年のはじめに考える 「元気なシニアに出番を」

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130103/plc13010303100004-n1.htmより、
産経新聞【主張】日本経済再生 脱デフレへ歩み確かに 規制改革で民間に勢いつけよ
2013.1.3 03:09

 今年こそ、デフレ脱却と日本経済の再生に一歩踏み出せるのではないか。近年、これほど期待を持って迎えた新年はなかった。そういっても過言ではあるまい。
 その先頭に立っているのは5年3カ月ぶりに政権復帰を果たした安倍晋三首相だ。安倍氏は衆院選で、デフレ脱却と円高是正を最優先課題に掲げて「これまでとは次元の違う政策」を唱えた。自民党が大勝すると、首相就任前から矢継ぎ早に手を打った。
 日銀に物価目標の導入と大胆な金融緩和を促す一方で、思い切った財政出動の実施を表明する。さらに、復活した経済財政諮問会議と日本経済再生本部を経済政策の両輪とする構想を打ち出した。

 ≪財政に新たな歯止めを≫
 時の政権が、デフレ脱却への明確な意志とその実現のための具体的手段と枠組みを示す。これこそが、野田佳彦前首相はじめ、ここ数年の政権に最も足りなかった部分であり、市場や経済界が切望していたものだった。
 安倍氏の姿勢が歓迎され、衆院選前から株価が上昇、円高是正が進んだのはこのためだ。しかも、これまでのところ、こうした考えは、形を整えつつある。
 日銀は1月21、22日の金融政策決定会合で物価目標の導入を打ち出す見通しだ。その目標達成に、日銀と政府が役割と責任を分担する政策協定も検討されている。安倍政権も発足早々、東日本大震災からの復興や防災などに重点を置いた10兆円規模の大型補正予算の編成を進めている。
 脱デフレへ上々のスタートを切ったといえるが、財政出動に伴う財源問題は素通りできない。
 補正予算と平成25年度予算の国債頼みは避けられまい。しかし日本の財政事情は既に危険水域だ。借金の残高は国内総生産の2倍超と、危機に陥ったギリシャなど欧州諸国より深刻な状況にある。
 それでも国債価格が安定しているのは、日本は財政規律を守る国という信頼感があるからだ。
 ここが揺らぐと、国債価格は下落し、長期金利は上昇する。国の利払い費が増えて財政を圧迫、国債を大量に抱える銀行の経営をも直撃する。財政危機と金融危機を同時に起こしかねない。
 安倍政権は2020(平成32)年に基礎的財政収支を黒字化する目標は堅持するという。麻生太郎財務相も「国債発行額にこだわらない」としつつ、25年度予算編成では「財政健全化目標を踏まえる」と述べた。
 民主党政権下の「新規国債発行44兆円以下」は棚上げするにせよ、市場の信頼をつなぎ留めるためにも新たな歯止めは必要だ。
 デフレ脱却とともに日本経済再生の鍵を握るのは実効性ある成長戦略の構築だ。規制改革、構造改革は、その起爆剤となる。

 ≪貿易立国の復活を図れ≫
 貿易収支で黒字大国の名をほしいままにしてきた日本も、今は赤字が常態化しつつある。海外景気の減速による輸出の減少、原発停止に伴う火力発電燃料の輸入増が大きいが、国際競争力の低下という根深い問題を見過ごせない。
 韓国、台湾などの追い上げに、国内家電メーカーは、価格ばかりか、技術面でも後塵(こうじん)を拝しているケースも多い。
 競争力回復の主役である民間が勢いを取り戻すには、法人税減税や民間活力をそいでいる規制にもメスを入れねばならない。企業活動の自由度を拡大し、新たなビジネス市場の創出が欠かせない。
 資源小国で人口減による国内市場の縮小が顕在化している日本が貿易立国の旗を降ろせば国の衰亡につながる。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加は、貿易復活の前提条件である。
 自民党は海外との違いを合理的に説明できない制度的障害は「3年以内に撤廃する」とし、規制の見直しでは事業仕分け的手法の導入も検討している。総論賛成、各論反対に陥らぬよう、あらゆる手段を駆使し、撤廃・緩和を一気に進める必要がある。経済財政諮問会議や日本経済再生本部は、その司令塔となるべきだ。
 故梶山静六元官房長官の言葉を借りれば、デフレは「陰気な化け物」だ。日本列島に15年以上も居座り、経済だけでなく社会全体を閉塞(へいそく)感で覆った、これを追い払う。今年はその最大にして最後のチャンスかもしれない。政府、日銀はもとより、日本全体の覚悟が試される1年である。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013010302000112.htmlより、
東京新聞【社説】年のはじめに考える 元気なシニアの出番だ
2013年1月3日

