桜宮高体罰判決 「暴力と決別する契機に」

http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_top_pickup#Edit2より、
朝日新聞 社説 2013年 9月 27 日(金)付
暴力指導有罪―再発の温床なくさねば

 大阪市立桜宮高校2年の男子生徒が自殺した問題で、生徒に暴力をふるった元顧問教諭に有罪判決が言い渡された。
 裁判官は「効果的で許される指導方法」と妄信し、暴力的指導を続けてきたと非難した。
 学校での教員の暴力が公判廷で裁かれたのは異例で、判決の意味は重い。暴力による指導効果を信奉する人たちは、自らへの警鐘と受け止めるべきだ。
 大阪市教委は事件後、元顧問の行為は「体罰」ではなく、「暴力」と定義した。ささいな理由で繰り返しており、落ち度を戒めるための「罰」ですらなく、まったく正当化できないとの考えだ。
 文部科学省の全国調査では、昨年度だけで6721人の教員が体罰をし、被害を受けた子は計1万4208人にのぼった。
 学校教育法は体罰を禁止しているが、罰則規定はない。だが、そもそも心身を傷つける暴力は許されない行為で、教育現場ではなおさらのことだ。「体罰」は暴力との基本認識をもっと明確にしてこそ、暴力追放の徹底をはかれるのではないか。
 元顧問は暴力をふるった理由について、「目の前の生徒に成長してもらいたいとの思いがあった」と裁判で語った。最近も、天理大や浜松日体高などで暴力が発覚した。「気合を入れたかった」「うまくなってほしかった」。指導者や先輩の言い分は、元顧問のそれと重なる。
 暴力をふるう側は、受ける側の心身の痛みを忘れがちだ。傷つけてからでは遅すぎる。今回の判決を教訓に、そのことを心に刻む必要がある。
 桜宮事件でもう一つ浮かんだのは、世代を超えた暴力の「連鎖」と、部活のチームが強くなるためにと暴力を「容認」する構図だった。
 元顧問は桜宮高校に赴任した94年から暴力をふるい続けた。元顧問は「自分もたたかれて育った」と振り返っている。一部の教え子は同校の同僚教員になり、黙認した。暴力を目撃した保護者もいたが、指導者として定評があった元顧問を誰一人、本気で止めなかった。
 学校での暴力は過去に何度も問題になってきたが、こうした連鎖、容認が根絶を阻んできた。今なお、「若い世代も耐えてこそ育つ」と思い込んでいる人は少なくないようだ。
 亡くなった生徒の父親は判決後、「教育現場に認識が浸透していない」と無念を吐露した。
 体罰と言われてきたものは、犯罪と隣り合わせである。社会全体で意識を変えていかなければならない。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130927k0000m070119000c.htmlより、
社説:桜宮高体罰判決 暴力と決別する契機に
毎日新聞 2013年09月27日 02時30分

 学校の運動部活動で絶えない体罰(暴力指導)について司法の判断が下った。大阪市立桜宮高校バスケットボール部主将の男子生徒が顧問の男性教諭から日常的に殴られた末、昨年12月に自殺した事件で、大阪地裁は当時の顧問だった小村基被告に対し、懲役1年、執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。
 男子生徒の自殺が契機となり、部活動の暴力指導が次々に表面化し、社会問題になった。だが、「厳しい指導」と称する暴力は一向に後を絶たない。勝つためには、強くなるためにはやむを得ないとして容認する人が少なからず存在する現実を直視しなければならない。
 小村被告は懲戒免職など社会的制裁を受け、従来なら略式起訴が妥当との指摘もあった。だが、大阪地検は顧問と生徒という絶対的な支配、服従の関係の下、小村被告が無抵抗の男子生徒に対して暴力を繰り返していた点を重くみて傷害と暴行の罪で異例の在宅起訴に踏み切った。
 公判では、男子生徒が自殺する前日、練習試合中に顧問から連続して平手打ちされる様子を関係者が録画したビデオが証拠として採用された。自分の意に沿わないプレーをしたことが殴った理由だが、判決が指摘しているように「(男子生徒は)罰を受けるようなことは何らしておらず」「理不尽というほかない」。
 桜宮の事件以降、文部科学省をはじめ日本オリンピック委員会、全国高校体育連盟などが「暴力根絶宣言」を行っている。だが、現場には届いていないようだ。先週には浜松日体高校で男子バレーボール部の顧問が部員を連続して平手打ちする様子を撮影した動画がインターネット上に公開された。桜宮での行為との違いを見いだすことは難しい。
 残念ながら、勝利を求め暴力を行使する指導者を擁護する人たちもいる。駅伝の強豪校、愛知県立豊川工業高校で陸上部顧問の暴力が発覚した際は、指導の継続を求める署名が約3万8000人分も集まった。全国大会での実績が、スポーツ推薦制度を採用している大学への進学で有利になることが背景にある。
 暴力で心と体に傷を負った生徒の保護者の中には自分たちと同じような被害者を作り出したくないとの思いから指導者の名前の公表を求める声もある。だが、過度な制裁につながる恐れがあり、慎重でありたい。
 学校現場で「体罰」と呼ばれる行為は社会では暴力にほかならず、スポーツ指導に伴う暴力の問題は小村被告を断罪して解決するものではない。17歳で自ら命を絶たざるを得なかった男子生徒のためにも、判決を重く受け止め、暴力と決別する契機にしていかなければならない。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中