強制起訴 「刑法の見直しが必要だ」

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013093002000117.htmlより、
東京新聞【社説】JR西無罪 遺族の無念を胸に刻め
2013年9月30日

 乗客ら百七人が死亡した尼崎脱線事故で、JR西日本の歴代三社長は無罪となった。強制起訴を選択した市民判断は、司法の壁を崩せなかったが、経営陣は遺族の無念の思いを胸に刻むべきだ。
 刑事裁判の限界なのだろう。神戸地裁は歴代三社長について、「事故は予見できなかった」と判断した。検察が起訴した元社長は既に無罪判決が確定しており、事故当時の経営幹部は誰ひとり、刑事責任を負うことはなかった。
 「刑事責任が問われないことをおかしいと思うのももっともだが、厳格に考えなくてはならない」と最後に裁判長は付言した。
 強制起訴に持ち込んだ検察審査会の判断にも、一定の理解を示したとも受け止められる。確かに現場は「魔のカーブ」だった。半径六百メートルあったカーブを半減させる工事をしたからだ。危険性が増すのは当然だが、当時の経営陣は自動列車停止装置(ATS)を設置しなかった。
 これも争点だったが、たまたま当時、法的義務がなかっただけだ。鉄道会社として、自主的に設置することもできたはずだ。「ATS整備を指示するべき注意義務はなかった」とする判決には、疑問が残る。国土交通省の事故調査委員会は「ATSがあれば事故は防げた」と指摘しているからだ。急カーブへの配慮をしなかったのは経営ミスといえよう。
 私鉄各社との激しい競争もあって、過密ダイヤを組んでいた。電車に遅れなどが出ると、懲罰的な「日勤教育」が科された。無意味な草むしり、就業規則の書き写し…。非人間的な懲罰である。
 事故を起こした運転士は、日勤教育の経験があり、当日も前の駅でオーバーランをした。遅れを取り戻そうとして、制限速度を大幅に超え、ブレーキ操作を誤ったのだ。少なくとも、事故調はそんな見方の報告をした。
 利益優先、安全軽視ともいえる経営陣にも反省すべき点は、多々あったはずだ。だが、裁判でJR西日本の“ドン”は、十秒間のおわびをしただけだ。企業体質についての質問には「変えなければいけないという気持ちはない」と突っぱねていた。
 遺族の無念さが、本当にわかるのか。「納得できない」「許せない」-。判決に遺族は天を仰いだ。JR北海道では二百七十カ所ものレール異常放置が判明したばかりだ。脱線事故なども相次いだ。鉄道の安全規律がたるんでいる。

http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_top_pickup#Edit2より、
朝日新聞 社説 2013年 9月 29 日(日)付
JR事故判決―経営陣に罪はないのか

 企業トップの罪を問う難しさが、またも示された。
 107人が死亡した05年のJR宝塚線脱線事故で、業務上過失致死傷罪で強制起訴されたJR西日本の歴代3社長に対し、神戸地裁は無罪を言い渡した。
 利益を追求し安全をおろそかにした経営陣の姿勢が事故につながったのではないか。そうした遺族の思いを受け、検察審査会は強制起訴にもちこんだ。
 だが公判では、現場カーブに安全装置を付けなかったことだけが争点になった。裁判所は、元社長らは個人として事故を予見できなかった、と判断した。
 この3人とは別の元社長は検察に起訴されたが、昨年、無罪が確定した。過失犯では個人の責任しか追及できない現行刑法の限界といえる。
 遺族らは判決後、法人を処罰できるよう、法改正を訴えた。
 英国は07年、注意を怠って死亡事故を起こした法人に刑事責任を問い、上限なく罰金を科せる法律を制定した。
 80~90年代に船舶や鉄道で多くの人が亡くなる事故が続いた。だが、大きい企業ほど経営陣は有罪とならず、世論の批判が強まったためだった。
 日本でも、高度成長期に起きた公害や85年の日航ジャンボ機墜落事故で、法人処罰の導入を求める声が上がったが、刑法改正には結びつかなかった。
 鉄道や航空、船舶事故は、運輸安全委員会が調査し、原因を究明する。日本では捜査との線引きが厳格ではない。このうえ法人の刑事責任も問えることにすれば、関係者が事故調査に真相を語らなくなる、という慎重論も専門家の間で根強い。
 だが、JR西という巨大企業のトップが、市民代表の検察審査会の判断で裁判にかけられた意義を考えてみたい。
 現在の鉄道のように安全システムが高度化するほど関係者は多くなる。その裏返しで、事故が起きても頂点の経営責任があいまいになる事態が繰り返されてきた。福島第一原発事故を防げなかった東京電力や、トラブルが続くJR北海道もそうだ。
 宝塚線事故の遺族は、JR西を長く率いた井手正敬元社長に公判で質問を重ねた。井手氏は「担当者に任せていた」と繰り返し、遺族をあきれさせた。
 企業が対策を怠って事故を起こせば、トップの刑事責任も問えとの民意は今後強まろう。経営者は常日頃からしっかりと向き合うしかない。
 安全管理責任をより確かなものにするため、法人処罰の導入の是非も、国レベルで議論を深めていってもらいたい。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130929k0000m070088000c.htmlより、
社説:JR歴代社長無罪 なお重い経営者の責任
毎日新聞 2013年09月29日 02時30分

