アルジェリア人質事件 内通者、警備の盲点

http://mainichi.jp/opinion/news/20130129ddm003030124000c.htmlより、
クローズアップ2013:アルジェリア事件 内通者、警備の盲点
毎日新聞 2013年01月29日 東京朝刊

 アルジェリア南部ティカントリの天然ガス関連施設でイスラム武装勢力に拘束された日本人10人らが死亡した事件で、武装勢力が内通者の情報から、施設の警備の盲点を巧みに突いた実態が明らかになってきた。テロ封じ込めのため、市民の間では、強硬策を望む声が広がりつつある。【アルジェ秋山信一】

 事件の起きたイナメナス近郊のティカントリにある施設や周辺では、民間の警備員と地元警察、軍による「三重の警備体制」が敷かれていた。その盲点をかいくぐるような犯行だけに、周到な計画性がうかがえる。
 アルジェリア治安関係者によると、英石油大手BPは民間の警備会社と契約し、約200人の警備員をガス関連施設や従業員の居住区に配備していた。大半が非武装で、入り口で荷物や身体の検査などに当たっていた。これとは別に、施設中心部や周辺には地元警察の詰め所などがあり、武装した警官が施設内外をパトロールしていた。従業員らが約50キロ東にあるイナメナス市街地や空港に移動する際も、地元警察官が同行した。施設周辺の主要道路の要所では、アルジェリア軍が警戒に当たっていた。
 政府の発表や治安関係者によると、武装勢力は16日未明、リビア国境沿いで警備の手薄な砂漠地帯から国境警備の隙(すき)を突くように侵入。アルジェリア政府の公用車を偽装した車両で移動し、メンバーの一部は軍服を着ていた。軍の警戒網を避けるため、幹線道路の使用も控えていたという。
 また、武装勢力はBPなどと契約する関連業者に内通者も送り込んでいた。調べでは、元運転手や武装勢力メンバーの親族ら3〜4人が事前に施設内に出入りするなどして情報収集。現場からは施設内の見取り図が複数押収されている。
 事件では、武装勢力が居住区の部屋番号を把握し、外国人の部屋だけを襲撃したとの情報もある。また、年に数回ほどしか現地を訪れないBP幹部や日揮最高顧問が滞在中に起きたことから、内通者を通じて企業幹部の予定を掌握していた可能性も指摘されている。
 元軍人の評論家アフマド・アディミ氏は、「武装勢力には土地勘に武器、金の3要素がそろっている。その活動を食い止めるのは至難のわざだ」と語る。

 ◇和解路線に批判
 今回の事件は、アルジェリア政府の「対テロ強硬姿勢」を印象付けた。だがこれまで、強硬一辺倒で臨んできたわけではない。99年に就任したブーテフリカ大統領は、より柔軟な対策を取ることで和解路線を模索してきた。むしろその戦略が、新たな惨劇を招いたとの批判も出ている。
http://mainichi.jp/opinion/news/20130129ddm003030124000c2.htmlより、
 91年の国政選挙でイスラム政党が圧勝。急激なイスラム化を懸念した軍部は92年、クーデターで政権を奪い、イスラム原理主義組織との戦いを始めた。テロ事件が頻発し、政府側は徹底弾圧。アルジェリアのNGO「テロ犠牲者の会」の推計によると、92年以降の死傷者は約12万人に達する。90年代後半には数百人規模の虐殺事件も続発した。
 これに対し、ブーテフリカ大統領は和解路線へと踏み出した。虐殺や強姦(ごうかん)などを除き、投降した「テロリスト」には恩赦を与えることで過激派の反政府感情を和らげ、組織の弱体化を図った。公式の統計はないが、犠牲者の会への相談は90年代には1日40〜50件にものぼったが、00年代に入ると1日数件にまで減少した。
 だが、今回の事件で犯人の1人は05年に恩赦を受けて釈放された元テロリストだった。ブーテフリカ大統領の和解路線が「テロの再発」を招いたとの指摘もあり、強硬路線への回帰を求める声も出ている。ある国会議員は「妥協や交渉は新たなテロを生むだけだ。テロリストには強硬姿勢で臨むしかない」と話した。

 ◇テロへ怒り強く 攻撃支持が大勢
 「テロ」と隣り合わせの日々を過ごしてきたアルジェリア。市民の多くは、「人質の保護より武装勢力のせん滅を優先させた」といわれるアルジェリア政府の対応を支持している。その背景には、多くの人命を奪ってきたテロへの怒りと憎しみがある。
 アルジェの南約15キロのベンタルハ村。97年9月、村の住民の1割強にあたる約400人が武装集団に虐殺された。理容師のアブドラさん(23)は当時7歳。深夜、悲鳴で目が覚めた。銃声と爆発音は翌朝4時まで続いた。夜明けに外をのぞく。近所の住民や友人の変わり果てた姿。家族は全員、難を免れたが、事件後、悪夢にうなされた。
 翌月、テロ事件で犠牲になった子供のカウンセリングのため創設されたNGO「ハヤーティ」を訪ねた。「好きなものを書いて」と画用紙を渡され、銃を持った男、焼け焦げた車を描き続けた。黒い線ばかりの絵に、血を表す赤が際立つ。虐殺以外の絵を描くようになるまで5年近くかかった。今回のアルジェリア政府による強硬策は「支持する立場」だ。「普通に生活できるようになった子供が半分。学校に行かず、犯罪者になった子供も多い」。NGOの創設者で小児科医のハヤーティさん(61)が語る。97年の事件以来、テロに巻き込まれ心に傷を負った子供たち約2万5000人をケアしてきた。
http://mainichi.jp/opinion/news/20130129ddm003030124000c3.htmlより、
 国営資源開発会社の元社員、アリさん(73)が語気を強めて言った。「日本は人質保護のために攻撃を中止しろと言った。テロリストは悪魔だ。日本の姿勢は理解できない」

コメントを残す