤昌弘(88)は、原発造成工事に必要な道路の用地買収交渉を担当。毎晩のように地権者と交渉した。
 「放射能の恐ろしさは分かっていますが、原発と原爆は違います。原発は平和産業で、地元に雇用をつくります」と説得した。遠藤は原爆被爆者だった。
 四四年に徴兵され、原爆投下時は、体調を崩して爆心地から約二・五キロの広島市の病院に入院していた。その時に見た地獄絵図。「人が想像できる範疇(はんちゅう)を超えた悲惨な光景だった」。戦後も、思い出すと眠れなかった。髪の毛が抜け、鼻血や下血に苦しんだ。
 平和憲法が公布され「これで戦争はなくなる。まだ生きていける」とほっとした。
 かつて国の言葉を信じ、「戦争に勝つ」と思っていた。戦後、原発は「平和の灯」と宣伝する国の言葉を福島の人たちが信じた。その結果、故郷は放射能に奪われた。「原発が安全かどうかじゃなくて、しょうがなかったんですよ。原発が来れば町の固定資産税も上がり、経済も活性化する」。遠藤はそれ以上語らなかった。
 現在は、相模原市に避難している。「帰りたい」という思いは尽きず、俳句を詠んだ。
 目に見えぬものに逐(お)われて春寒し
   ■  ■
 満州から命からがら帰国した橘は教員となり、八六年には日本教職員組合(日教組)で支部初の女性書記長になった。「四十年前にできた憲法に男女平等が書かれているのに。結局、本物の平等を手に入れるには闘わなきゃいけなかった」
 原発事故で多くの人が故郷を奪われた今の福島も「基本的人権さえ満たされていない」と感じる。避難生活で一時、鬱(うつ)状態になっていたが「今こそ、憲法を本物にしなきゃいけない時期だ」と思い直した。
 原発事故からちょうど一年後の二〇一二年三月十一日、郡山市であった反原発集会でスピーチした。「原発は人の意思と行動で止められます」(敬称略)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/kenpouto/list/CK2013092602000139.htmlより、
第6部 福島の希望<3> 屈しない一人でも
2013年9月26日
(写真)「国民の意思で政治は変えられる」と話す大和田秀文=福島県喜多方市で

 東日本大震災翌日の二〇一一年三月十二日。テレビには、東京電力福島第一原発1号機の建屋の上部が吹き飛んだ、ありえない映像が流れていた。
 原発から八キロの自宅から、同じ福島県浪江町内の友人宅に避難していた大和田秀文(80)はぼうぜんとした。さらに遠くに逃げる中で悔しさがこみ上げた。「四十年にわたる原発反対は何だったのか」
 中学教師になったばかりの一九五六年、書店で「第三の火-原子力」という本を手にしたのが、反原発運動にのめり込むきっかけだった。「放射能は今の技術でおさえられるか分からない」と書かれていた。
 大和田は、明治期に憲法制定や国会の設置を訴える自由民権運動に身を投じた苅宿仲衛(かりやどなかえ)の親せき筋にあたる。苅宿は、たびたび飢饉(ききん)に見舞われた貧しい浪江で農民の手助けをしながら、一人一人が大切にされる社会を目指し続けた。
 戦後の高度成長からも取り残され、貧しさから抜け出せなかった寒村に、原発マネーが降り注ぐ。福島第一原発は建設段階から、出稼ぎ農家に地元で働く場を与え、自治体にも膨大な補助金をもたらしていた。福島第二原発や浪江・小高原発の計画が相次いで浮上し、大和田は反対の輪を広げようと集落をまわったが、仲間になってくれる人はほとんどいなかった。