 乗客106人が死亡した2005年4月のJR福知山線脱線事故で、神戸地裁は、業務上過失致死傷罪で強制起訴されたJR西日本の井手正敬(まさたか)元会長ら歴代3社長に無罪を言い渡した。
 判決は、3人に脱線の危険性を具体的に予見できたと認める証拠はなく、事故を防ぐための自動列車停止装置(ATS)の整備を指示する義務もなかったと結論付けた。既に確定した山崎正夫元社長の無罪判決と同様、過失の範囲を厳密にとらえる従来の判断を踏襲したものだ。
 裁判長は「会社の代表とはいえ、社長個人の刑事責任を追及するには厳格に検討しなければならない」と述べた。刑法では個人の責任しか問えない限界を示したと言えるが、だからといってJR西の安全対策に問題がなかったことにはならない。
 国の事故調査報告書は、経営幹部が組織を統括し、徹底して安全性を追求する必要があると指摘した。山崎元社長の判決も、安全対策が期待される水準になかったと批判している。多くの人命を預かる公共交通機関の経営トップの責任の重さを改めて胸に刻むべきである。
 事故は、列車が制限速度を超えてカーブに突っ込んで起きた。だが、急カーブに変更されたのは新線開業の経営方針に伴うもので、後に余裕に乏しいダイヤになった。懲罰的な日勤教育も運転士に重圧を与えたとされた。検察官役の指定弁護士も論告で「井手元会長らが利益優先の企業体質を確立した」と主張した。
 判決は、事故と企業体質との関係に言及しなかったが、未曽有の事故でJR西も責任を認めているのに誰一人処罰されないのは、一般市民にも納得がいかないはずだ。企業に刑事罰を科す制度の導入を含め、組織が絡む事故の責任追及や真相解明のあり方について議論を深めるべきではないか。
 公判では、井手元会長が事故について「重大な経営責任も痛感している」と公の場で初めて陳謝した。被害者参加制度で遺族らも直接質問し、意見を述べた。無罪とはいえ、強制起訴の意義は小さくはない。
 脱線事故は、効率化や高速化を進め、安全を二の次とする経営姿勢にも反省を迫った。だが、JR北海道のあまりの安全意識の低さといい、鉄道各社は事故の教訓を生かしているのだろうかと疑わざるを得ない。
 JR西は事故後、安全投資を増やし、事故の予兆を分析するリスクアセスメントも導入した。それらを着実に進め、安全対策を徹底しなければ信頼回復はおぼつかない。安全意識が根づく組織風土を築くことが経営者の責任であると肝に銘じなければならない。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130928/dst13092803110000-n1.htmより、
産経新聞【主張】JR西3社長無罪 企業の「安全責任」は別だ
2013.9.28 03:11