 団塊世代が六十五歳に差し掛かった時期に東京のリーダーが交代しました。元気なシニアの出番づくり。それが老いゆく首都を支える鍵になりそうです。
 世の中に大量の“産業廃棄物”が発生していませんか。定年後に部屋でゴロゴロして奥さんや子どもに煙たがられ、邪魔物扱いされている主に男性陣のことです。
 そんなきついジョークを飛ばすのは、都心で高齢者専門の人材派遣会社を手掛ける東京ガスOBで会長の上田研二さん(74)です。
 社名は「高齢社」。一線を退いた高齢者にもう一度働く場を用意し、生きがいを見つけてほしいと十三年前に創業しました。

◆生きがいと収入と
 入社資格は六十~七十四歳。定年制はなく、八十三歳を筆頭に五百三十人が登録しています。名刺印刷や宛名書き、チラシ配布、ガス設備点検やマンション管理など業務は百種類に及びます。
 登録社員は月八万~十万円を稼ぎ、年金の足しに。家事や通院などの自己都合を最優先して出勤日を決め、二~三人一組で一人分の仕事を分かち合う方式です。
 仕事に合わせて生活するのではなく、生活に合わせて働く。その機会を提供するのが特徴です。やりがいと収入をマイペースで両立させる。円熟社会らしい人間中心の仕組みです。
 毎日が日曜日の高齢者には休日出勤手当は不要だ。現役時代の豊富な経験は即戦力になる。低いコストと丁寧な仕事ぶりが業績を押し上げています。二〇一一年度の売上高は三億八千万円と〇三年度の十一倍に伸びました。
 東京ガス幹部だった一九九〇年代に少子高齢化による労働力の減少を見据え、高齢者を生かす会社の青写真を描きました。父親の失業で困窮し、大学も諦めた苦い体験から社員を最も大事にする経営理念を掲げる。

◆大量引退の時代に
 「定年後に趣味やボランティア活動などに精を出す人は多いのですが、そのうちに仕事をしたくなるようです」。それが上田さんのこれまでの実感です。
 昨年来、団塊の世代が六十五歳を迎えつつある。六百六十万人に上る。かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とうたわれた高度経済成長を担った人たちです。
 この世代を中心に一六年にかけておよそ一千万人余りが高齢者の仲間入りをします。東京では九十二万人の見通しです。
 大量の退職者が出て労働力が不足したり、熟練の技能が途絶えたりしないかと心配する声もあります。七十万事業所を抱え、九百五十万人が勤める東京でも影響が出るかもしれません。
 けれども、内閣府の二〇〇八年の調査では、六十歳以上の71%は六十五歳を超えて働きたいという意志を示しています。日本人の勤勉性が表れたのでしょうか。労働意欲の高い人が相当います。
 今や「人生九十年時代」といわれます。旧来の保護されるべき社会的弱者という高齢者像は現実にそぐわなくなっています。
 東京では五人に四人は介護保険制度でいう支援や介護を必要としていません。日常生活に欠かせない握力や上体起こし、歩行などの体力や運動能力は毎年向上し、若返りをうかがわせます。
 加齢につれて身の回りの出来事は忘れっぽくなる。でも、言葉の知識や経験に裏打ちされた知恵は厚みを増すのです。
 「アフリカでは、老人が一人亡くなると図書館が一つ消えるといいます」。〇二年の高齢者問題世界会議での演説で、前国連事務総長のコフィ・アナンさん(74)が述べた言葉はとても印象的でした。
 体力や気力、知力がみなぎる高齢者は多い。現役世代が先細る中で、元気な高齢者には社会の支え手としての活躍が期待されます。
 その力を発揮してもらう仕組みを整える必要があります。
 生涯学習やボランティア活動などの場は充実してきたようです。しかし、もっと増やし、広めたいのは個々のペースに応じて楽しめるような仕事です。
 例えば、企業はフレックス勤務やワークシェアリング、テレワークといった柔軟な働き方を工夫する。行政はカウンセリングやマッチングの機能を強化する。「東京都版シルバーハローワーク」の実現を急いでほしいものです。