(写真)原発から13キロの場所にある自宅前で無念の思いを語る志賀勝明=福島県南相馬市小高区で
 
 七三年、国の原子力委員会は福島第二原発建設をめぐり公聴会を開催する。三十人中二十一人が賛成派。反対派は六十人の参加希望を出したが九人しか認められなかった。反対の声はかき消された。
   ■  ■
 その公聴会に、南相馬市小高区村上のホッキ貝漁師の志賀勝明(65)は反対派の一人として出席していた。仲間の漁師たちは最初「海が汚染される」と反対したが、原子炉が増設されるたびに支払われる膨大な補償金で腰砕けとなり、最後は孤立無援となった。福島第一原発近くにあるホッキ貝の漁場は、原発の取水が始まってから生息に必要な砂地がなくなり、水揚げはほとんどゼロになった。
 二〇〇六年に新築した自宅は福島第一原発から十三キロ。立ち入り可能な避難指示解除準備区域になった一二年四月に訪れると、壁は変色し、家の中には鳥の巣まであった。「がっくりきて、もう、掃除する気もしない」。避難先を転々とする中、母は亡くなった。
 志賀は震災前、地元の仲間に誘われ、九条の会に参加していた。南相馬市の借り上げアパートに閉じこめられた現状は、憲法一三条の幸福追求権の侵害なんだろうかと思ったりもする。「素人だからよく分からないけど、人は誰からも束縛されずに住みたい場所に住む権利があると思う」
   ■  ■
 「政府は原発再稼働や原発輸出を進めている。しかし、国民の意思で政治は変えられる」。喜多方市に避難している大和田は、所属する自由民権運動の研究会で原発の話をする。「私にとっては、反原発が自由民権運動なんだ」(敬称略)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/kenpouto/list/CK2013092702000152.htmlより、
第6部 福島の希望<4> 生きる場所 取り戻す
2013年9月27日
(写真)福島第一原発の事故後もクリーニング店の営業を続ける高橋美加子=福島県南相馬市で

 東京電力福島第一原発事故が起き、福島県南相馬市から県外への最後の避難バスが出た二〇一一年三月二十日、クリーニング店を経営する高橋美加子(65)=同市原町区=は避難先の仙台から自宅に戻った。「地元企業にとって存在意義がかかっている」との思いがあった。
 人口七万から一万に減り、ゴーストタウンのようになった街での闘いが始まった。食料の調達、がれきの撤去など残った企業は自分たちのできることをした。銀行はすべて支店を閉じる中、唯一残った信用金庫は先の見えない地元企業に融資を続けた。
 人々が戻り始めた一二年二月、人のつながりを取り戻そうとイベントを開催した。会場に立てた木に子供たちがメッセージを書いた紙の葉を付けた。「なぜ同じ日本国民からまでも死の町とよばれなくてはいけないのですか」「じいちゃんのつくったすいかをたべていいですか」
 胸が詰まった。人は個人として尊重され、幸福を追求する権利があるはずなのに。原発事故は家や財産だけでなく、人の尊厳まで奪っている。それらを保障する憲法が、人々の当たり前の生活の土台となっていたことを、あらためて感じた。
 「憲法は、よく言われるような目に見えない空気のようなものではなく、人がよって立つ大地。原発事故は大地を汚し、基本的人権を破壊した」
   ■  ■
(写真)教壇でも原発の危険性を生徒に伝えた山崎健一=川崎市で

 同じ南相馬市原町区の元高校教師で、川崎市で避難生活を送る山崎健一(67)も同じ思いだ。「虫歯になって初めて歯を意識するでしょ。これと同じ。憲法に書かれた人権も、失って初めて憲法に守られていたことに気づく」
 自民党が戦力の不保持を明記した九条二項を削除した憲法改正草案を発表した二〇〇五年、教師仲間ら六人と、はらまち九条の会を立ち上げた。3・11以降、会報は原発事故に関する原稿が大半を占めるようになった。
 教壇に立った六校のうち四校が原発の二十キロ圏内にあり、他校を間借りして授業をしている。教育を受ける権利すら危うくなっているのではと気がかりだ。かつての教え子たちをテレビで見かけることもある。「みんな疲れ切っている。インタビューで『先が見えない』っていうでしょ。その姿が私より老け込んでいる。切ないよ」
   ■  ■
 南相馬に残った高橋は、被災地を記録したDVDを制作した。変わり果てた街の映像に詩が重なる。「私の生きる場所はどこなのか?」。子供たちが除染の済んだ大地に立ち、笑顔を浮かべる映像もある。
 「震災前は効率、効果で動く国だった。そういうのは終わりにしないとだめ」。南相馬にはもともと「そうじゃない暮らし」があった。年収三百万~四百万円でも家を建てることができた。野菜は買わなくても畑で作り、近所からもらうこともできた。それでも「もっといい生活」を目指した。原発事故で、やっと失った生活のすばらしさに多くの人が気が付いた。
 「残る人のためだけでなく、よその土地に移った人たちにも戻るべき故郷を残してあげたい」。再生可能エネルギーを活用した地域づくりに取り組み始めている。=敬称略、おわり
(この連載は、飯田孝幸が担当しました)

