参院選 教育問題「多様さに背を向けるな」

http://mainichi.jp/opinion/news/20130715k0000m070121000c.htmlより、
社説:視点・参院選 教育政策=論説委員・玉木研二
毎日新聞 2013年07月15日 02時30分

 力強い希望と勇気の言葉に感じ入った人は多いだろう。
 女子が教育を受ける権利と必要を訴え、イスラム武装勢力に銃撃されたパキスタンの少女、マララ・ユスフザイさん(16)。彼女が先週、国連本部で行った演説である。
 対立や貧困など、あらゆる問題を教育が解決するという主張は、近代教育制度を急ぎ導入した明治の日本に一脈通じるものがある。また、敗戦後間もない国会で、困窮と不足だらけの教育環境の実情を報告しながら、文部省(現文部科学省)幹部が声を上げて泣いたという逸話も思い起こさせる。熱いのだ。
 今、選挙運動で教育は特に大きな争点とはならず、経済、憲法、外交、社会保障などのテーマに隠れた感もある。だが課題はいじめや学力、大学改革など数限りない。教育立国の原点に立つような熱い論議が欲しい。
 公約で自民党は「世界で勝てる人材の育成」を掲げ、今後10年間で世界大学ランキング100位以内に日本の大学を10校以上入れる目標を示す。
 大学のガバナンス改革、教育・研究の高度化などでという。どういう道筋だろう。そして「勝てる人材」とは。判然としにくい。また民主党も含め、与野党の公約の多くに奨学金の改革拡充など教育費軽減や無償案が目立つが、実現は財源にかかる。
 言いっぱなしではない議論の深化が要る。だが教育政策論議はしばしば、先送りされてはまた蒸し返されるという堂々めぐり的なものが少なくない。
 例えば、学校体系を基本的に見直そうとした1971年の中央教育審議会答申。80年代の4次にわたる臨時教育審議会答申。画一的で多様化できない学校教育を改めようとしたが、理念通りにはいかず、類似した議論が繰り返される。事実上先送りになった東京大学の秋入学案もその典型例の一つだろう。
 仕組みを国際標準化し、優秀な学生を海外から集め、知的刺激を活発にし、日本人学生も海外に出る。これがグローバル化対応の秋入学の構想だ。
 この秋入学制は80年代に臨教審で学校制度全体のテーマとして論議された。だが、まとまらず、結局「将来諸条件の整備を」で棚上げになった。
 いじめ問題も対策法を成立させるほど世論を喚起しながら、学校現場の実情や意識とはまだ必ずしも十分結びついていないという指摘もある。
 教育の持つ力や可能性はマララさんが熱く語る通りだ。現実に即しながら議論を熟させ、先送りせず、実現させていく姿勢と覚悟。そこがまず土台だ。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130714/elc13071403050017-n1.htmより、
産経新聞【主張】参院選と教育 偏向教科書なくす道筋を
2013.7.14 03:04

 教育基本法の改正後、停滞した教育改革の流れを前進させられるかどうか。参院選ではこの大命題も問われている。
 教育内容を適切に見直していくことは国の責任であり、その基本となるのが史実の歪曲(わいきょく)など教科書の偏向の是正だ。
 教育を重点政策に掲げる安倍晋三政権と与党自民党は、首相官邸と党に「教育再生」を目指す組織を設置して、道徳教育の充実や教科書行政、教育委員会制度の抜本改革などを次々に提言してきた。教育現場で改善が図られずにきている国の根幹にかかわる懸案ぞろいだ。
 参院選公約にもうたわれたそれらの中でも特筆されるのが、「近隣諸国条項」の見直しである。教科書記述をゆがめる温床とされてきた条項の改善は、喫緊の課題である。安倍政権には、公約通り進めてほしい。
 日本維新の会は「参院選公約」で「教育基本法の趣旨に基づき、教科書検定・採択制度を全面的に見直す」と踏み込んだ点で、野党の中で際立っている。これを前面に押し出し、有権者に力強く訴えていってもらいたい。
 公明党の「重点政策」は教育については、教育委員会の機能強化策として政治的中立性の確保などに取り組むなどとし、教科書問題には直接触れていない。連立を組む党としては残念だ。
 民主党の「重点政策」も、いじめ対策や教育委員会制度の抜本的見直しを掲げるなど、全体として政権時の政策をほぼ踏襲し、教科書制度は素通りである。
 みんなの党は「アジェンダ2013」で、教育は市町村と現場に任せて、国の役割を教育水準の維持にとどめるとしている。具体的には、教育委員会の設置も自治体が決定できると提案している。
 だが、教科書の記述をはじめとする偏向教育を、国が正すことが先決であり、地方への権限移譲はそれからでも遅くはない。
 共産党は、安倍教育改革を「上からの統制」と決めつけるばかりで、自らの政策に新味はない。
 教育の中で教科書の果たす役割は大きい。明日を担う子供たちに公正で健全な問題意識を身につけさせなければならないからだ。
 にもかかわらず、偏向記述や史実の歪曲などの是正は、一向に進んでいない。残すところ1週間の選挙戦では、そうした現実を踏まえての論争を期待したい。

http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_top_pickup#Edit2より、
朝日新聞 社説 2013年 7月 12 日(金)付
国際化と教育―多様さに背を向けるな

 教育をめぐる自民党の選挙公約を読むと首をかしげることがある。「世界で勝てる人材」、つまりグローバル人材の育成についての項目の中で、なぜか教科書問題に触れているのだ。
 歴史教科書の「自虐史観」を正すため、どの教科書にも共通して書くべきことがらを文部科学相が定める、という。
 グローバル化と教科書問題はどう関係するのか。党が4月に出した提言は、グローバル人材をこんなふうに描く。
 英語が話せる。世界のトップ大学に進める学力がある。日本の伝統や文化を発信できる。その前提となるのは日本人としてのアイデンティティーだ――。
 だから教科書制度を見直し、歴史と文化を尊ぶ心を育む。両者はそうつながるらしい。
 しかし、思い出してほしい。安倍首相や日本維新の会の橋下徹共同代表の歴史認識をめぐる発言は、近隣の国々ばかりか、米国でも批判を招いた。
 日本の立場を発信することは大切だが、異なる視点への配慮を忘れ、自己弁護ばかりしていると受け取られれば、国際社会で理解をえられない。
 世界を舞台に働くには、多様な文化や意見をもつ人と対話をし、自他ともに生かす道を見いだす能力が問われる。そういう視点が欠けていないか。
 国内に目を向けても、いじめや外国人排斥デモの背景には、自分と違う存在への不寛容さが横たわる。これからの社会には自らの価値観を相対化し、異質な他者を受け入れる力がますます必要になるはずだ。
 民主党は与党の時、大学改革の提言で「多様な他者とコミュニケーションできる」人材の育成を掲げた。が、今回の公約にそんな視点は乏しい。今こそ有権者に問うべきではないか。
 いろいろな人がいて、一色に染まらぬ方が社会は強くなる。戦後の日本はそう考え、教育現場に政治が口を出しにくい仕組みをあえて築いた。教科書や教育委員会の制度がそうだ。
 今の教科書制度は基本的に、どう書くか、どの本を選ぶかを出版社や教委の自主性に委ねている。多様な教科書があってよいという考え方が土台にある。
 参院選では自民だけでなく、維新も教科書検定と採択の全面見直しを掲げている。選挙の結果によっては、その理念は塗り替えられるかもしれない。
 多様性を大切にしてこそ、異なる人びとと自分との接点を探る知恵をまとった人材が育つ。国内外ともに人が交じりあい、多極化する時代にふさわしい教育のあり方を論じてほしい。

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