◆遊びこそ仕事だ
 都知事に就任した作家の猪瀬直樹さんも六十六歳。つまり高齢者です。それでも、去年の東京マラソンでは六時間四十分で初めてのフルマラソンを完走しました。
 「老い故に遊びをやめるのではない。遊びをやめるから老いるのだ」。劇作家バーナード・ショーの金言です。成熟社会では遊びこそ仕事であり、生きがいなのでしょう。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130103k0000m070068000c.htmlより、
社説:2013年を展望する 政党のあり方再構築を
毎日新聞 2013年01月03日 02時30分

 「国民の政治に対する信頼を回復するためには、今こそ自らの出血と犠牲を覚悟して、国民に政治家の良心と責任感を示す時である」
 1989年5月、自民党がまとめた政治改革大綱にはこんな文面が記されていた。リクルート事件などをきっかけに自民党に対する批判が、かつてないほど強まっていたころだ。大綱は衆院への小選挙区制導入を基本とする選挙制度改革に取り組むと明記し、長く政権与党を続けてきた自民党自らが、政権交代可能な政治の仕組みを検討し始めたところが大きなポイントだった。
 あれから四半世紀近くになる。94年1月には衆院への小選挙区比例代表並立制導入を柱とする政治改革関連法が成立。09年の衆院選で民主党政権が誕生し、昨年暮れには自民・公明両党が政権に返り咲いた。確かに政権交代の時代はやってきた。
 しかし、政治家は今、自ら犠牲を払っているだろうか。良心と責任感を示しているだろうか。答えはノーだ。政党不信、政治家不信はむしろ一段と深まっていると言っていい。

 ◇民主政治の根幹揺らぐ
 昨年に引き続き、今年も政治決戦の年だ。夏には参院選がある。
 安倍晋三首相が「参院選で勝利を収めてこそ、自民党の中長期的な理念を実現する機会を得ることができる」と繰り返しているように、自公両党が参院でも過半数を確保できるかどうかが焦点だ。逆に自民党が大敗すれば8年連続の首相交代となるかもしれない。一方、民主党が大敗すれば党の存亡に直結する危機に陥り、2大政党化の流れ自体が大きく変わってしまうかもしれない。
 だが、決戦の行方に目を転じる前に求めておきたいことがある。
 第一に、そもそも政党とは何かを問い直すことだ。
 今の選挙制度に変わった際には、すぐさま2大政党とはならないまでも、政党は二つの大きなグループに集約されていくと言われたものだ。ところが先の衆院選では逆に政党が大乱立する事態となった。選挙直前、にわかにできて、選挙が終わった途端に分裂した旧「未来」の例を挙げるまでもない。今、政党の存在はあきれるほど軽い。
 まさか政党交付金欲しさで政党を作っているわけではなかろう。だが国会議員が集まれば政党になる、政党などいつでもできると、政治家自身が勘違いしていないか。
 理想とする国の姿を共有して政策を練る。政策の実現のためにリーダーを選んで、選挙で国民の支持を仰ぐ。政党とは官僚組織を使いながら実際に政治、政策を動かすことができる唯一の組織であり、議会制民主主義の根幹をなす組織だ。

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