広告

http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_top_pickup#Edit2より、
朝日新聞 社説 2013年 9月 27 日(金)付
暴力指導有罪―再発の温床なくさねば

 大阪市立桜宮高校2年の男子生徒が自殺した問題で、生徒に暴力をふるった元顧問教諭に有罪判決が言い渡された。
 裁判官は「効果的で許される指導方法」と妄信し、暴力的指導を続けてきたと非難した。
 学校での教員の暴力が公判廷で裁かれたのは異例で、判決の意味は重い。暴力による指導効果を信奉する人たちは、自らへの警鐘と受け止めるべきだ。
 大阪市教委は事件後、元顧問の行為は「体罰」ではなく、「暴力」と定義した。ささいな理由で繰り返しており、落ち度を戒めるための「罰」ですらなく、まったく正当化できないとの考えだ。
 文部科学省の全国調査では、昨年度だけで6721人の教員が体罰をし、被害を受けた子は計1万4208人にのぼった。
 学校教育法は体罰を禁止しているが、罰則規定はない。だが、そもそも心身を傷つける暴力は許されない行為で、教育現場ではなおさらのことだ。「体罰」は暴力との基本認識をもっと明確にしてこそ、暴力追放の徹底をはかれるのではないか。
 元顧問は暴力をふるった理由について、「目の前の生徒に成長してもらいたいとの思いがあった」と裁判で語った。最近も、天理大や浜松日体高などで暴力が発覚した。「気合を入れたかった」「うまくなってほしかった」。指導者や先輩の言い分は、元顧問のそれと重なる。
 暴力をふるう側は、受ける側の心身の痛みを忘れがちだ。傷つけてからでは遅すぎる。今回の判決を教訓に、そのことを心に刻む必要がある。
 桜宮事件でもう一つ浮かんだのは、世代を超えた暴力の「連鎖」と、部活のチームが強くなるためにと暴力を「容認」する構図だった。
 元顧問は桜宮高校に赴任した94年から暴力をふるい続けた。元顧問は「自分もたたかれて育った」と振り返っている。一部の教え子は同校の同僚教員になり、黙認した。暴力を目撃した保護者もいたが、指導者として定評があった元顧問を誰一人、本気で止めなかった。
 学校での暴力は過去に何度も問題になってきたが、こうした連鎖、容認が根絶を阻んできた。今なお、「若い世代も耐えてこそ育つ」と思い込んでいる人は少なくないようだ。
 亡くなった生徒の父親は判決後、「教育現場に認識が浸透していない」と無念を吐露した。
 体罰と言われてきたものは、犯罪と隣り合わせである。社会全体で意識を変えていかなければならない。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130927k0000m070119000c.htmlより、
社説:桜宮高体罰判決 暴力と決別する契機に
毎日新聞 2013年09月27日 02時30分