 乗客106人が死亡したJR福知山線脱線事故で、業務上過失致死傷罪で強制起訴されたJR西日本の井手正敬(まさたか)元会長ら歴代3社長に、神戸地裁は無罪を言い渡した。
 事故現場のカーブに自動列車停止装置(ATS)を設置していなかった責任について、判決は「当時はATSを設置する法的義務はなかった。社内でも脱線の危険性は検討されておらず、ATSを整備すれば脱線は回避できたとの認識にはつながらない」と予見可能性を否定した。
 予想された判決である。むしろ、判決言い渡し後に宮崎英一裁判長が傍聴席の遺族らに述べた「誰一人として責任を問われないことに違和感があるかもしれない」が、「企業の責任ではなく、社長個人の刑事責任を追及する場合は厳格に考える必要がある」という言葉が、この裁判の本質を言い表している。
 嫌疑不十分で3社長を不起訴とした神戸地検は、検察審査会の「起訴相当」の議決にも再度、不起訴とし、「審査会は事実を誤認している可能性がある」と異例のクレームをつけた。
 それでも審査会の2度目の議決で強制起訴となったのは、純然たる法的判断より、遺族らの心情を酌んだ民意といえよう。
 本来ならJR西日本という企業の責任を問いたいのだが、刑法は処罰の対象を個人に限定している。現行法制度の限界を示すとともに、検察審査会のあり方にも一石を投じる裁判だった。
 ただ、3社長の無罪判決がJR西日本の社会的責任を免ずるものでないことは言うまでもない。「井手商店」と呼ばれるほど民営化以降の経営を実質的に担ってきた井手元会長が、事故後、遺族らの前に姿を見せず、ようやく法廷で謝罪したのは遅きに失する。
 また、遺族らが求めた「どうして事故が起きたのか」「なぜ防げなかったのか」の真相究明もなお不十分と言わざるを得ない。
 昭和62(1987)年に国鉄が分割民営化されJR各社が発足して26年になる。JR北海道では相次ぐ事故、トラブルに加えて、レールの異常を補修せず放置していたという信じられない不祥事が明るみに出た。
 営利優先で安全をないがしろにしてはいないか。鉄道事業者には原点に立ち返っての経営点検を求めたい。

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO60327280Y3A920C1EA1001/より、
日経新聞 社説 強制起訴は見直しが必要だ
2013/9/28付

 検察が独占してきた起訴権限に民意を反映させる。それが強制起訴制度の狙いである。検察が起訴しなかった人について、くじで選ばれた市民でつくる検察審査会が「起訴すべきだ」と2度議決すれば被告となり、裁判が開かれる。
 だが起訴されなかった理由にかかわらず、すべての事件・事故が強制起訴の対象になりうるいまの仕組みでは、問題が大きすぎないだろうか。そんな危惧をあらためて抱かせる判決があった。
 2005年にJR福知山線で起きた脱線事故をめぐり、神戸地裁が井手正敬元相談役らJR西日本の歴代社長3人に無罪を言い渡した。事故は予測できなかった、との判断である。3人は業務上過失致死傷罪で強制起訴されていた。
 裁判長は「誰ひとり刑事責任を負わないのはおかしいとの考えがあるかもしれないが、個人の責任は厳格に考えなければいけない」と遺族に言い添えた。この言葉に制度の問題が凝縮されている。
 刑法は個人の刑事責任しか問えない。だが多くの部署、社員、システムがからんで起きる事故で、個々人の過失や責任の範囲を立証するのは難しい。市民感覚としては納得しにくいが、だからといって検察審による起訴だけ有罪の基準を下げるわけにはいかない。
 会社の体質を指弾し、再発防止につなげる。こうしたことを刑事裁判に大きく期待することもできない。行政や民事訴訟の仕組みの改革を含め、有効な対策を考えていくべきではないだろうか。
 過去の強制起訴の例をみても、同じように現在の刑事裁判のあり方となじまない例がある。検察の段階で不起訴になった後、長い間裁判を強いられる負担は大きく、このまま放置すべきでない。
 同じく司法改革の一環として新たに導入された裁判員裁判や法曹養成制度は、踏み込みが足りないもののすでに見直し作業が始まっている。強制起訴についても、審査する対象や議決に至った経緯の開示など、制度の全般にわたる見直しに取りかかるべきである。

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