 学校の運動部活動で絶えない体罰(暴力指導)について司法の判断が下った。大阪市立桜宮高校バスケットボール部主将の男子生徒が顧問の男性教諭から日常的に殴られた末、昨年12月に自殺した事件で、大阪地裁は当時の顧問だった小村基被告に対し、懲役1年、執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。
 男子生徒の自殺が契機となり、部活動の暴力指導が次々に表面化し、社会問題になった。だが、「厳しい指導」と称する暴力は一向に後を絶たない。勝つためには、強くなるためにはやむを得ないとして容認する人が少なからず存在する現実を直視しなければならない。
 小村被告は懲戒免職など社会的制裁を受け、従来なら略式起訴が妥当との指摘もあった。だが、大阪地検は顧問と生徒という絶対的な支配、服従の関係の下、小村被告が無抵抗の男子生徒に対して暴力を繰り返していた点を重くみて傷害と暴行の罪で異例の在宅起訴に踏み切った。
 公判では、男子生徒が自殺する前日、練習試合中に顧問から連続して平手打ちされる様子を関係者が録画したビデオが証拠として採用された。自分の意に沿わないプレーをしたことが殴った理由だが、判決が指摘しているように「(男子生徒は)罰を受けるようなことは何らしておらず」「理不尽というほかない」。
 桜宮の事件以降、文部科学省をはじめ日本オリンピック委員会、全国高校体育連盟などが「暴力根絶宣言」を行っている。だが、現場には届いていないようだ。先週には浜松日体高校で男子バレーボール部の顧問が部員を連続して平手打ちする様子を撮影した動画がインターネット上に公開された。桜宮での行為との違いを見いだすことは難しい。
 残念ながら、勝利を求め暴力を行使する指導者を擁護する人たちもいる。駅伝の強豪校、愛知県立豊川工業高校で陸上部顧問の暴力が発覚した際は、指導の継続を求める署名が約3万8000人分も集まった。全国大会での実績が、スポーツ推薦制度を採用している大学への進学で有利になることが背景にある。
 暴力で心と体に傷を負った生徒の保護者の中には自分たちと同じような被害者を作り出したくないとの思いから指導者の名前の公表を求める声もある。だが、過度な制裁につながる恐れがあり、慎重でありたい。
 学校現場で「体罰」と呼ばれる行為は社会では暴力にほかならず、スポーツ指導に伴う暴力の問題は小村被告を断罪して解決するものではない。17歳で自ら命を絶たざるを得なかった男子生徒のためにも、判決を重く受け止め、暴力と決別する契機にしていかなければならない。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130927/trd13092703090001-n1.htmより、
産経新聞【主張】介護保険改革 2割負担は妥当な判断だ
2013.9.27 03:08 (1/2ページ)

 一律1割となっている介護保険の自己負担割合を、一定の収入のある人は2割にする改革案を厚生労働省がまとめた。
 基準額は、年金だけの単身者の場合、年収「280万円以上」か「290万円以上」とした。高齢者の5人に1人が対象になるという。来年の通常国会に法案を出し、平成27年度からの実施を目指す。
 高齢化に伴いサービス利用者が増え続け、介護給付費は毎年大きく膨らむ。支払い能力のある人が応分の負担をするのは当然だ。引き上げは妥当な判断といえる。
 厚労省は、一定以上の預貯金や不動産を所有する人について、特別養護老人ホーム(特養)の食費や部屋代の補助縮小も提案した。特養に入所できるのは「要介護3~5」の中重度者に絞る。
 一連の負担増やサービス縮小には、利用者離れを招き、「高齢者の自立」という理念に逆行するという批判もある。
 だが、財政が行き詰まって制度自体が破綻しては元も子もない。総人口の4割が高齢者となる時代をにらみ、今のうちから介護保険制度のスリム化に着手しておかねばならない。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130927/trd13092703090001-n2.htmより、
2013.9.27 03:08 (2/2ページ)
 高齢者の不安や反発が広がることも予想される。厚労省は高齢者の暮らしぶりや介護実態を勘案して基準額を定めたという。これが適切な額だというなら、根拠となる具体的な数字を示して納得のいくよう説明してほしい。
 豊かな高齢者に負担増を求める一方で、低所得の高齢者の保険料減免を拡充する考えも併せて示している。大きな疑問は、その対象が高齢者全体の3割と、負担増となる人より多くなることだ。
 消費税増税に加えての負担増となるだけに反発を和らげたいのだろうが、過剰の印象は否めない。そもそも今回の改革には、上がり続ける保険料を抑制し、若い世代との「負担の公平性」を高める目的があったはずではないか。
 今後、75歳以上の人口が急増し、1人暮らしや高齢者のみの世帯が増える見通しだ。政府は在宅医療や自宅での介護を推進していく方針だが、地域にも家庭にも支え手がいない事例も目立つ。働き盛りが介護のための離職に追い込まれるケースも少なくない。
 介護保険改革と同時に、高齢者と介護する人の両方の暮らしが成り立つよう、政府は必要な対策を講じていく必要がある。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013092002000159.htmlより、
東京新聞【社説】軽度者の介護 予防軽視にならないか
2013年9月20日

 高齢者の日常生活を支える介護保険には、介護度が軽い人向けのサービスがある。これを保険制度から離し市町村に委ねることになりそうだ。予防介護は大きな柱だが、その理念が後退しないか。
 介護の必要度の低い高齢者を早い段階から支え、重症化を抑え、自立した生活を送ってもらう。そのため予防重視は二〇〇六年の改革で介護保険の重要な柱になった。それを撤回してしまうのか。
 厚生労働省は、社会保障制度改革国民会議の提言を受け、予防介護サービスを保険給付から市町村の事業に移すことを検討中だ。対象は軽度の要支援1と2で約百五十四万人いる。
 要支援者が求める支援は掃除や買い物、配食、見守りなど多彩だ。厚労省は「自治体の方が地域ニーズに応えられる」と言うが、要支援者の急増で保険財政が今後厳しくなるとの事情がある。狙いは給付費抑制だ。国民会議も効率化・重点化策として挙げている。
 介護保険のサービスは一定の報酬を保証した専門職の介護事業者が提供するが、厚労省が自治体に求めるのはNPOや住民などのボランティアに担ってもらうことで費用を抑える事業だ。
 自治体はニーズを知りメニューをそろえる力量が問われる。受け皿の担い手がいなければ地域づくりにも取り組まねばならない。
 地域で住民の互助が地域をつくり高齢者の介護を支える方向は求められている。だが、実現には時間がかかる上、自治体の力量にも差がある。地域間で提供されるサービスに差がでかねない。
 「軽度の切り捨て」「予防軽視」にならないか心配になる。
 予防に役立たなければ重症化が進みかえって医療や介護の費用がかかる。厚労省は受け皿づくりへの十分な支援をすべきだ。
 厚労省は事業を保険財源で賄う考えだ。保険は、保険料を払った個人に約束した給付を保証する仕組みが原則である。介護保険のサービスに使われるから保険料を負担している。介護分野に使うとはいえ、介護保険から外す自治体の事業に充てることはその原則に反しないか。
 以前、年金財源を本来の年金給付とは別の保養施設建設に充てる“目的外使用”が問題化した。使用目的を広げるのなら保険料負担をする国民の理解が要る。
 なるべく介護を受けず自立して地域で生活することが多くの高齢者の願いだろう。安心できるサービス提供を目指してもらいたい。

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO59789500X10C13A9PE8000/より、
日経新聞 社説 持続可能な介護保険へ応分の負担を
2013/9/17付

 介護保険は2000年度に始まった新しい制度だが、高齢化が進むなか、新たな対応を迫られている。介護費用は13年度予算で9.4兆円と、00年度の2.6倍に膨らんだ。制度の持続可能性を高めるには、利用者に応分の負担を求めるなど、着実な見直しが欠かせない。
 政府の審議会でこのほど、本格的な議論が始まった。8月にまとまった社会保障制度改革国民会議の報告書と、その実現への道筋を示したプログラム法案骨子を受けたものだ。
 国民会議の報告書は、低所得者に対する保険料の軽減の拡充などを打ち出す一方、「一定以上の所得のある利用者負担は引き上げるべきだ」などと負担増も求めた。
 利用者の自己負担割合は、00年の制度創設時から1割にとどめられている。一口に高齢者といっても収入などは様々だ。医療保険では3割負担の高齢者もいる。介護保険でも過去に2割負担が検討されたが、実現しなかった。
 生活に過度に影響しないよう、負担引き上げの対象範囲は慎重に決める必要があるが、もはや先送りはできない。政治にも一歩、前に踏み出す決断を求めたい。
 報告書は、利用者のなかでも比較的症状が軽い「要支援」の人へのサービスのあり方を抜本的に見直すことも提言している。厚生労働省はこのほど、15年度から段階的に市町村の事業に移す案を審議会に示した。
 財源が介護保険から出るのは同じだが、サービスの内容や料金などは自治体の裁量となる。介護事業者だけでなくボランティアなどにも担い手を広げ、地域の実情に合わせて効率的にサービスを提供できるようになれば、コストの増加を抑える効果が期待できる。
 だが地域間格差が生じたりサービスが低下したりすれば、かえって介護が必要な人が増えかねない。どのように地域の受け皿を増やし、高齢者の生活を支えるか。具体策を練ってほしい。「要支援」と認定されている人は約150万人いる。十分な説明と丁寧な移行措置が必要だ。
 介護が必要になりやすい75歳以上の高齢者は、現在の約1500万人から25年には約2200万人に増える。将来に備え、財源の確保や、より効率的にサービスを提供していくことが欠かせない。10年先を見越した議論が、今こそ求められる。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130917k0000m070084000c.htmlより、
社説:医療・介護の負担 「年齢」から「所得」を軸に
毎日新聞 2013年09月17日 02時35分

 介護保険の総費用は8兆円を突破し制度開始時の2.3倍となった。今後も高齢者人口は増え続けるため、厚生労働省は一律1割となっている介護サービスの自己負担を高所得世帯は2割へと引き上げる方向で検討している。自営業者らが入る国民健康保険(国保)も負担上限を来年度から引き上げ、さらには医療費の自己負担が上限額を超えた分を払い戻す高額療養費制度でも高所得者の負担増を検討している。
 すでに70〜74歳の医療費の自己負担も1割から2割へと引き上げることが閣議決定されており、消費増税に加えて相次ぐ負担増にうんざりする人は多いはずだ。しかし、膨張し続ける社会保障費を抑制しつつ財源を確保していかなければ高齢化の急坂を上り切ることはできまい。
 国保や高額療養費では高所得者の負担増とともに低所得層の負担を軽くすることにも注目すべきだ。これまで社会保障制度は給付や負担の基準を「年齢」で線引きしてきたが、年齢ではなく「所得」の水準で線引きしようというのである。
 高齢層には生活保護の受給者や年金だけでかろうじて生活している人が増えているが、その一方で富裕層が多いのも事実だ。1500兆円に及ぶ個人金融資産の6割を60歳以上が持っているといわれ、税制上も企業年金を含む公的年金には一定額まで控除が認められるなど優遇されている。社会保障の支え手である若年層に生活困窮者が増えており、年齢で区別した制度が現状に合わなくなっているのは明白だ。
 これまで所得を問わず高齢者に手厚かったのは、まだ年金が整備されていなかったため高齢になると子どもの扶養に頼る人が多かったこと、平均寿命が現在よりも短く高齢者の負担が少なくても制度の存続に影響がなかったことなどが指摘される。戦中戦後の苦境を生きてきた世代の老後を豊かなものにしたいという国民的合意もあっただろう。
 だが、団塊世代が65歳を超え、今後は高度成長やバブルを経験した世代が次々に高齢者入りしていくことになる。教育も十分に受け、親からの相続財産も以前に比べれば多い世代である。
 もともと日本に比べて国民負担率が高く、高福祉を実現してきた欧州各国はユーロ危機を背景に高齢者の給付減・負担増、支え手である次世代の立て直しに懸命に取り組んでいる。
 日本でも社会保障と税の共通番号が導入されるが、さらに所得や資産の把握に努め、税制も含めて公平性を確保しなければならない。国民が意識を変え、政治が決断しないと日本だけが立ち遅れることになりかねない。